「! ここに居たのか。探したぜ」 昼間、混雑する宿屋の一階は定食屋さんなので大忙しだ。森に住む間はこの宿屋が仕事の場となっている。そんな中、まっすぐにわたしに向かう人がいた。すぐにボリスだと気付いたのは彼がピンク一色の派手な色あいだったからだし、周りが役持ち特有のざわめきを醸し出したせいでもある。この世界の顔なしと呼ばれる人たちは、役持ちの彼らを大層怖がっているし敬っていた。 ボリスはちょっと出よう、とわたしの腕を掴んだ。わたしはワケが分からず、けれど大混雑の店の状況を放っておくことも出来ず――無断で抜け出すなんて良心が許さない―――とりあえず一段落つくまで待ってと言い置いて、店内に引っ込んだ。店長にワケを話し、理由もわからないが相手がボリスだということで店長は快く納得してくれた。それからいっておいでと優しく背中を押される。わたしはいい加減に仕事を切り上げるわけにもいかなかったので、片付けなければいけない分を終わらせてから店を出た。 店を出ると、営業妨害としか思えない不機嫌なボリスが店の壁に寄りかかっている。 「終わったよ。正確には終わらせていただいた、だけど」 「…………わ、悪かったよ。ちょっと急いでいたんだ」 「へぇ? それでなに。さぞかし立派な用事なんでしょう」 店の前から歩き出し、わたしはボリスに意地の悪い笑みを向ける。この世界の住人が彼らには歯向かえないので、わたしは彼に対して時折反抗的になる。理不尽さが許せないし、それができないなら代わりにわたしだけは屈しないでいようと思うのだ。 ボリスは鼻の頭を掻きながら明らかに不機嫌なわたしを持て余している。 「その、ごめんて。俺も悪かったよ。なんていうか、思ったらすぐ実行に移しちゃいたくてさ。ほら、善は急げって言うだろ?」 「それが本当に善ならばね。それで、なんなの?」 にこやかに応対するわたしの声はちっとも笑っていない。 ボリスはあ〜〜っと声をあげながら、やがて罰が悪そうに呟いた。 「…………ドレス」 「は?」 「だっから!ドレスを選びにいこうって言おうと思ったんだ。もうすぐ会合だし」 わたしは言われた瞬間にぽかんとしてしまった。確かに会合は正装で向かわなければ行けない。ボリスもスーツを着るし(あれを正装と言っていいのかはわからない)他の面々だってきちんとした装いになる。もちろん、わたしだって前回の会合では―――どこにも滞在先を決めないと発言したあの会合だ―――正装をしていた。黒いドレスで、アリスのようにフリルのついたワンピース。もちろん見立てたのはビバルディだ。 「前回着たものがあるから、大丈夫よ。それとも変だった?」 「いや、変じゃない。あの女王様にしてはマトモなチョイスだったと思うぜ? でもさ、それってハートの城の代表で会合に参加したときの服だろ」 ボリスは自分で言いながら、先ほどのように不機嫌になる。わたしは一瞬思い浮かんだ想像を、けれど必死にかき消した。まさかそこまで子どもじみてはいないはずだ、と。 「今は森にいるんだから、違うドレスを着るべきだと思うぜ。もちろん、俺が見立てるし、買ってやるからさ」 「あ」 ありえない。まさに子どもじみた発想の先にあった答えに、わたしはうんざりと視線を落とす。まるでおもちゃに名前を刻む子どものようだ。中身はどうであれ、自分のものだと主張したがる。 わたしは大げさにため息をつく。 「いらない。買ってもらう理由がないもの」 「理由は、だから」 「わたしはわたしでしょう。何を着ていたって、それは変わらない。傍にいても不安になるんだったら、何を着ていたって同じでしょ」 彼の不機嫌よりも、わたしの不機嫌の方が増した。何しろ仕事を中断してまでつき合わされたのが、こんなに下らない子ども特有の独占欲だなんて阿呆すぎる。 