この世界は狂ってる、とアリスは笑った。
わたしは隣で紅茶をすすりながら、彼女の、言葉とは裏腹な表情を見ている。ハートの城でこの世界を狂っているというアリスは、その言葉に似つかわしくないほど穏やかに笑っていた。わたしは肩をすくめて、自分たちしかいないこの場所で同意してあげる。


「そうね。狂ってるかもしれない」
「違うわ。狂ってるのよ」


アリスは二度、念を押すように告げた。わたしは彼女の気が済むように、頷く。
バラの匂いがむっとするほど香っていたので、紅茶の穏やかな香りはわたしをここに呼び覚ますのにちょうどよかった。あるいは、アリスの気もしっかりとこちら側に戻してくれているようだった。
わたし達はこの世界で、余所者と呼ばれている。蔑まれているわけでもなければ、貶められているわけでもないらしいこの言葉に、もう違和感はない。この世界を異質だと認めているわたしにとっては、この世界こそが「余所者」なのだ。
けれどアリスはそれにあまり納得していないようだった。わたしよりずっと前にこの世界に落とされたというのに、彼女はわたしよりもこの世界に納得していない。頭がいいのだと、わたしは思う。ちゃんと物事を整理する頭を持っているから、ごちゃごちゃと落ち着かないこの世界は彼女にとって不可解なままなのだろう。


、あなたは理解できているの?」
「何について?」
「この世界の、『引越し』についてよ」


彼女の目下の悩みと言うやつが、この「引越し」であった。わたしが来てからすぐに「引越し」は行われ、けれどアリスの方がやはりずっと悩んでいる問題。遊園地と時計搭が消えたことが、彼女にとっては一大事らしかった。たぶん、わたしにとってもそうであると、彼女は思っているのだろう。


「驚いたよ。けれど、この世界は驚くことばかりだし、一々難癖つけてたって始まらないもの」
「でも、理解できないし納得できないわ。なぜ時計搭や遊園地が消えなくちゃならないの」
「みんな言っていたでしょう? 彼らは消えたわけでもないし、死んだわけでもない。会えなくなるだけだって。わたし達の引越しだって、会えなくなるほど遠くに行ってしまう人はいるじゃない」


わたしは、あまり気が進まないが自分たちの世界を引き合いにだした。この世界にアリスをもっと馴染ませるためには、こんなことは言う必要はないのかもしれないけれど、そのほうが彼女は理解しやすいだろう。
アリスは少しだけぶすっとした表情をしたものの、一応の納得はしてくれたらしい。ほっとして、紅茶のカップに口をつける。


「でも、は寂しくないの?」
「さみしい?」
「そうよ。だって、はユリウスと一緒に暮らしていたのに」


心底心配しているという表情をするので、わたしはとても優しくアリスに微笑みかけることができた。
いいえ、と首を振る仕草さえも優しくなる。


「寂しくないわ。一緒にいたと言ってもほんの少しだし、ソレだって滞在先を決めるまでの間って約束だったし」
「…………本当に?」
「本当よ。さよならを言えなかったのは、確かに心残りではあるけれど」


本心だったし、嘘だった。この世界にいきなり落ちたわたしにとって、ユリウスの存在は安定剤のようなものだった。搭での暮らしを許してくれたけれど、滞在先は自分で選べと突っぱねられた。そのくせ他の場所についての意見を求めると、まったく参考にならない嫌なところばかりをあげつらねるような偏屈だった。けれどユリウスはわたしにとってこの世界で一番最初に出会った人で、優しくしてくれたのも彼が初めてだったから、クローバーの世界になって彼がいないのは、とても不安になる。
そうだ。寂しいのではなく、悲しいのだ。悲しく不安で、だからアリスにこのことは絶対に言わない。迷惑をかけるだけの言葉に意味なんてないから。


「ねぇ、アリス。わたし決めたの、滞在先」
「えぇっ? 本当に?」


突然のわたしの告白に、彼女は素直に驚いてくれた。引越しを終えて、突然クローバーの搭に投げ出されたわたしは、とりあえずアリスのいるハートの城に身を置いていた。彼女とは同じ境遇同士、とても気が合うのだ。(主にこの世界の「狂ってる」部分について)
ビバルディはずっとここに居てかまわないと言ってくれているが、そうもいかない。わたしは自分で答えを出したかった。そしてやっと答えを出せたのだ。それを彼らが納得してくれるかどうかはわからないけれど。
わたしがこの数時間帯で出した答えを言うと、アリスは目を白黒させて「本気?」と呟いた。彼女らしい、とても現実を見据えた真摯な瞳に安堵する。彼女がここに居てくれてよかったと思った。


「本気よ。そして、これは『会合』っていうので皆に発表するつもり」
「あぁ、ビバルディが言っていた無意味な集会?」
「そう。無意味なんだもの。何を言ってもいいはずだから」


笑って、わたしは胸を張る。アリスは驚いたまま、「がんばって」とそれでもエールを送ってくれた。わたしは薄く笑って、少しだけどきどきしながらバラの花と紅茶の香りを肺いっぱいに吸い込む。






































パラレルラインの哲学議論



(08.10.06)