誰も自分を不幸だと呪いたくはないと思う。


不幸せなことは生きている限り確実に起こるしそれは仕方がないことだ。全てに無感動でいられたらそんなものさえ感じないのだろうけど、わたしはそうはできないから。


ちょっとのことでうろたえて、自分の世界を必死に守って、それで崩れない均衡を愛しているの。ハプニングを無闇やたらと恐れたりしないけれど、それを起こさないための最善の手段を取ってきたつもりだ。

うん。だから、これはきっと何かの間違いなんだ。





「クーックックッ!現実逃避は終わったかい。
「もっと現実逃避していていいんなら、する」
「ダメだなぁ。もう待ってるの、飽きちまった」



そういうと、彼はわたしの膝の上にすとんと座った。
見た目だけ見ればとても可愛らしい状況だ。ケロン体の小さなフォルムがわたしの膝に納まり、小さな手がよたよたと自分を支えるために伸ばされる。赤ん坊が自力で立とうとする様に似ている。目の前の生き物は、赤ん坊なんて可愛らしい清純なものでは決してないけれど。



「とりあえず、説明をして。どうしてわたしは椅子に縛り付けられてるの」
「だから、ついさっきワケは話したろ」
「あれで納得しろと?」



記憶を巻き戻ししてみても、彼が納得できるような説明をした記憶はない。
なにしろ、午後のまったりとした時間をぶち壊して現れた彼がわたしに言った言葉は一つしかないのだ。偉そうに仁王立ちをして、わたしが彼の出現に戸惑って呆然としている間に言った言葉は酷く短い。


「好きだ」


そして、今にいたる。
好きだ?何の冗談だろう。笑えない。不幸を嘆きたいとはこのことだ。
彼の悪ふざけの対象となったこと事態がわたしの不幸そのもの。



「とりあえず解放してよ。クルルに付き合ってるほど暇じゃないんだから」
「オレとは遊べねぇのに、隊長たちとは遊べるのかよ。都合いいねぇ」
「そうよ、あなたとは遊ぶ暇なんてないけど、ケロロと遊ぶ時間はあるの。ついでに言うならドロロもギロロもタママも、機会があるんだったらガルル小隊とだって遊べるけど、あなたと遊ぶ時間はないのよ」



理解してくれるように、懇切丁寧に説明してやった。つまりは、クルルを避けているのだ。
わたしは理解できないものが嫌いだ。ケロロのようにガンプラに心酔していたり、ギロロのように夏美ちゃん至上主義を貫いていたりしてくれればわかりやすくて付き合いやすい。でも、彼は違う。一貫性がなく、掴んだと思ったらひらりとかわされる。そんな人が一番付き合いにくく、理解しにくい。だから苦手なのだ。



「オレはこんなに好きなのになぁ」
「似合わないこと言わないで。何?熱でもあるんじゃないの」
「ねぇよ。いたって正常だぜぇ。だが、お前にはお熱ってやつかもなぁ」



ククッと笑う彼は心底気味が悪い。
ここで普通の女の子ならば頬を赤らめるくらいはするべきなのだろうか。しかしわたしには恥らう瞬間なんてなかった。背筋を走ったのは間違いなく悪寒で、可愛らしい女の子の考える発想すべてを飛び越えて嫌悪さえ呼び起こされる。心なしか頬を赤らめているクルルが更に気色が悪い。



「賞味期限の切れたものでも食べたんじゃない?それが胃じゃなくて頭にきたんだよ」
「…………
「なに」
「好き、だぜぇ?」



膝にのったクルルは、分厚い眼鏡越しにわたしを見た。それなりに切実な感じが伝わってきたが、しょせんクルルだ。これが日ごろから真面目で曇りのない青年だというのならばわたしも真面目に考えるだろう。真摯な対応だってする。だが、相手はケロン人であり、侵略者。陰湿、陰気、嫌なやつという人生で頂きたくない称号をすべて持ち合わせているようなやつなのだ。
そんな人の、何を信じればいい。



「わたしは嫌い」

「嫌いよ。好きになんてなりっこない。告白の返事を待ってるんだとしたら、答えはノーよ。ごめんなさい。あなたの気持ちには答えられません。これからもいいお友達でいましょう。…………これで気が済んだ?」



傍から見たら、わたしは存外酷いことを言っているだろう。その自覚もあるし、そう聞こえるように言っている。なぜならばわたし達の間にそんなものは必要ないのだ。もしわたしが望むとするならば、そんな関係じゃない。


例えるのならばケロロと冬樹君のような関係がいい。信頼で結ばれた固い友情。もちろんそれは特異なもので、とても神聖で特別なもの。初めてケロロと会った地球人であったからこそ為しえたこと。それは理解している。二番手には与えらない地位であることも知っている。だから、クルルで言えば睦実さんの地位にわたしがつくことはない。つけるとも思わないけれどその固定された不変の地位以外は欲しくないのだ。
二番手だから恋愛対象なの?それって差別だ。



「オレがこれだけ素直になってやってるっつーのに、強情なやつだなぁ」
「頼んでない」
「ま、そんなとこもいいんだけどなぁ。…………愛してるぜぇ?」
「…………クルルって、そういうことが言えちゃう人だったんだ」



正確に言えばそういうことが言える蛙だったということだ。
簡単に愛の言葉が吐き出される口は、今まで交わしたどんな言葉よりもすべらかに動く。なんだか憎たらしい。愛だの恋だの。チープすぎて考える対象にもならない。



「なぁ
「なによ」
「オレのものになっとけよ。たぶんお前が望めば、隊長だってガキだって喜んで恋人ってやつになりたがる。だがそんなものを見るのは御免だぜぇ。オレは、自分のものを誰かに触られるのが嫌いなんでねぇ」



