クルルはまったく気安くない人だった。こんな使い方は間違っているかもしれないが、彼はわたしが傍にいたとしても一定以上近寄らせない。話していたとしても、電話口の声を聞くかのように頼りなかった。遠くて、わけがわからないうちに切れてしまう。
それなのに、わたしは一度も淋しいと感じたことがなかった。常に一枚の薄いくせに弾力のある壁を感じながら、わたしはクルルの傍に居続ける。パソコンに向かう背を眺めながら、微動だにしない姿勢と指先のリズムに酔いながら。
わたしは彼がそこにいて同じ空間を共有しているというだけで、物理的な安心感を得ていたのかもしれない。


「…………おい、そこのアンタ」
「え?」


始まりは突然だった。出会いではなく、わたしが彼に対して特別に愛おしい感情を持ち始めたきっかけという意味だ。宇宙人なんて非現実的な言葉で現すにはいささか無粋な気がするほど自然に彼らは現れて、地球の日常に溶け込んでしまっていた。
クルルの存在は、だから友人よりは特別な位置に初めからいたのだと思う。基地の中にある動く廊下で、声をかけられるまで。
わたしの名前なんて呼ばず、少しぶっきらぼうな口調で話すクルルは、小隊の輪の中にいるときとちょっと違う。


「…………ラボに、来るかい?」
「らぼ? あの、クルルのお部屋?」
「…………あぁ」


彼はそれきり黙ってしまったので、何の用があるのかもどうしてわたしを指名したのかもわからなかった。ただ、そんな細かい理由をいちいち尋ねたなら身を翻されることだけは知っていたので、わたしは構わず頷いた。沢山の疑問符を横に置き去りにして。


「行くよ。お招きありがとう」


わたしは頷いて、しかも笑顔さえ振りまいた。
その結果が、彼との寂しくもないけれど満たされているとは到底言えない関係を作り出した。寂しくなどないのに、だからといってとびきり幸福ではないことは不幸なのだろうか。わたしはわからない。幸せな人生であったから、幸福とそうじゃない区別というものが特段にはないのかもしれない。それとも、わたしはひどくにぶいのだろうか。
睦みあうわけでも話し合うわけでも、笑いあうわけでもなく傍にいるわたしはこんなにも不安定なくせに広々となだらかな場所にいる。


「クルル」


名前を呼ぶ。その三文字が愛おしいと思う気持ちは確かに存在して溢れ出しているのに、わたしの声にはそんな感情はちっとも反映されない。


「なんだ」
「昨日、どこへ行っていたの」


昨日、彼は珍しくでかけていた。どうしたのかと思ってケロロに聞けば、睦実くんが突然やってきて「クルル、借りるよ」と言い、文字通り借りられていってしまったという。気安くない人に、簡単に踏み込んでしまえる睦実くんはすごい。それとも、クルルにとって彼が特別なだけなのだろうか。
とにかくクルルは決してわたしのものにならないが、易々と睦実くんにつれていかれたりする。


「妬いてんのか」


ラボの中の彼は、とても孤独に笑う。けれどとても傲慢で、我侭な笑い方なので普通の人は孤独だなんて思わない。わたしは椅子に座る彼の傍に腰をつき、少しだけ首をひねった。
妬いているのか、わたしは。


「いいえ、別に?」


心の底から妬いてなどいなかったのだけれど、わたしは拗ねたふりをした。
だって彼らがお互いを必要だと思うときに呼び合うのはあもりにも自然な行為に見えたから。
それでも拗ねてみせたのは、この退屈な会話に少しでも花を添えるため。
けれどクルルはひらりと椅子から降り立って、わたしの目の前まで歩み寄ってきた。
睦みあうわけでもなく、唇を重ねるわけでもなかったわたしたちが今まで保っていた距離まで彼は近づく。
わたしは彼の瞳をまっすぐに見て、彼もわたしをまっすぐに見て、ふたりともお互いが逃げ出さないようにしっかりと見据えた。たぶん、どちらかが目を逸らしたら、二人で別々の方向に逃げ出すのだろう。
クルルの人差し指が、わたしの胸の中央にトンと着地した。


「妬く必要ねぇよ。……………お前には、くれてやっただろ。俺のここ」


ここ。
心臓の真上に添えられた、小さなゆびさき。黄色い彼の少しだけ恥ずかしそうな声。そしてやっぱり孤独で傲慢で我侭な、笑い方。
わたしは広々とした場所が、突然波立つのを知った。まるで違う種類の幸福がわたしを満たして、濃くて甘いものの中に放り込まれる。そんなものがぐるぐるとわたしの体をめぐって出口を求めてさまよってしまい、最後には瞳から流れてしまった。もう少し、あの甘くて息苦しいものに満たされていたかったのに。


「……………クルル」
「ん?」


彼は泣くなとか笑えとか言わなかった。
だからわたしは自然に泣いて、彼に言葉を送ることができる。


「わたし、欲しかった。それが、とても欲しかった」
「………………鈍すぎだろ」
「うん。…………………でもいつから?」


わたしが首を傾げると、彼は両手をあげてヤレヤレと言うようなジェスチャーをした。心底呆れたというよりは、予想通りというような感じに。
わたしはその様子に、あの場面を思い出す。動く廊下で彼のラボに誘われた日に、了承したわたしの顔を見て彼はこんな顔をした。わかっていないわたしを許すように、ただ漠然と広げた腕のまま、わたしが気づくまで彼は待っていたのだろうか。
わたしは少しだけ勇気を出して、この答えを彼にぶつけてみようと思う。
「あのときから?」と聞いたとき彼が少しだけ押し黙って渋々頷いてくれたなら、その腕に飛び込んでしまっても間違いではないだろう。


























忘れ咲きし花の訴え





(08.08.31)