「ほら、もうちょっとであがるよ」 「・・・・・・・」
興奮するような声のわたしとは裏腹に、隣に座るクルルは先程から一言も喋ってくれない。吹き抜けるような風は冷たくて、春になったとは言ってもまだまだコートが手放せないなと思った。そんな中、二人一緒に並んで屋根の上にのぼっている姿は外から見ればさぞ滑稽だろう。正直、引きこもりのマッドサイエンティストが朝も早くからこんなことに付き合ってくれるとは思わなかった。
「朝日、楽しみだねー」 「・・・・・そうかよ」
わざわざここまで来たのに、どうしてこんなに機嫌悪いんだろ。 別に無理して来てもらったわけではない。たまたま早起きをしたら朝日が昇る前だったからこれは見なきゃ勿体無いと思っているところに、ちょうど徹夜明けのクルルを見つけて引っ張ってここまで連れてきただけだ。引っ張ったと言っても、多少抵抗されればやめようと思っていたのだから、抵抗しなかった彼が悪い。うん、そう、たぶん。
「あーっ、早くあがらないかなぁ!」 「クックッ。物好きだねぇ」 「だって、こんな朝早く起きることなんて滅多にないんだもん!早起きは三文の徳!そしてお得なことは誰かと分かち合わなきゃっ」
ね?と笑顔を向けるといささか顔色が悪いクルルは、陰気な笑みを浮かべた。
「寝ようと思ってた俺にとっちゃ、迷惑以外の何者でもないぜェ?」 「いいじゃない。いつもは迷惑かけるほうなんだから」 「ソイツは俺の信条だな。だが、
ほど理不尽じゃねぇ気がするぜぇ〜」
わたしは落ちないように気を配って屋根に座ってるのに、クルルはダルそうにしながらもなぜかリラックスするように寝転んでいる。体中に吸盤でもくっついてるんじゃないだろうか。いやでもそしたら、蛙じゃなくて蛸だな。
「むぅ。本当はギロロでも叩き起こそうと思ったんだけどね。最初に会ったのがクルルだったんだもの」 「はぁ?先輩を叩き起こそうとしたのかよ。寝ぼけて発砲されてもしらねぇぜ」 「そーんなことしないもん。きっとイヤイヤ言いながらも、付き合ってくれるもん」 「・・・・今の俺の状況と何が違うんだ。え?」
本格的にスネ始めたのか、クルルの視線がこちらを向く。そのグルグル眼鏡の奥には漫画でしか御目にかかれない「3」のはずなのに、こうして見られると萎縮してしまう。というか、何を言っても付き合ってくれているのだから感謝はすべきなんだろうけど。
「嫌味な態度が違いマス」 「お前、俺の紹介文ちゃんと読んだことあんのかよ」 「そんなの知らないもん」
素直になりたくても、そう反発心を煽られるとどうしようもないのだ。意地の張り合いは平行線を辿って、一向に決着の様子を見せることはない。 ・・・・なんで朝っぱらから、屋根の上で喧嘩してるんだろ。しかも喧嘩の相手はクルルだ。口げんかで勝てるわけがないではないか。
「あーもー、ごめんよ。わたしが悪いんだよ。空気が汚くなるのも二酸化炭素が増えるのも地球の温暖化が進むのもわたしが悪いんだよ。だから許してよ」 「ククッ!支離滅裂だぜェ」 「うん。わたしも何言ってるんだかわかんないや」
とりあえず、地球の温暖化現象と二酸化炭素が増えるのには貢献してますけど。 クルルはちょっとだけ機嫌が直ったのか、腕で体を支えながら半身を起こした。その姿がなんだかこう大人っぽく見えてしまって焦る。気だるげな様子とか、自信満々な態度とか。まるで年上のそれのようなものを感じてしまったと自分の中で認識してから、もう一回となりを見た。でもやっぱりそこに居るのは小さな黄色い蛙が一匹。
「アリエナイ」 「はぁ?」 「なぁんでもないよ。こっちのこと」
黄色い蛙に大人の男の魅力をちょっとでも感じてしまったと告白した日には、どんな嫌味が襲ってくるとも限らない。わたしは今だに上がらない朝日に視線を戻して、考えたことを全部消去することにした。クルルは頭がいいから、感づいてしまわないうちに早く早く。
「寒いねー」
自分でも棒読みだなと思う。それを知ってか知らずか、クルルは変わらない調子で相槌を打ってくれる。
