あんまりにも暇だったのでが外に出ることにしたのは、ただ空が晴れていたからという理由に過ぎない。部屋から見た空は明るくて温かそうだったのだけれど、出てみると意外に肌寒かった。おもてをあけていたコートを引き合わせて、それでも部屋に戻ろうとはしない。戻ったら出かけようとは思うのは難しいだろう。
「寒いなぁ」
声に出してみて、響かない音の調子にひとりだと悟る。少し淋しくなって公園に立ち寄ってみようと方向転換した。けれど踏み入れた公園に人の影はなく、植えられた木々も整えられた道も先程よりもがらんとしてむなしい。はそんなことで出かけたことを悔やむほど弱くもなかった。それに肩を落とすほど期待もしていなかった。
とりあえず一回りしようと、足を進める。
「…………それで、どうしてあなたに会うのよ」
誰もいなかったはずの公園を歩いていると、数メートル先でブランコに揺られている人物と目が合った。その人物は一般の子どもより小さくて、当然ブランコに揺られている足は地面についていなかった。辛うじて伸ばされた腕は鎖を掴んでいたけれど、両脇が黒服の人物だったらまさにつれ攫われる宇宙人、だっただろう。
は目があった瞬間に顔を歪めて、あちらが笑うと頭を抱え、こっちに来いと手招きされると快調だった足を引きずって向かった。
「よぉ。なぁにしてんだ?」
「…………わたしが質問したんだけれど」
「いいじゃねぇか。お前はオレの答えを理解できねぇだろうが、オレはお前の答えを理解してやるんだ」
まるで有難く思えよとでも言いたげな様子でクルルは笑う。ふたつ並んだブランコの片方に座って、のんきな調子で揺れるブランコに身を任せた。
「別に。ただ、なんとなく」
「なんとなく、ねぇ」
「おかしいことなんて何もないでしょ。クルルこそ、どうしたの」
きぃきぃ。響く金属音、クルルの声よりも高く、クルルの声なんかよりも優しい。
彼はどんなことでも知っている。でも、本当に知っているのだろうか。がここにいることを知っていても、公園に誰もいないように仕向けることが出来ても。
「べぇつに。オレも、ただなんとなく」
「そう。ねぇ、クルル」
「なんだよ」
あなたはなんでも知ってるけれど、本当に知りたいことは何ひとつ知らないのね。
言ってやりたいけれどクルルに喧嘩を売る理由もないので、喉の奥に閉まっておく。その代わりに微笑んで、思ってもいないことを口にしてみる。
「わたしは幸せになる権利がないのかもしれない」
「…………はぁ?」
「ちょっと、ね。思うところがあって」
空を見上げれば、澄んだ青空。けれど心が洗われることも、癒されることもない。
「…………男をひとり振ったくらいで、幸せになれなくなるのかよ」
クルルの言葉の方が、わたしの心にはジンと来る。理解されているのはいいことだなぁと思ったのは初めてで、たぶんこれから先もあまりないことだと思う。
クルルは無遠慮で失礼だ。人のプライバシーに入り込んでくるくせに、感想も感動も残さない。だからこちらも無関心を決め込んでいるつもりなのに、見つめられると目を逸らせない。
「人と付き合ってみてわかったの。わたし、ちゃんと好きになってあげられなかったなって」
つい先日までわたしには彼氏という役割の男性がいた。好きだと言われて付き合って、たった一ヶ月の短い交際期間だった。その間にデートらしいデートを5回ほどした。手は繋いだけれど、それ以上のことはしなかった。する気もなかった。しようとも思わなかった。
「ついでに言うのなら、会いたいとも思えなかった」
「ククッ!…………ひっでぇ女」
「そうね。ひどい女だった。だから最後まで、ひどい女で終わったの」
真昼のカフェで突然別れを告げたは、間違いなくひどい女だっただろう。周りの人間はみんな楽しそうだったし、そこにいる全員が幸せそうだった。その中でも楽しそうの部類に入るカップルに、自身も入っていたに違いない。
自然に切り出したつもりだった。別れはしかるべきものだったから、彼も予想していると思っていた。彼は目を見開いておどけるように笑ったあと、わたしの真剣なまなざしに奇妙に顔を歪めた。彼は滑稽なほど狼狽していたと思う。理由を求めたし、それが普通だとも感じた。
「結局好きになんてなれなかった」
「…………そう、言ったのか」
「うん。…………最初の約束だったから。わたしは好きになれないかもしれないって」
前置きをした恋だった。それでもいいと頷いた彼は刹那的な笑みを浮かべていた。でも結局彼と一緒にいても心から楽しいと思えたことはなかったし、楽しそうな彼を見るのは辛かった。だから別れを切り出して、誰よりも不幸なくせに一番長くカフェに居座って話し合いをした。悲しい、話し合い。
「人を好きになれないって、悲しいことだね」
「…………知らねぇよ」
「…………悲しいよ。すごく自己中心的だけど、わたしが悲しいの」
振られた彼のために悲しいと思っているわけではなく、人を好きになれなかった自分が悲しかった。人に馴染めなかったのだと言われている様で、傍にいる人たちとは違うんだと言われている様で、悲しくて淋しかった。
「でも、一番悲しいのはね」
「…………」
「それが、生きることに支障がないってことなの」
彼がいた昨日と、彼がいない今日は同じだった。話しなどなくても出なくてはならない電話がならないだけの、他愛もなく意味もないメールが届かないだけの、しいて言えば煩わしさが減った一日が平和に過ぎていった。
例えばこれが愛する人であっても、生活に支障はない。
「ふぅん。…………生活に支障がねぇなら、それがお前の幸せなんじゃねぇの。そんな単語、虫唾が走るがなぁ」
「…………そうかもしれない。でも、みんなが言う恋愛の幸せだって体験したいんだもの」
「……………………そうかよ」
めげねぇ女。
クルルは大して面白くもなさそうに笑ったけれど、わたしは少しだけ嬉しかった。公園の空気は相変わらず陽射しが眩しくて神々しい。クルルもわたしもこの公園には驚くほど不似合いだった。けれど不似合いが二人いれば淋しさも分け合える。分け合える誰かがいるというのは、少しだけ嬉しくて淋しい。
「いいの。幸せになる資格はないけれど、努力まで怠る必要はないもの」
「…………」
「ん、なぁに。クルル」
「気が済んだなら帰るぞ。眩しくてくらくらしてきやがったぜぇ」
ひょいとブランコから飛び降りてクルルはすたすたと歩いていく。日当たりのいい公園の真ん中で、黄色い宇宙人がよろよろと歩いていく。頼んでもいないのにここに来てくれて、すがったわけでもないのに勝手に結論付けて、願っているわけでもないのに手を引いてくれる。
自分勝手はお互い様かな。はやっぱり口には出さずにそう思って、クルルが迷惑そうに後ろを振り返ったので小走りで駆け寄った。
|