get away from it all
(逃れられないならいっそ一思いに)
「ケロン軍本部勤務、看護兵と申します。以後お見知りお気を」 ぴっと小さく敬礼をしたは、冬樹に向かってにっこりと笑った。伍長と言い争いをしていたらしい彼女は玄関の呼び鈴をきちんと押して、彼女の考える「地球らしく」出迎えられたに違いない。それなのに伍長は先ほどとは打って変わってつまらなそうな不機嫌そうな態度でそっぽを向いた。 「まったく手土産ひとつにどれだけ時間を食っているんだ、馬鹿が」 「馬鹿とはなんですか。人が真剣に相談してるっていうのに」 は瞳を細めて唇を歪める。まったく、だから女心がわからないんですよ。 また言い争いを始めようとする二人をなだめてとりあえず玄関ではなんだから、と妙に形式ばった口調で言い添えて中に入ってもらった。は気付いたように詫びて、それから頭を下げる。おじゃまします。これまでにないほどの礼儀正しさに面食らった。 居間に通そうと思ったのだけれど伍長に軍曹の部屋でいいと言われ、三人で地下への階段を下りるとそこにはすでに小隊の面々が勢ぞろいしていた。まるで待っていたかのような揃い方だったので、たぶん彼らは正しく待っていたのだ。は、彼らを見ると本当に嬉しそうに笑った。声には出さなかったけれど、一瞬で隣の空気が華やいだ。笑ったのだとわかるほどの濃厚な空気の変わりよう。 「お久しぶりです」 噛み締めるように深々と頭を下げたは、顔をあげれば少し泣きそうだった。瞳を緩く細め、それでも懐かしさに耐えられないと言ったように口元が引き結ばれている。 おかしいな、と冬樹は思う。先ほどの自己紹介からして、彼女は軍曹たちの同僚だろう。それなのに、どうしてこんなにも切なそうに彼らは見詰め合っているのだろうか。今までの来訪者が来訪者なだけに―――ガルル小隊の奇襲に始まり、プルル看護長は地球人に変身すらしていた――――彼女のこの神妙すぎる登場にはいささか不安が持たれた。 軍曹がすいと前に出て、彼らしくやる気のない礼を取る。 「お疲れさまであります、看護兵。ずいぶん遅れたようでありますが」 「そ、それはギロロ伍長が役にたたなかったらで…………」 「はぁ?!貴様言うに事欠いて役に立たないとはなんだ!」 「クーックックッ!手土産の相談をセンパイにしたの選択ミスだぜぇ」 「そうでありますよ。我輩に言えば問題なかったのにぃ」 「…………地球の方々は襲ってくるお饅頭も体の色が変わるジュースも好まれないと聞いたものですから」 どうやら彼女なりに気を使って伍長に相談したらしい。なるほど軍曹や曹長なら、襲い来るお菓子や肌の色から瞳の大きさまで変わるジュースをもってこいと言うだろう。彼らはハプニングを楽しんでいる。結局自分たちが痛い目に合わされるというのに。 は小さくため息をついて、「あ」と声をあげた。それからぱっと視線を動かし、ある一点でとまる。 「はじめまして、ですね。タママさん」 「…………」 はじめまして?冬樹が疑問符を浮かべると、隣の伍長が説明を付け加えた。はタママと入れ替わりで入ったからな、面識がないんだ。タママは憮然とした表情を隠そうともせずに、を睨んでいる。面識がないどころの騒ぎではないような顔だった。 しかしは微笑んだまま、「これからよろしくお願いします」と締めくくった。握手を求めなかったのは幸いだろう。きっとタママは差し出された彼女の手を握ろうとしなかったに違いない。そのくらい不機嫌な顔だった。 そんなタママにはまったく触れず、次にが見たのはドロロ兵長だった。 「ゼロロ兵長もお元気そうで何よりです」 「え、あ…………うん。ちゃんも」 「えぇ。ゼロロ兵長と連絡がとれなくなってるって聞いてわたし心配してたんですよ?」 「あ、うん。…………その」 「ゼロロ兵長はお強いから大丈夫だとは思いましたけど、やっぱりそれでも心配で」 「…………あ」 「うん、でも随分元気そうで何よりです。ところでゼロロ兵長。身なりや口調が大変お変わりになったとか?」 ついに兵長は言葉を詰まらせた。は相変わらずにこにこと笑ったままだが、その笑顔に迫力が加わっている。どうやらは彼がドロロと名を変えたことや地球側に寝返ったことを知らなかったらしい。いや、正確に言えば親密な間柄だからこそもっと早く知りたかったと拗ねているようにも見える。 「それぐらいにしておけ。ドロロだってお前に隠したくて言わなかったわけじゃない」 「わかってますよ、ギロロ伍長。ちょっと怒ってたんです」 だって本当に心配だったんですから、と言い置いてに兵長に向き直る。 「ちゃんと説明してくださいね。わたし、今のお名前も格好も素敵だと思いますから」 「うん、ごめん。ちゃん」 「いいですいいです。また会えたので」 大げさに手を振って、は「それじゃ」と軍曹に向き直った。 そういえば今回軍曹は嫌に大人しいな、と冬樹は思う。彼らのやりとりを見守る軍曹というのはあまり見たことがない。いつもなら我先に会話にでしゃばってくるというのに。 