カプチーノと洋菓子と貴方と、
甘いものを食べると元気になる。疲れた脳にいいとか糖分がどうとかではなくて、気持ち的に。甘いものを食べるとスカッとするし、なにより食べている間は幸せだった。特に嫌なことがあった日に舐めるクリームはわたしにとってどんな薬物よりも精神を安定させてくれる。
「食いすぎ」
今日も今日とて苺のショートケーキ片手ににんまりと笑っていたわたしに、不機嫌な声がかけられた。背後から前触れなく言われたから驚いてケーキを落としそうになる。
「なんだ、クルルじゃない」
そろりとケーキをお皿に戻して、わたしは後ろを振り向いた。声から予想はついたけれど黄色い蛙はいつものように猫背で、立っているのも面倒くさいという雰囲気をかもし出してそこにいる。わたしがいるときに部屋に来るなんて珍しいこともあるものだと思いながら、彼のための席を用意した。大き目のざぶとんを用意してあげれば、彼は埋もれるようにそこに座る。可愛い。
「なに笑ってる?」 「別に。それこそクルルはどうしたの」
彼のためにわざとふかふかの座布団を用意したのだと言ったら怒られて何をされるかわからないので、黙ってわたしは彼の答えを待った。クルルの訪問はいつも突然だ。夜中だったり昼間だったり、学校の間に実は来てました、なんて冗談にもとれないようなことも多い。お風呂上りを狙ってくるのもやめてほしいけれど、彼の仕込んだカメラを探すのも面倒なのでもうそれは自然の成り行きとして了承している。部屋を綺麗にする習慣が身についたのは彼のおかげと言って過言ではないくらいだ。 クルルは座布団の上でわたしを見上げてから、思い切り深いため息をついた。
「む。なにそのため息」 「最初に言ったろ。お前食いすぎだぜぇ」 「食いすぎって・・・・・何が」
答えはわかっていたけれど、わたしは一応反論して目を逸らした。
「それ」
けれども気付きたくなかったものを指摘するのが嫌に上手い彼は、びしりとわたしの前を指差した。決まり悪そうにたたずむケーキが哀れでならない。さっきまで物凄く丁重に扱われていたものが、彼にと
っては有害物質以外の何者でもないらしい。
「糖分の過剰摂取。肥満希望か、成人病にでもなりてぇのか?」 「いや、さすがにそこまでは・・・・」
口ごもってわたしは下を向いた。普段彼の生活を不健康だと言っていることに対しての嫌味だとわかっているだけに、居心地はすこぶる悪い。それでも食べたくなってしまったものは仕方ないではないか。
「だって・・・甘いもの食べたくなったんだもん。食べたいものを食べられないのって、ものすごーくストレス溜まるし」 「はぁ?今日で七日間連続で食い続けてるだろ。ここのケーキ」 「なっなんで知ってるのさ!!」
あっけらかんとして言われた言葉に、さすがのわたしも驚いた。がたんと言う音ともに後ずされば、クルルはにやりと笑う。
「くーっくっくっ!俺が知らないと思うほうが、バカだぜぇ」 「いや、普通は知らなくていいことだと思うよ」
そんな、一少女の食生活なんてタイムリーに知ってたら完璧おかしい人でしょ。
「うるせぇ」
クルルは少しむっとして、いきなり腕を伸ばしたかと思うとわたしの前にあっ
たケーキの皿をぐいっと自分のほうに寄せた。何をするかと思いきや、彼はケーキを手づかみで取り上げ一口で半分くらいを口に押し込む。
「あー!!何するのよっ。わたしのケーキ!!」 「・・・・・」 「楽しみだったのにー!自分のだからちょこっとだけ高いのにしたのにっ!」 「・・・・・」 「しかもなんか不味そうに食べるし!」 「・・・・コーヒー」
わたしがぎゃーぎゃー騒ぐと、彼は一言呻くように呟いた。そんなこと知るか馬鹿と言ってやりたかったけれど、彼があまりにも苦しそうに言うものだからなけなしの良心がうずいて自分用に用意してあったコーヒーを差し出す。濃い目に入れたコーヒーは、甘いものをとるとき必ずブラックで飲むようにしている。
「はっ・・・。ゲロ甘ぇ」
