相変わらず痛々しくて、見ていられない。 円卓上になった机の端で―――人数において森の住人はマフィアやハートの城の兵士たちより随分少ないので追いやられる形になってしまう―――全員の視線の先にいるナイトメアを見つめた。 彼はこの会合の主催者だ。仕切る義務があるし、本人もそうだと理解している。それなのに、宿題を忘れた子どもの言い訳のようにしどろもどろになりながらとろとろと議事を進めるさまは、あまりにも居たたまれない。正確には彼の部下が、もっと言えばグレイが可哀想になってくる。きっと彼は上司のためにカンペでも出し物でもどうでもいい問題でも用意していたに違いない。それなのに、ナイトメアは全てを押し切ってあそこでまごまごしているのだ。上司の威厳なのかもしれないが、全員の前で恥をかいている時点でそんなものは小指の甘皮ほどもない。 「…………、」 小さな声で、ピアスがわたしに語りかける。わたしはナイトメアを見つめたまま「なに」と返事をした。 「、あんまりナイトメアを見ないであげて」 「…………どうして?」 ピアスはこそっと口に手をあてて、わたしに囁く。彼にしては気の利いた仕草だ。ピアスは少しだけ悲しそうにして、いつもの彼らしく真実しか口にしない口調で言う。 「、泣きそうだよ。ナイトメアがかわいそうだって思ってるでしょう? でも、それじゃナイトメアが泣いちゃうよ」 「…………」 ネズミに諭されてしまった。 わたしは驚いて視線をナイトメアからはずす。自分がどんな顔をしているかわからなったけれど―――とても悲壮な顔をしていたとは思う―――他人にそうとわかるほど同情に満ちた目をしていたのなら悪いことをした。変にプライドの高い彼のことだ。わたしの心は覗きにくいらしいが、顔に出ていればバレてしまうだろう。 隣でボリスが「でもあれじゃあなぁ」と口元を引きつらせながら呟く。 「が同情したくなる気持ちもわかる」 「いや、そうじゃないんだけど…………」 限りなく同情に近い、けれどつい最近まで仕事を手伝っていたものとして、彼のことを心配なのも本当だった。グレイが何度もナイトメアを諭すように「あなたはやれば出来る方なんです」と言っていたのを思い出す。世話焼きがいなければ生きていけないタイプの人種であるナイトメアは、まだまごまごと何か言っている。 わたしはいっそ手を合わせて祈りたくなった。この人がもう少しまともに司会が出来ますように――――――なんて確率の低い希望なんだろう。 とうとう見ていられなくなって視線をはずすと額を押さえたグレイと目が合った。わたし達は同じ疲労感とやるせなさに襲われながら、微笑みあう。 「。ちょっとこちらへおいで」 とろとろとした開会のあいさつも済み、ボリスとピアスが昼寝をしに部屋に引っ込んでしまうとわたしは途端に暇になってしまった。厄介になっている宿屋には休みをもらっているので、時間には余裕がある。何もしないくらいならナイトメアの激励にでもいこうか、と思って席をたった瞬間にその声はわたしを捉えた。 高く澄んでいて、常に断定的で意思を持った声。 「ビバルディ」 「久しぶりだね。あんまりにもお前が戻ってこないから、わらわは暇で仕方ないよ」 まるでハートの城がわたしの本当の滞在先であると言わんばかりに彼女はため息をついた。こんなふうに強引な女王様をわたしは嫌いではない。むしろ、その強引さの内に秘めたわたしやアリスだけに向けられる優しさを好ましいと思ってもいた。 ごめんなさい。わたしは謝りながら席を立ち、彼女の傍に立つ。もちろん懐かしい面々――宰相であるペーターと騎士のエース、それに余所者仲間のアリス―――に、あいさつは忘れない。けれど、不意にビバルディの眉間に皺がよった。あまりにも見事に不機嫌メーターが振り切れたのをわたしは目撃する。 「…………、わらわがやったドレスはどうした?」 疑問符は、あまりにも的確に心配事を直撃してくれた。 わたしはにっこりと笑ってはいたものの、少々どころではなく罰が悪くなる。前回の会合のときビバルディにドレスを貰った。アリスと似た、それでいてシャープな感じの―――ひだが少なく、胸元に小さな薔薇が咲いている―――ドレスだ。しかし、現在わたしが来ているものは黒と言うよりは濃紺に近い色合いの、鎖骨が開くタイプのドレスだった。所々に控えめな黄色の刺繍が施されている。そして極めつけがリボンだった。大ぶりだが品のいい、こちらも黄色の刺繍がされているものが生身の首にきちんと巻かれている。 わたしはどう弁解しようか―――いや、そもそもこれは弁解するべき類のものなのか――迷いながら、「えぇと」と口に出す。しかし、それはビバルディの不機嫌な声に一蹴されてしまう。 「ふん。何も言わずともわかっているよ。あの忌々しいネズミと猫が原因だろう」 「え、あ〜……うん、まぁ」 原因と言えば原因だった。あちら側で着ていた服は駄目だなんて理由でわたしは彼らのドレス選びにつき合わされ、彼らの嗜好にあうものを見つけるまで何十着と着替えをさせられた。もうしばらくは着替えなどしたくもないほどに。 