「今回は療養という名目できたわけなんですが、とりあえず本部に聞いてこいって言われたことがありまして」 「ゲロ…………なんか嫌な予感がするでありますなぁ」 「いえいえ、簡単な質問ですから。えっと、侵略は進んでいますか?」 にっこりと笑ってが尋ねる。侵略は進んでいますか。まるで建設中のビルの進行具合をきくようには言う。軍曹は頬をぽりぽりと掻いた。彼はもとより地球人である冬樹の目から見ても侵略は遅々として進んでいるように見えなかった。 はそんな軍曹を見ても、笑顔を崩そうとはしない。 「あーそのー…………あ、あんまり芳しくはないでありますなぁ」 「つまり、進んでないと?」 「そう直接的な言い方では表せないのでありますよ。こう見えないところからぐいぐい迫ってるわけでありまして…………」 「そうですか、わかりました」 にっこり。言いにくそうな軍曹に反しては笑みを深くする。そうですか、よくわかりました。冬樹はその一瞬での手に小さな銀色の物体が握られているのを見つける。小さなそれは先端が赤いボタンで、は躊躇うこともなくそのボタンを押した。 そうですか、わかりました。それじゃあ仕方ないですね。 の声と連動するように冬樹の世界が一変した。隣にいた伍長との間に素早く透明な壁ができあがり、すぐに凝縮したのだ。広々とした部屋のなかに大きな風船ができあがる。その中にいるのはケロロ小隊の面々だ。 「ゲロ?!これは何でありますか?!」 「!貴様の仕業か!」 「はい。もちろんこれはわたしのしていることです。それからこれが――」 別のボタンを押したらしいの手元に分厚い書類が現れた。一振りすると今度は風船の中にその書類が移され、ばさりという無機質な音と共に地面に落下した。 「本部から命じられているはずの報告書一式です。もちろん期日は全て過ぎてます」 「なんだとっ?!俺は聞いてないぞ!」 「拙者も知らんでござる!」 「お二人とも…………隊長とのお付き合いは一番長いと思いますけど」 「クーックックッ、溜めに溜めたもんだなぁ」 「曹長は誤魔化しや改ざんが多すぎます。ある意味嘘よりひどい」 そこで初めては盛大にため息をついた。つまり、ケロロが報告書を溜めることなどはじめからわかっていたことなのだから気付いて当然であり、曹長は気付いていたがやらなかったというわけだ。彼女の口ぶりから彼らが同罪として扱われていることがわかった。そうしてこの風船の意味も。 「24時間、です」 「へ? ?」 「この球体はどんなことをしても割れません。試してもいいですけど、きっと痛い思いをするのはみなさんなのでお勧めはしません。制限時間は24時間…………書類が完成しなくてもどちみち割れるようにできています。けど…………」 「…………け、けど?」 「こちらもオススメできません。時限爆弾の中にいるとでも思ってくださればいい。もちろん、パスワードではずせるようにはなってますが」 ぴ、と指を動かすと彼らの頭上近くに黒っぽい機械が現れる。 「間違うと、どかーん、です」 「ゲ、ゲロォ!そんな怖いもんの中に閉じ込めたのでありますか?!」 「大丈夫ですよ。書類を片付ければ出られます。あ、でも24時間はきっちりいていただきますけど。24時間後に書類が自動的に本部に転送されるようになってます。パスワード以外の一切の干渉がこれにはききませんので」 「そんな…………!ちょ、クルル曹長?!これどうにかして!」 「クーックックック…………無理だぜぇ」 「えぇぇぇ?どってぇ?!」 「そりゃそうですよ、隊長」 だって、とは笑う。あんまりにも清々しく笑うので、彼女は聖母みたいに綺麗だった。 「これ作ったのクルル曹長ですから。ゼッタイに出られない、時間内きっちり反省できる装置を作っていただいたんです」 「まさかオレ達に使うとは予想してなかったがなぁ」 「予想外でなによりです。わたしはその間、地球観光してきますので」 が冬樹を振り向き、まるで何事もなかったような顔を向けた。室内は奇妙な風船がケロン人五人を飲み込んでいる可笑しな状況だ。それなのには少しも動じていない。 「冬樹さん」 「え、はい?!」 「お手数ですが、案内していただけますか? 地球は不慣れなので」 あんまりにもすまなそうに言うので、冬樹は頷いてしまった。じゃあ、お願いしますね。はあっさりと軍曹たちに背を向ける。ブーイングやら怒号やらが飛び交う部屋をあとにして、地上に上がった彼女は声をあげた。忘れてた忘れてた。 「どうしたの…………?」 「これです。お土産。…………えぇと、つまらないものですけど」 そう言って空中から取り出されたお土産は、もちろん動いていなかった。深緑の包みは適度に重く、上品な模様が印刷されている。中身まではうかがい知れないが、なぜだか彼女なら大丈夫だろうと思えた。とりあえず開けた瞬間に襲い掛かってくる種類のものではないだろう。 お土産を抱えて外出の準備をしに二階へ行く。夏美は部活の助っ人で学校に行っているので、の相手は冬樹一人でやることになりそうだった。けれどすごく面白そうだ。冬樹はわくわくした面持ちで服を着替え鞄を背負い、階下で待っている宇宙人の下へ急ぐ。 |