オレにはそれが何かわからない、と隣に座る男が言った。とても寒い夜で、空気が澄んでいたから星がよく見えた。彼は空ばかりを見ていたから星の美しさでも堪能していたのかもしれない。そんなことに時間を割くような人ではないことを知っていたけれど想像して、わたしは笑う。 「何が?」 出来るだけ優しい声が出るように気を配った。突然呼び出された公園に人気はなく、だからとても寒々しい。太い鎖のブランコも、握り心地の気に入らない鉄棒も、派手な滑り台も、暗く影を落としていて一人ならば淋しくて仕方なかったと思う。 主にお母さんたちが休むために使うやたら洒落たデザインのベンチに座りながら、彼は隣でわたしの質問などお構いなしに星を見ている。効率を重視する彼がこんなところで星を見るのは可笑しなことだけれど――――星を見るのなら天文台や、彼の自作の望遠鏡の方がよく観察できそうなのだ ――――あまりにも最先端を走っていると回帰したくなることもあるのかもしれない。 「クルルがわからないなんて、珍しいね」 感想のつもりでそう言って、わたしは自分の質問に自分で答える形になった。 真夜中を過ぎた時刻は空気だけをやたらと冷やしていく。風が吹かないだけマシで、もっと言えば公園を訪れる若者や恋人がいないことも都合がよかった。彼は普通の人には見えないような手段を取っているから、こんなところで一人でいるわたしは頭がおかしいか失恋直後の女にしか見えない。 ようやく温まってきたベンチに身体が馴染んできて、背骨がいくらか緩む。クルルの月みたいな横顔を見つめるのをやめて、わたしも星を見るために空を仰いだ。よくよく観察すれば微弱だけれど強弱をつけて星は瞬いている。色の違うものもあるし、光る強さも違う。目を細めながらそんな発見に嬉しくなって、わたしはまた笑った。 「わっかんねぇなぁ。まったく」 ぶっきらぼうな、それでいて不機嫌よりは機嫌のいい難しい声でクルルが言う。こちらに向けられたのだとわかったから、わたしはクルルのために横を向いてやや視線を下げた。 彼は冷たい眼鏡の奥で無表情にじっとこちらを見据え、それでいて口元だけは笑っているのか嘆いているのか判別しかねるくらい引き上げている。わたしは首を傾げて、会話を理解していないことを彼に教える。けれどクルルがそんなことに頓着しないことは、わかっていた。 「面白そうだね、クルル」 「そうか?」 「うん。楽しそう」 理解できないなりに言葉を繋ぐと、クルルは存外満足そうに頷いた。彼の感情の琴線に触れたものはわからない。それでもクルルが喜んでくれたので、わたしも満足そうに笑えたと思う。 「ま、面白いっちゃー面白いな」 「へぇ、いいなぁ。クルルって退屈なこととかなさそうだよね」 「あぁ?あのなぁ、ケロンにいたころはつまんねぇことだらけだったっつの」 小さな腕を曲げて足にひじをつく。その動作が緩慢で投げ出し気味だったので、あまり突っ込んで聞かないほうがいいのかもしれないと思った。わたしにとって彼の星は未知で、だから退屈なんてものとは結びつくことなんてないのだけれど、クルルにとっては違うのだろう。 「じゃあ、来れてよかったねぇ」 クルルが地球に来れて、だから彼の毎日は面白く変化している。例えばわたしと誰もいない公園のベンチで座りながら、星を見上げていることも変化の一部なのかもしれない。肺の中に澄んだ空気をいっぱいに吸い込んで、綺麗な星を見ながら少し話して笑いあうことが。 わたしにとってもそれは変化だなぁなんて考えていると、クルルがすくっと立ちあがった。 「オレの柄じゃあねぇが、そこんとこは隊長に感謝してやってもいい」 「素直じゃないなぁ」 「素直なオレなんて、西からのぼる太陽並みにありえねぇよ」 「あ、それは見てみたいかも」 嬉しげな声を出して同意すると、どちらともつかない笑い声が返ってくる。そのまま裸足で――――たぶん、霜焼けをするのだから裸足なのだと思う――――レンガの敷き詰められたおもちゃみたいな道を歩き出した。わたしは彼の後姿を眺めながら、昔の女性みたいに三歩下がって付いてゆく。いつも、こんな調子だと言う訳ではない。今日が、そんな気分なのだ。 「ねぇ、クルル」 「あ?なんだ」 「また、星が見たくなったら呼んでね」 誰でもなくわたしをと言う意味を込めて伝えた。 「あぁ、リョーカイ。今度は星じゃなくて太陽が西から昇るサマでも拝みにいくか」 彼の口調はやっぱり冗談とも本気とも取れるような曖昧な感じだ。けれど返事が来たことが嬉しくて、どちらでもよくなって「うん」と頷いた。 歩きながら空を仰ぐ。この星の中のどれか、とても遠くからクルルたちはやってきた。宇宙船に乗って、星ばかりの中をめぐって、地球にやってきたときクルルはどう思ったのだろうか。テレビの中でしか見たことのない青い星を気に入ってくれたら嬉しいなと、自分の所有物でもないのに勝手に願って、わたしは幸せそうに笑った。 クルルはそんなふうに笑う彼女を気配だけで感じながら、見飽きて辟易していた星空が見たいだなんて言った自分をやはり理解できそうにもないと肩を竦める。 |
無自覚の救済
(07.12.24)