いつのまにか、その女はまるでそこにいることが当然のようにそこにいた。
どけと言う言葉に耳を貸さず、五月蝿いと罵るオレを鼻で笑い、邪魔だと低く声を落とせば肩をすくめる。日常に溶け込むというよりは強引に、オレの生活に割り込んできた。 アイツはオレに優しいわけでは決してない。珈琲に砂糖ではなく塩を入れて、さぁ飲めと言うようなやつだ。(本人は悪気があったわけではないと主張するが、あれは故意だ) オレもアイツに優しくした記憶があるわけじゃない。部屋にいるのを見つければ自然と引きつる表情には自覚があったし、わざわざ兵器のファイルだけを削除する悪戯も二度目でキレた。それでもアイツは相変わらずオレの傍に居続ける。ラボの扉をどんなにロックしても固く閉ざしたそれをアイツはぶち破る。不適に笑ってどこから調達したのか武器を抱え、その細い体をしならせ反動に耐え、半壊させた入り口を満足げに見下ろす。 ヤツはなんだ?今時の悪魔ってのは、片手にランチャー抱えた女だってのか。
「間違えないで、クルル」
アイツはオレの言葉に耳を傾けない。 いつも主張を受け入れるのはオレだった。このオレが?なんでこんな女の話を聞かなければならない。だってそうだろう。迷惑以外の何者でもない。ハプニングに上乗せした破壊と性悪な悪ふざけだけに命をかけるようなやつをどうやって処理しきれる。無理だ無謀だオレの警告音は止まらない。一筋縄ではいかないアイツを、ここにとどめておくことは出来ない。台風はやがて去る。子どもは大人になる。そこにいたものを全部置いて、めちゃくちゃにしたものなんて気にも留めずに颯爽といなくなる。そんなものを一体どうしたら、この手に納めておけるんだ!
「何が言いてぇんだよ」
腰に手を当てる女はオレより随分背が高い。眉を上げる様は優美で優雅で残酷だった。一歩、彼女がこちらに近づく。高いヒールの音。コードをものともせず、けれど決して機械に触れることなく歩くのは奇跡だ。せっかく作ったバリケードだというのに、アイツはまったく気にしない。足を滑らせ、タップでも踏むように軽快な音と共にオレの前に現れる。 オレは、絶対に動くまいと椅子に座った体に力を込めた。
「言いたい事なんて、一つよ。いい加減観念してちょうだい」 「はっ。オレに服従しろってか。お前、何様だ」 「お嬢様。それが嫌なら
様。気に入らないなら、お姫様」 「格上がってんじゃネェか」 「もちろん。…………ねぇ、クルル」
はそこでおもむろに両膝をついた。途端に背の高さは逆転する。オレがあいつの瞳を見下し、アイツはオレを見上げていた。上目遣いの瞳を見るのは初めてだった。
「好きよ。クルル。すごく、好き」 「…………」 「だから、抗うのはやめて」
見下ろしているというのに、彼女はどこもオレに負けていない。ただ事実を述べ、結果を求めている。そして彼女はその結果さえも自分の中でもぎ取っているんだろう。その波に体を任せるには、いささか意識が邪魔すぎた。プライドや自尊心やたぶん最後の良心が、この先にあるものを掴んでは戻れないと告げている。
がオレの手をとる。その手を開かせ、自分の唇を近づけた。はじめは手のひらに、二度目は手首に、そうして最後にオレの頬に唇を落として、鼻がつきそうな距離で彼女は笑う。
「わたしはあなた以外選ばないし、あなたもわたし以外選ばない」 「…………なんだよ、それ」 「決定事項。わたしたちの運命。わたしはもう選んだわ。次はあなたの番よ」
たった一つの答えしか持たせなかったくせに、彼女は選べと笑う。
選んで受け入れてその先に待つものはなんだ。破滅かそれとも無に還るのか。どちらにしても都合がいいのは目の前のこの女だけだ。
それなのに、オレの持つ答えもどうやら一つしかないらしい。
運命ってのは、横暴なサディストに違いない。
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