「あの、わたしからひとつ、報告したいことがあるんだけれどいい?」


会合やら集会やら、どうでもいい言葉で集まった彼らを前にしてわたしは腕を伸ばした。まっすぐに腕をあげて、司会者であるナイトメアに主張すると、彼は威厳をもたせようとたっぷり間をあけてから寛大に微笑んで見せた。


、か。全員への報告かい?」
「えぇ。けれど、提案と言ったほうが正しいかもしれない。もしあなたが許してくださるなら、わたしはここでそれをしたいのだけれど、いいかしら」


恭しく礼をすると、ナイトメアは今までの散々な司会っぷりがなかったかのように嬉しそうにする。なんというか、非情なこの世界でも可哀想な部類に入ると思う。ナイトメアのだめっぷりに、わたしは同情したのだ。
彼は本当に嬉しそうに、「わたしの顔に免じて、の発言を聞いてやってくれ」なんて声を張り上げてくれた。そんなことせずとも全員の目がわたしに注がれていたので、なんとなく白々しくなってしまう。わたしはちょっと苦笑して、緊張に胸が高鳴るのを感じながら、声が出るように息を吸う。


「大切なお時間を頂いて、ここに提案をさせていただきます。わたしはこの世界で、まだ滞在先を決めていませんでした。仮の滞在先としてユリウスのところにご厄介になっていたのだけれど、この引越しで彼はいなくなってしまった。それで、わたし、思ったの」


声は全員に届いているのだろうか。自分の世界でだってこんなに大勢の前で話す機会なんてなかったので、心臓が五月蝿くて自分の声がよくわからなかった。加えて、今から言うのは生きてきた中で最高の我侭だ。だから、とてもどきどきする。


「わたしは、滞在先を決めません。この世界の引越しがくるくると回るように、わたしも滞在先を移動したいの」


ざわ、と部屋の中の空気が不自然な声で満たされた。誰の声か判別がつかないくらいのざわめきだった。わたしは一呼吸置いて、全員を見渡す。後悔はなかった。


「質問なんだが」


すっと通る声がざわめきを割って、わたしに届く。ブラッドだった。彼はちっとも驚いていない顔をして、けれど決して笑いもせずに、わたしをひたりと見据えている。


「それは君が私たちの住居を移動したい、という意味か。一定の場所に住み着かず仲間にもならず、けれど住居だけは提供しろと?」
「えぇ、そういうことよ。ブラッド」


彼の意見は的を得ていた。そして、わたしはそれを力いっぱい肯定する。


「わたしはどこにも住み着かない。そして許されるなら、みんなと一緒にいたいと思ったの。もちろん住まわせてくれるだけのお手伝いはするつもりだし、これはわたしの我侭だから、拒否されて当然だと思ってる。だから、わたしは住む場所を失ってもかまわない。どこへでも行こうと思うし、なんとかやっていこうと思う。自分の答えには責任をもつつもり」


ブラッドは納得したのかしないのか、少しだけ疲れたように肩を落とした。
わたしはここに来ているグループの元締めを見る。ビバルディ、ブラッド、ナイトメア、そしてグループに属していないという点でボリスも。みんなに認められるなんて、思ってはいない。ビバルディは思い通りにならないことがキライだし、ブラッドはマフィアだ。ファミリーにふさわしくないこの申し出は、ありがたいわけがないだろう。ナイトメアはわからないけれど、きっと彼の側近であるグレイは止めるに違いないと思った。ボリスは受け入れてくれるかもしれないけれど、それと同じくらい放任主義の彼のことだから期待はできない。
わたしは少しだけ沈んで、絶望的に微笑んで見せる。


「虫のいい話だっていうのは百も承知してる。余所者の分をわきまえてないってことも。…………でも」


わたしはアリスとは違う。ハートの城に住み、そこに愛着を持っている彼女とは大きく異なっている。彼女が城と一緒に引越しできたように、けれどわたしが時計搭からはずされたように。根本的に、考え方が違うのだ。