腕が伸ばされる。わたしは必死でその小さな可愛らしい腕から逃れた。
けれど膝に座る彼から逃げることなど出来やしない。当然のように、頬を撫でられて髪がひっぱられた。



「いたっ!」



なにすんのよ、と非難の声をあげようとする前に、自分の唇に柔らかいものがあたった。ぐるんと視界が回る。ついで黄色い彼の体が目の前いっぱいに広がった。
黄色黄色黄色…………黄色しか見えない。



「…………認めちまえよ。お前はオレが好きなんだ」
「次は暗示でもかける気?…………最悪」
「ククッ!なんとでも言えよ。オレはお前が好きなんだ。両思いってやつだぜぇ」



強引過ぎる両思いだ。わたしを椅子に縛り付けられながら無理やり話を捻じ曲げる蛙は、いつにない爽やかさで話をまとめていく。
ありえない。どうしてそういうことになるの。
わたしがいつアンタを好きだなんて、言ったというのだ。態度に示した覚えなんかない。どこでどう勘違いをすれば、わたしが恋心を抱いているなんて妄想ができるんだろう。あぁ、黄色い蛙はこれだから理解できないのだ。



「理解できねぇのかぁ?」
「…………」
「そーかいそーかい。んじゃ、優しいオレ様が教えてやるよ」



人の心を読んで、クルルは笑う。



「お前はオレを意図的に避けている。理解しようとせず、また、理解することを恐れてる。その答えの先にあるものを知るのが怖いんだ」
「…………何があるって言うのよ」



理解することに越したことはないじゃないか。わたしは今まで、全部整理して生きてきた。理解して分別し、配慮することで気を配ることで人生を過ごしてきた。わたしは理解することを何よりも尊んでいるはずだ。



「その先にあったのが、紛れもない愛だからに決まってんだろ。ククッ!じれったいもんだからオレから来ちまったがなぁ」
「…………病院に行けば?」
「あいにくどんなの名医でも恋の病っつーのは治せねぇんだよ。処方箋はお前で充分だ」
「いやいやいや、認めてないから。どーして、そうなるのよ。じれったいとか言ってるけどね、わたしの性格がわかってたなら待っててくれてもいいでしょ。わたしはわたしが納得できなきゃ認めないんだから!」



またキスしようとするクルルに急いでまくし立てる。体を絶妙にねじりながら、わたしは自分の言葉に違和感を感じた。今、わたしは何て言った?

“待っててくれてもいいでしょ”?


それじゃ待っていればわたしが恋に落ちたみたいじゃないか!!



「ほうら、認め始めてきただろ」
「!! これは暗示よ。縛られたりしてるから冷静な判断が出来なくてパニクってるの!」
「だがお前は馬鹿じゃない。わかってるんだろ?オレに掴まっちまった時点で逃げ場なんてないってことをよぉ」



喉に小さな手が触れた。わたしよりも温度が低い彼の、ほんの少しの冷たさがじわりと這うように伝わる。わたしは自分でもはっきりと息を飲むのがわかった。
彼が言うようにわかっていたのだ。
好きだと言われて、それを認めた彼に連れ攫われた時点で、もう抜けだすことのできない迷路に迷い込んだことくらい知っていた。でも、理解したくなかった。



「…………許さないからね」
「ん?」
「地球が壊れても、侵略しても、ケロン星に帰ることになっても…………もし、クルルが死んだとしても」



わたしは精一杯の力で彼を睨みつけてやった。本当ならば絞め殺してやりたいけれど出来ないから、それなりの恨みと憎しみを込めて睨んでやる。自然と声に力がこもる。



「わたしを捨てたりしたら、タダじゃおかないから」



離したりしたら、それこそ一生恨んでやる。銀河を飛び越えて刺し違えることくらい出来そうだ。そんなことが平気で出来るくらい、わたしの愛は暗くて陰湿で根が深い。彼の性格くらい、手に負えない代物だ。
それでも欲しいというのなら、仕方がないからくれてやるよ。



「クーックックッ!死んでも離すな、か。なかなかソソる台詞だぜぇ」
「茶化さないで。返事は?」
「お前を愛してるオレが、期待を裏切るような返事をすると思うのかよ。信じられないなら手始めにケロンでも裏切ってみせようかぁ?」
「そんな物騒なものは求めてない。わたしが欲しいのは、返事よ」
「仕方ねぇなぁ」



これだから女ってやつは…………と、早くもぶつぶつ言い始めたクルルは、それでもわたしの頬を撫でて笑った。いつものように、陰険なまなざしで、陰湿な微笑で、嫌味な口調は変わらずに。



「オレのために生きろ。そしたらオレは、お前のために死んでやる」
「…………なに、それ」
「離す離さねぇの、観念的な話じゃなくな。こーゆー現実的な話の方が好みだろ、



わたしはしばらく考えて「ふぅん」と気のない返事をした。
クルルのために生きたのならば、この蛙はわたしのために死ぬという。
それは離す離さないという話よりも観念的なような気もしたけれど、彼にとっては現実を何よりも呼び起こす言葉なのだろう。



「愛に果てるってやつだぜぇ」
「もーそれはいい。でも簡単に死んだりしないでよ。わたしの愛が軽いみたいじゃない」
「安心しなぁ。オレは殺したってしなねぇよ」



安心させたいのか、突き落としたいのか。クルルは笑ってわたしの唇を奪う。
わたしはいくらか構えてそれを迎えて、今度は余裕を見せて瞳を閉じた。
とりあえずキスが終わったなら、椅子から解放してもらおう。


不幸を呪うのは、それからだ。



 

 




 

 

微量のを砂糖みたく溶かして

(07.03.11)