「クックッ。お前、コートにマフラーまで巻いてやがんだろうが」 「それでも寒いものは寒いの。あー・・クルルのが寒い?それ素肌なんでしょ?」
そういえばいつだったかケロロが雪合戦で霜焼けになってたっけ。ケロン人て裸なのかと、夏美ちゃんと驚きのあまり一晩中話し込んでしまったのを覚えてる。それだったら寒いかな。わたしは朝日を見る気満々だったからコートにマフラーまできっちり巻いてきたけれどクルルは行きずりでそのまま連れてきてしまったのだから、もちろん何も着てはいなかった。
「あったけぇわけはねぇな」 「・・・・そーゆー言い方が嫌味なんだってば。もう・・あ、でもさ、残念かも」
思いついたように、声を上げればクルルがこちらを向いて目があった。
「クルルが人間だったらさ、こーゆーときに『寒いね』って言ったら絶対コートの中で手とか繋いだりするんだよ」
恋人前提だけれどね。 前に見た映画でそーゆーシーンがあったのだと説明すれば、クルルは興味がなさそうに肩をすくめた。まぁわたしだってそこまで望んでしまってるわけじゃないからいいのだけれど。それにもしクルルがコートを着ていたとしてもわたしの手じゃ彼のコートのポケットには入れられそうにもないし。彼が人間でない限り、この願いは絶対に叶わないのだ。
「さみぃ」
クルルが、一言呟いた。明らかに機嫌が悪くなっている。わたしはやっぱりさっきの話はお気に召さなかったのだろうと思って、もう今回は諦めることにした。
「そか。じゃあ、降りてもいいよ。わたし一人で見てるし」 「ここまで付き合わせた挙句にそれかぁ?」 「うっ・・・・。それは悪かったと思ってるよ。というか、もっと早く日って上がるものだと思ってたんだよ」 「迂闊だねぇ。・・・・・とりあえず、そのマフラーよこしな
」 「え?」 「早く」
言われたとおりにマフラーを渡すとクルルは自分の体に巻きつけ始めた。グルグルと、わたしにも長いマフラーを何度も何度も巻いていく姿はお人形以外の何者でもない。これが嫌味な蛙じゃなくて、タママとかだったら物凄く可愛いのに。 クルルは一通り巻き終えて、物凄く不恰好な包帯男みたいになりながら立ち上がった。
「持ち上げなぁ」 「は?」 「いいから、とっとと持ち上げた方が身のためだぜェ」
ウエルカムよろしく両手を広げたクルルは偉そうに命令する。わたしはわけもわからず、とりあえず自分の身は大事だったので彼に従って持ち上げた。彼の指示通りやっていけばなぜだかわたしは彼のことを後ろから抱きしめるように――――――――体操座り状態だったわたしの足と胴の間で彼は座ってる――――――――クルルの後頭部を見つめていた。 あぁ、なんだこれ。例えるならばホラー映画を一人で見てる少女が人形抱きしめてるようなものだな。
「これはなんでしょう。クルルさん」 「クックッ。言ったろ。さみぃんだよ」 「寒いのは理解できるんだけどねー・・・。あー
もー・・・わけわかんないよ」
このマッドサイエンティストが。
「クーックック!いいじゃねぇか。こっちのが、ドキドキすんだろ?」
落ちないようにクルルを支えてた手を握られて、わたしはやっとそこで気がついた。
「手ぇ握りてぇんだったら、最初からまどろっこしいこと言わずにはっきり言えよ」
言われた言葉に、開いた口がふさがらない。 口をぱくぱくさせながら、そんなこと思ってないわよエロ蛙と言いたいのに喉元まででかかった言葉はそこから出てこない。別に手が繋ぎたいわけじゃないし、というかこれは手を繋いでるのか子どもを抱えてるのかわかんないし、あーもーだからドキドキとかそういうの求めてるわけじゃないし!!
パニック状態の頭で必死に言いワケを考えながら、わたしはちらりと視線の先に映ったクルルと自分の手を見つけた。わたしの手を上から握る手はとてつもなく小さいのに、予想以上の温かさでわたしを追い詰めている。
あぁ、もう、なんだこれ。
頬が熱くて顔があげられなくて、心臓がさっきから五月蝿くて適わない。 日の出どころじ
ゃないじゃない。
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