「! あんた、俺たちの屋敷に来てくれたんだな!」 大きな声がして、振り向くと声に相応の大きな人がいた。この世界の男性は相応にして背が高いが、それに比べても大きいと感じる人だった。それなのに、ウサギ耳なんてつけているのだから可愛く見えてしまう。たとえマフィアのナンバー2だと言われようが、体が大きかろうが、ウサギ耳をつけている限り可愛い人にしか見えない。 「エリオット」 「おぉ! ブラッドからが来てるって聞いて、急いで来たんだ。アンタ、気付くとどっかにいっちまいそうだから」 彼は嬉しそうに言ってくれるが、内容はどうにも皮肉的に聞こえた。どこにでもいけるわたしは、彼らの言う敵対関係のどれにも当てはまらないものを選んだ。元々わたしに敵はいなかったし、作るつもりもない。この世界は狂っているのだから、わたし一人道理をはずれたところでどうってことないだろう。 「喜んでくれてありがとう。エリオットは、仕事中?」 「あぁ。そうなんだが、アンタと話すからって抜けてきた」 「え? いや、戻っていいから。移動はするって言ったけれど、すぐにどこかに行くわけじゃないし」 わたしが手を振ると、エリオットは朗らかに笑う。いいんだ、とでも言うように。寛容な男の人の笑顔と言うのはとても優しく見える。 「いい。俺の仕事が忙しいのはいつものことだしな。それに悠長に構えてたらあの双子にアンタをとられかねない」 「とられるって………。わたし、そんなに面倒見がいいほうじゃないんだけれど」 アリスならともかく、わたしは子供というのが割りと苦手だ。いつも楽しそうだし、楽しくあろうと頑張っている姿を見るとなんだか距離を感じる。こうはなれないと感じるし、そんな過去があったとは思えない。 ディーもダムも、だからそんな風に純粋な子どもなら嫌いになっていたのかもしれない。けれど、彼らは純粋でなければ子どもらしい子どもでもない。残酷で、子どもであることを楽しんでいる子どもだった。本当の子どもは自分が子どもであることにさえ気付きはしないのに。 だから、わたしは彼らを嫌いになったりしないけれど好きになったりもしない。 「でも、アイツらは強引だろ? アンタは拒否するだろうけど、面倒くさくなったらついていきかねない」 「………違う、とはいえないのが嫌だなぁ」 「だろ。アンタはアリスほど警戒心がないから、心配なんだ」 本当に心配そうにわたしを覗き込むエリオットは、わたしと違って優しい。 アリスは心配性で、わたしよりも随分真面目だ。この世界の誰に対しても、対等であろうとする。そして真摯に受け答えをする。彼女の答えにはおおまかに嘘がないように見えた。それか相手のことを思ってオブラートに包もうとしていることが、わかった。 わたしにはそれがない。やりたいことはやりたいと言うし、相手が傷つくことも平気でしてしまうだろう。こう言ったら傷つくかもしれない、なんて深読みはできない。 「エリオットは心配性なのね」 「………アンタが無防備なのも問題だと思うぜ」 「これでも考えているのよ? 考えて、行動している。でも正しいかどうかはわからない」 正直に話すとすっとした。エリオットは首をかしげたけれど、理解できるのは自分だけでよかったので説明はしなかった。 エリオットはとても優しいので、わたしは自分の本音を少しでも彼にわかってもらいたいと思ってしまう。それは弾けるような一瞬に思うことで、言ってしまってから後悔する類の本音なのだけれど、彼が機嫌を悪くしたことはなかった。いつでも受け入れてくれる、ウサギ耳の優しいお兄さん。 「とにかく、大丈夫。危ないと思ったら逃げるし、わたしは屋敷から出て行くことも出来るんだから」 「…………」 「エリオット?」 安心させるように言ったつもりだったけれど、彼は途端に黙ってしまった。黙って、とても怖い顔になる。眉間にぎゅっと力が入ったような顔だった。 「アイツラのせいでアンタがここから出て行くことになんてなったら、俺はアイツラに何するかわからねぇぜ」 「え?」 「たださえアンタがここに居てくれる時間は短けぇっつーのに……双子のせいでアンタが俺の傍を離れるようなことがあれば、俺は本気で」 「エリオット!」 急いで彼の服のすそを掴んだのは、彼の言葉をそれ以上聞きたくなかったからだった。彼は心底不思議そうにわたしを見る。彼にとっては本気の言葉だったものだけれど、わたしにとっては冗談であってほしい言葉だった。 ウサギは自分に正直で、欲望には特に素直なのかもしれない。 いつか、アリスを追うペーターを見ながらわたしは思った。アリスもそれに頷いて、だからとても厄介なのだと肩で息をしていた。あのとき、彼女は息苦しかったに違いない。エリオットの言葉にわたしが息苦しさを感じているように。 「? どうしたんだ?」 「……………なんでもない。ホントに大丈夫だし、わたしは双子に負けたりしないから…………エリオットは安心して、仕事をして」 服のすそを掴んだまま、わたしは渾身の力を振り絞って笑った。 「それで余裕ができたら、わたしと遊んでね」 ぱっと顔を輝かせたエリオットは、「もちろんだ!」と嬉しそうに声をあげた。わたしは彼のその笑顔に救われる。わたしの心の汚い部分を知らずに微笑んでくれる人がいるということにどれだけ助けられるかなんて、この世界に来て初めて知った。 エリオットはお前の望むように優しいだろう。 いつかユリウスにそう言われた。言った彼は、自分で言い出したくせにとても不機嫌そうだった。わたしはワケが分からなかったけれど、それはとても真実だったので頷いた。彼の笑顔はわたしを救済する。その素直で実直な、本能にしたがった欲望も。 「ウサギ、だからなのかな」 仕事に出かけてしまった彼の後姿を眺めながら、わたしは小さな声で呟いた。 ハートの城で、今日も追われ続けるアリスにこの話をしたら楽しそうだなと思った。もしかしたら、ウサギに弱い女の子がこのワンダーランドに招かれるのかもしれない。 |
花と見るか毒と見るか
(08.10.06)