例えば、わたしはどんなところでも順応できると思う。 引っ越しをする前、時計塔にいたころはユリウスの世話がわたしの仕事のすべてだった。彼は眠ることも食べることも管理を必要としていたし、日光にあたることと適度に運動することが肉体にどれだけいい影響を及ぼすかということも教えなくてはならなかった。その一々に五月蝿いと反抗されたが、本気で追い出されたことはない。ハウスキーパーとしてのわたしは少しは優秀だったのかもしれない。時折、ふらりとやってくるエースとのやりとりはユリウスとは違って少し疲れたけれど、それ以外はさほど困ったこともなかった。 例えば、ハートの城でメイドとして働いていたときもゆっくりと確かに慣れていった。滞在先をどこかに決めなければいけなかったので、ユリウスに進められて一通り権力者たちの住処を渡り歩いた。そしてただ飯を食らうわけにもいかなかったので、自分にできることをしたのだ。あんまりにも出来る仕事というのが家事に偏っていたのは悲しい現実だったけれど。 だから、ハートの国でのメイド経験、帽子屋屋敷での使用人経験、それに遊園地での係員経験など、それなりのことをわたしはそれなりにこなせるようになった。そしてそんなふうに「それなり」で許されてしまうのが、この世界なのだと理解もした。 「それなり、ね」 考えて、わたしは笑いたくなった。それのどこがいけないのだろう。もしくは、それのどこに不満があるのだろう、というふうに。 自分のいた世界を美化するあまり、わたしやアリスはしばしばこの世界の矛盾点について悩んでしまう。けれどそれは本当にこの世界特有の矛盾点なのだろうか。 元の世界だって、誰も彼もが毎日を完璧に作り出せていたわけではないのだ。「それなり」に過ごしている人のほうが多かっただろうし、それで満足している人だっていたと思う。毎日に変化がないような人の生活だって結局言ってしまえば「それなり」なのだ。 「結局、ないものねだりなのかもしれない」 誰もいない森の中で、わたしは呟く。誰に聞かすためではなく、自分と語り合うために。 ユリウスはわたしを「ポジティブなくせに思考が暗いな」と評した。それはあたっている。わたしは実にポジティブにものを考えるが、その根底にあるのは諦めと冷笑の沈んだ考えなのだ。 正真正銘の根暗だった彼に言われたくはないけれど。 「…………わたし、ここでの生活を愉しむよ」 帰らない理由はそれだけだった。この世界は可笑しいけれど、捨ててしまうには惜しいのだ。地形が引っ越すなんて思ってもみなかったし、知らない人に出会えた。それだけでも充分に価値がある。 だからこの世界に囚われる一瞬前まで、わたしはここにいることを決めた。 「………ユリウスには感謝してる」 声に出したのは、それを受け取ってくれる相手に会うのが困難だったからだ。もう会えるかなんてわからないし、きっと高確率で会えないであろう、友人。 わたしを受け入れてくれたのに離れてしまった。それはそのまま、わたしの心が彼から離れていたことを指すのだろう。だって、アリスは城と移動できたのだ。城と心を一緒にしていたから、移動できた。 わたしは瞳をつむる。そしてお別れの準備をした。お別れを言えなかったので、少し辛かった胸の奥で、手を振った。 「ユリウス………ありがとう」 言ってから、胸の奥で苦笑する。 さよなら、と言えなかったのは、言いたくなかったからだ。白状すると、わたしは危なかった。もう少しで囚われてしまうところだった。時計塔の主に囚われて、それでこの世界にとどめられてしまう可能性を持っていた。 引っ越しをしてよかった。わたしはアリスほど優しくなかったので、そのことに心底安堵してそう思う。 |
利己主義者の恋愛
(08.10.06)