ビバルディはわたしを頭のてっぺんからつま先までじろりと眺め、苛立たしげにそっぽを向いた。 「気に入らぬ。わらわが贈ったものの方がよほど美しい」 「ビバルディ」 「だいたい首元のリボンが好かぬ。そんなもの、まるでどこぞの猫のような―――」 そこまで言ってビバルディははっとした顔になる。わたしは対照的にしまったという顔をしていただろう。彼女の隣にいたアリスも気付いたように顔を引きつらせた。部下の兵士やメイドさんも一様に同じ顔をする。 それなのに、こんな場面でも空気を読まない騎士は渇いた笑顔を向けた。 「あぁ、なんだか見たことあるなぁって思ったら、それボリスのリボンとお揃いなんだな。それじゃ刺繍はネズミくんと一緒ってこと? 滞在先のやつらとお揃いなんて、随分仲が良くなってよかったじゃないか」 ちっとも良いなんて思ってないくせに、エースはハハハと空笑いを続けている。わたしは先ほどのナイトメアの司会っぷりを見ていたときよりも激しい頭痛に襲われた。この騎士だけは一度痛い目にあわせたほうがいいんじゃないかと本気で思う。 しかし彼の言うとおり、リボンは頑としてボリスが譲らなかった部分だし、チーズ色が駄目なら刺繍だけでもと粘ったのはピアスだった。 わたしはなんとか穏便にこの場を収められる言葉を探す。 「えぇと、ね? ビバルディ」 「…………」 「わたし、別にビバルディが贈ってもらったものを粗末に扱ったわけではないのよ。ただわたしは今森の住人として出席しているわけだから、ちゃんとけじめはつけなきゃいけないと思うの」 「けじめだと…………?」 ショックを受けすぎて固まっていたビバルディが顔をあげた。わたしは慎重に「そう」と頷く。気分は猛獣使いだ。 「服はその場にそぐうからこそ、もっとも輝くと思うの。場所にあった装いがある」 「わらわの選んだドレスは、会合には不似合いだと?」 「違うわ。わたしはあなたの隣にいないのだから、あのドレスは着るべきではないのよ」 ビバルディが虚をつかれたような顔をする。わたしはその隙を見逃さなかった。 「あなたの選んだドレスは、会合のためのドレスよ。けれどそれ以上に、あなたの隣にいるためのドレスなの。あなたの傍でこそ、一番輝いてみえる」 ビバルディにもらった服はとても大切にとってある。本当に大切だから、理由もちゃんとした現実味を帯びる。 わたしは心の底から笑ってみせた。 「だからあなたの傍以外で、あのドレスを着させるようなことを言わないで」 切実に訴えたつもりだった。もちろん、こんな場面に遭遇し慣れていないわたしは誰の目にも切実に映ったことだろう。ビバルディは常の彼女ではありえないほどの動揺を見せて―――まばたきを二度、そして少しだけ逡巡するような仕草―――けれど最後には「仕方のない子だね」と微笑んでくれた。 「お前は賢いね。わらわの聞きたい言葉をくれる」 「そう? でも、ビバルディが喜んでくれたなら嬉しい」 「…………あぁ、今回は許してやろう。その代わり、わらわの隣であのドレスを着たお前を早く見せておくれね」 ビバルディはそれだけ言うと、側近を連れて部屋を出て行った。取り残されたわたしは、アリスと目配せしてちょっと疲れたように笑いあう。 許してやろう。ビバルディはそう言ったけれど、これで何度目になるのだろう。彼女がわたしに許さなかったことなどあっただろうか。ユリウスの下からたびたび遊びに行ったときも、彼女の元で衣食住を世話になっていたときも、彼女は何一つわたしのすることを否定しなかった。もしくは、わたしが彼女の思うとおりにならなかったことがない、というのかもしれない。 都合がいいのはどちらにとってなのだろう。わたしは瞳を伏せて考える。それが自然体であるのならばどんなにいいだろう、とも。 けれどわたしの思考は、肩に置かれた手によって遮られた。振り向けば、シルクハットに赤い薔薇。 「ブラッド」 「話は聞いていたよ、お嬢さん。君の言うとおり服はその場にあったものを着るべきだ。同伴者にそぐうようでなければいけない」 「え、えぇ…………?」 いきなりの登場にわたしは少々面食らったが、次に彼の口から出た言葉にはもっと驚いた。 「期待していたまえ。私が君に最高のドレスを贈ってあげよう。私の傍で一番輝くようにね」 言葉が暴力になると知ったのはそのときだった。後頭部を思い切り殴られたような衝撃のあと、ブラッドが意地の悪い微笑みを残して去っていくまでわたしはその場を動けなかった。 ブラッドの趣味…………。それはあの帽子やメイド服や屋敷のあれこれを作った彼の根本という意味。 「アリス…………」 「な、なに?」 もうすでに事態を察したアリスは、わたしに同情よりも哀れみの籠った視線を向けている。 わたしはどうかこれだけはという願いを込めて、呟く。 「もしわたしが薔薇付き帽子を被っていても、友達でいてね」 まるで絞首台にあがる死刑囚のような諦めと絶望を混ぜ込んで、友達を失ったらブラッドのせいだと半ば八つ当たりのように思った。 |
歪曲した誠実の対価
(09.10.25)