これは一種の気まぐれと言うやつだ。
ここは地球で、日向家という一般的な民家の地下で、すべてがそろったラボだから、平和すぎて頭の中がぼんやりしてくる。ゆっくりと溶かされて馴染まされていく感触。馴染んでいくこと嫌悪すら抱くのに、それを享受していくのも悪くないと思う自分が居る。本来なら持つべき感情の名前などとうに忘れてしまったが、ここにはそれが溢れている。平和すぎてボケている住民が、平和すぎてボケ始めている軍人の、性根に刻まれたあのころを思い出させる。確かにあった、自分が全幅の信頼をよせる絶対的存在の記憶を呼び起こさせる。
だから、これは気まぐれだ。





伸ばした指先、がこちらを向く。なにと笑って、どうしたのと声を出す。


「オレが、お前を好きだと言ったらどうする」


ラボの中、オレを満たすものはここに溢れかえっている。だからこれまで忘れていた感情を、どうにも上手く受け取れない。


「嘘だって笑う」
「笑うのかよ」
「冗談でしょうって言って、それはクルルの錯覚だって教えてあげる」


彼女は驚きもせず、笑顔のままで笑えない台詞ばかりを吐き出す。オレは肘掛の腕に力をこめる。この世界は平和すぎて、ボケて、強烈な何かが足りない。たとえば目覚めさせるための起爆剤を。


「嬉しくねぇのか」
「クルルの告白が?」
「認識してんじゃネェか。これは告白だろ」
「そうだね。でも、それはクルルの自己満足だよ。だって」


オレの指先がの頬に添えられる。綺麗な肌だ。吸い付くようにしっとりとした、きめの細かい肌。気に入っている、感触。


「だって変わらないもの。クルルはここから出ない。わたしもあなたの傍から離れない。それで恋人なんて肩書きをつけてしまったら、とても窮屈になると思わない? 何かしら義務みたいなものが生まれてしまうと思わない?」


頬に寄せた手のひらに、の右手が重なった。平和すぎるこの世界では、考えることが多すぎる。重要ではないと切り捨てたものたちがすべて、ここではとても思い意味を持っている。平和すぎてボケている住民たちは、無くしてしまった緊張感の代わりにもっと大切で愛おしいものを手に入れた。相手を受け入れる、それは勇気だ。オレには生まれ変わっても持てやしないもの。


「クルルは賢いね」
「馬鹿にしてんのか」
「違うよ、感心しているの」
「違わねぇ。オレは、それくらいしか思いつかねぇんだ」


目の前にいるこの女は、たぶんオレの半分も状況を考えていない。けれどそれで足りてしまっている。相手を受け入れて、自由にさせて、どこかに逃げてなくしてしまったとしても、は立ち上がれるのだろう。けれどオレは違う。
欲しいものが手に入ったのに、それを維持し続けるすべを知らない。


。なぁ、お前そこにいるのか」


だいぶ間の抜けた質問を、オレは心底真面目に彼女に向ける。彼女はくだらないと笑わない。重ねた指先に力を込めて、瞳をまっすぐに俺に据えた。これだ。これが、強さだ。自分を守ることもできないこの星の住民が、唯一誰よりも長けている能力だ。


「大丈夫。心配しないで」


オレは受け入れられる。底なし沼にはまったような、足元のおぼつかない不気味な幸せを分け与えられる。これを幸福と呼ぶのか。そんなもの、もらったことがないからわからない。


「あなたにそんなこと言われたら、わたしはどこにも行けないから」


クルルは賢いよと、彼女は笑った。





































(09.10.09)