明らかにコーヒーで流し込みやがったな。こいつ。 可哀想なわたしのケーキは陰険な蛙の歯型をくっきりと残して、皿の上にまた着地させられる。クルルはまだ甘い名残があるように眉を潜めながら、わたしを見上げた。
「クックッ。よくもまぁ、こんなもんを好き好んで食うよなぁ」 「得意でもないくせ
に人の楽しみ取らないでよ。あーもー・・・」 「お前のダイエットに協力してやってんだよ。この一週間で増えた体重教えてやろうか?」
ぎくり、と背中のあたりが嫌な感じに泡立った。体重計なんて恐ろしいものにはここ最近乗ったことがない。わたしは何でこの陰険眼鏡な黄色い蛙が現時点の体重を知っているのかということより、やっぱり増加しているのかという現実のほうがショックで青くなった。一週間、一日一つケーキを食べ続けていて増えない体重というのもおかしいけれど。
「ど、どのくらい増えてるの?」 「クーックック!知りたいかぃ?」 「し、知らなければ幸せだけど・・・・」
落ち込むわたしに追い討ちをかけるように、クルルが三本指を立たせてみせた。
「さ、三キロですか?!」 「くーっくっくっく」 「えーえーえーえー・・・ちょっと待って。なんか泣きたくなってきた」 「泣いたって変わらねぇだろ」
もう駄目だ。なんか自分の体が今更だけど重く感じるよ。 がくりと落ちた肩はもうちょっとやそっとじゃ上がりそうになかった。これまで好き勝
手に暴食してきた報いだけれど、女の子にとって一番辛いことなんじゃないだろうか。これから始まるダイエット生活にうんざりしながら、わたしはクルルを見た。
「それ、あげる。ダイエットしますよ・・・・」 「くーっくっくっ!いい心がけだな」
クルルは自分の描いたとおりにことが進んで嬉しいのか、満足そうに笑った。この人の笑い方の特徴は、人が嫌がることを達成できたときのほうがほんの少し嬉しそうに笑うところだ。本当に陰険で陰湿で困る。 わたしが八つ当たり気味にそんなことを考えていると、クルルの指がまたケーキに触れた。今度またばくりといかれたらそれでもう跡形も無くなるだろうと思ったのに、クルルは残っていた一粒の苺を摘まんでわたしに差し出して、静止する。
「ご褒美だ。食っていいぜぇ」
いやそれ元々わたしのだし。 あまりにも傍若無人な態度に文句の一つでも言ってやろうかと思ったけれど、わたしに向かって差し出された腕があんまりにもぴーんと張っているから、これ以上待たせるのは可哀想だろうと大人しくいただくことにした。ショー
トケーキの苺って、密かな楽しみだったりするじゃない。 キラキラと輝く苺をぱくりと一口で彼の手から奪い取れば、甘酸っぱい味が口いっぱいに広がった。それだけも満たされることにそこで気付いて、だったら苺だけ買ってくればよかったんじゃないかと後悔する。でもきっとそれでも、ケーキが食べたくなってしまっていたとは思うけど。
「悪かったな」 「ん?」
ダイエットのプランでも練ろうかと考えている矢先に、彼がそれだけ口にした。あまりにも会話からはずれてしまったその謝罪に首を傾げれば、クルルはそのとき初めて罰が悪そうに視線をずらす。ずらした視線の先には、苺のなくなってしまったショートケーキ。
「一週間も、ほったらかしにして」
まるでショートケーキへの謝罪のように呟いたクルルは、わたしが何か言うよりも早く残りのケーキを自分の口に無理やり入れた。まだ慣れない甘い味と格闘する蛙を見ながら、わたしは笑ってしまう頬と口を押さえられない。 きっと全部飲み込んだら何を笑ってるんだとか嫌味を言われるに決まっているのだけれど、この蛙がせっかく素直になったのだからそれくらい多めにみてあげよう。そしてとりあえずダイエットして、この蛙に賞賛の一言でも言わせてやるのだと心に決めた。
彼に隠し事は無駄なのだ。
(06・05・10)
いったいわたしはどれだけクルルを偽造すれば気が済むのか。
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