あまりにも呆れたのでわたしはきびすを返して帰ろうとした。ボリスには悪いけれど、時と場合を考えて欲しいと思いながら。 けれど、それは馬鹿高く明るい声に遮られてしまう。 「あ、ボリスに!こっちこっち!」 この声は。 振り返ると、彼曰く保護色の役割もあるスーツ(のようなもの)を着たピアスがいた。わたしは彼の楽しそうな表情とぶんぶん振られる腕に、この計画を理解していることを知る。 隣でボリスは少し罰が悪そうな顔をして、小さな声で「馬鹿ネズミ」と零した。 「ね、ね! ボリス、にはちゃんと話したの? なんだか固まっちゃってるよ」 「話したっツーの。馬鹿ネズミとは違うんだから、その辺はぬかりネェよ」 「ぴっ?! 馬鹿? 馬鹿って言った?! ひどいっひどいよ! 俺が先ににドレスを贈ろうって言ったのに!」 「でも店を探したのは俺だし、ここまでを連れてきたのも俺だろ? ピアスは役に立ってない」 「ぴ、ぴぇ。だだだって、チーズ色のドレスがいいと思ったんだもん」 「ほんっとに馬鹿だな。正装ってのは黒なんだよ。もしくはシックな色合い。黄色なんて舞踏会でだって着ないっツーの」 もはや半分泣いているピアスにボリスはずけずけと捲くし立てる。多分、わたしの不機嫌さに当てられたことが面白くなかったんだろう。わたしは目の前で繰り広げられるいじめにこめかみを押さえた。 つまり、ピアスの提案をボリスが実行したということだろうか。こんなに仲が悪いのに、そこだけは一致団結して? 「、」 悩むわたしに、ピアスが駆け寄って大きな瞳をうるうるとさせる。 「もしかして嬉しくなかった? ドレスを贈るのは迷惑だった?」 「えぇと…………」 「でも、は今森いるんだから、俺たちの選んだものを着るべきだよ。そうすれば、すごくが近くなった気がするんだ」 うるうるうるうる。年齢を問いたいと思った。そうすればこんな攻撃はきかない。 わたしは明らかにピアスの勢いに気圧され、一歩後ずさった。先ほどまでボリスにあれほど強気でいたというのに、どうしてか断れない。 「まぁ、馬鹿ネズミも時々気が効くってことでさ。俺たちからドレスを贈らせてよ」 「ボリス」 「そりゃ、仕事が終わってからでも充分間に合ったっていうのはわかるよ。が怒るのもわかる。でも、すぐに言いたかったんだ。がドレスを着た姿をすぐに見たかった」 ボリスは物分りのいい彼らしく神妙な面持ちで、あきらかな口説き文句を吐き出す。 臆面もなく甘い台詞を吐く彼は、ホストにしか見えない。ときめかないわけではないが、本や映画と違って目の前でいざ言われると対処に困るのだ。 わたしはもう観念することにした。ドレスを贈られるのを、これ以上拒否する理由がない。 「わかったわ」 疲労感のままに息を吐き出し、わたしの答えを待っていた二人に微笑む。 「ドレスはもちろん嬉しい。ボリスが反省してくれるなら、わたしが断る理由もない」 「そ、それじゃあ、ドレス着てくれる?」 「えぇ。実物がいた方が着せ替えのし甲斐があるでしょ」 ピアスがぱぁっと明るい顔になり、ボリスも安堵した表情になる。 三人で連れ立って歩きながら、なんだかとても奇妙な気分になった。大切に扱われていることに、支障はない。支障はないのに、それを抜け出すのは困難だとさえ思った。困難で厄介、あまりにも都合が良すぎるために、わたしは自分で自分の首を締めているのかしれない。 帰りたいと強く願え。そうでなければ、帰れなくなるぞ。 耳の奥で、ユリウスが忠告するのが聞こえた。天気のいい昼間、低い声が頭の中で反響する。わたしは足の裏の感触を確かめて歩き出す。この足で来た道を戻るのだと意識しながら。 |
輝石の塵
(09.10.24)