「でも、わたしはいつか必ず元の世界に戻ろうと思ってる。だから、ひとところに留まってしまうことは出来ないの」


アリスはこの世界を選んだけれど、わたしは選ばないのだ。元の場所に帰ることを、わたしは決めてしまっている。そして、そのためにはどこかに滞在してはいけないことを、アリス自身から学び取った。
この世界は狂ってるくせにあまりにも優しい。気持ちが揺らぐほどに、自分をはぐくんだ世界を捨てさせるほどに。だから、わたしは理解や納得はしても、感化だけはしないと決めた。


「よいよ」


わたしが不自然なざわめきの中で前を向いていると、優しく高い声が届いた。ビバルディだと気づいたのは、彼女が立ち上がったからだった。痩身の彼女によく似合うスーツ姿のままで、彼女はわたしに向き合う。


「よいよ。お前が好きなようにおやり。それにときどき来られれば、わらわの退屈も少しはまぎれよう」


にっこりと、わたし以外ではアリスにしか見せることがない笑顔で彼女は答えてくれた。わたしはいの一番に彼女に拒まれるものだと思っていたので、少し拍子抜けしてしまった。


「あ、ありがとう。………でも、ビバルディ、本当にいいの?」
「くどいよ。わらわがいいと言ったらいい。それとも断ってほしかったのかい」
「ううん!嬉しいよ!」


思い切り首を振って否定すると、彼女は満足したように笑った。


「素直なのはいいことだよ。それにわらわはそこらにいる心の狭い男どもとは違う。お前の可愛い我侭くらい許容してやれるさ」


う、と詰まったのは、たぶんわたしとアリスだったに違いない。挑発しているのだ。彼女は好戦的で美しい女王さまだった。


「聞き捨てならないな。一番の暴君に心が狭い呼ばわりされるのは」


そしてそんな挑発にのってしまうのが、この世界の住人たちなのだった。こつ、とテーブルを叩きながら、ブラッドは気だるげにビバルディを見る。


「おや、誰とは特定しなかったのだが………どうやら自覚だけはあったらしい」
「あいにく、私は自己認識について語る趣味はないのでね。……


早々にビバルディとの会話を切り上げて、ブラッドはこちらを見た。見た瞬間に、いつもと同じように少し身が竦む。この人はいつもそうだ。目が笑っていない。


「君の申し出は確かに勝手だ。だが、私はそういったこともキライではない。加えて、君の意見ももっともだ」


ブラッドは微笑む。やっぱり目は笑っていなかったけれど、わたしは心のどこかがほっとする。


「いいだろう、私は君の申し出を受けるよ」


ブラッドがそういうなり、今度はナイトメアが自分を差し置いてとかなんとか言って、わたしを受け入れることを承諾してくれた。わたしはトントン拍子に話が進むことが怖くなって、ありがとうと謝罪の言葉を口にしながらどこか遠い気持ちになった。この世界は狂っている、と言ったアリスの顔を思い出す。わたしは今の感情を、あのときのアリスそのものだと思う。人は結局、自分を大切にしてくれる何かに抗えはしないのだ。
最後にボリスが「いいんじゃないの」と締めて、この会合は終わった。久々に意味があったな、と誰かが口にするのが聞こえた。わたしは席についたまま、アリスが声をかけてくれるまで放心していた。嬉しかったのではなく、悲しかったわけでもなく、悔しかったわけでももちろんないのだけれど、ちょうどそれらの感情を少しずつまぜていったみたいに曖昧な感情が溢れていて、わたしは息が出来なかった。
傍にいてくれるアリスの腕をとって、わたしは泣きそうに笑った。彼女はきょとんとしたあとに、わたし達が共有する同じ表情で、わかっているわと微笑みあった。






















誰も選ばないふしだらな高潔

(08.10.06)