人に向き不向きがあるように、誰にでも相性というものがあるのだから苦手な人がいても仕方がないと思う。言葉の端々や醸し出す雰囲気など性格の不一致よりも大切なものはたくさんある。例えば息の吸い方さえ、一緒にいて勘に障る人はいるものだ。 だから、大切に思う友人の友人であっても相容れない場合は多い。友人は大切だが、その友人まで義務のように好きになる必要はない。けれどそうは思っているもののどんなに相容れなくとも時間を重ねればそれなりの愛着というか慣れが、自分の中に芽生えてしまう。 「何を考えてるのさ、」 底抜けに明るい声がする。わたしは隣を歩く真っ赤なスーツの男を、横目で見た。相容れない、友人の友人を。 エースは不機嫌なわたしのことなどまったく頓着しないように―――実際、彼は頓着どころか気にしようともしない―――ハハハと笑う。アリスに言わせれば、彼の笑い方はこの世界の誰よりも明るく爽やかなのだが何よりも胡散臭いので信用できない、ものだという。 まったくその通りだ。そもそも、人を攫ってくるような騎士は信用できない。 「何も考えてない。というか、あなたが何を考えてるのよ」 「俺?」 「そう。なんでわざわざ、待ち伏せしていたの」 はっきり言ってやらないとわからないようなので、わたしはきっぱりと言った。 せっかくナイトメアの仕事を手伝ってやろうと思ったのに、自室のドアを開けるなりこの騎士はにっこりと笑って「やぁ」と手を振った。わたしとエースの距離はドア一枚だったので一メートルもないというのに、まるで街中で会ったように軽々しかった。あまつさえ「偶然だなぁ」なんて言われれば、誰でも不審に思うだろう。わたしは彼が頭の可笑しい人物に見えたので、開けたドアをすぐに閉めようとした。彼につられて微笑みの形になってしまった顔のままで。 しかし、扉は閉まりきらなかった。胡散臭い男の足がすばやく挟められたからだ。 「人を部屋から連れ出して一体なんなの? 用があるならとっとと済ませて」 わたしが苛々したまま吐き捨てると、「つれないなぁ」と残念そうな声を出して彼はまた笑う。その顔は爽やかではあるのだが、奇妙にいびつな印象をあたえてくる。 部屋から連れ出されたわたしはあてどもなく町の中を歩いていた。二人並んで歩いているが、周囲に人がいる分つらくはない。もしこれが二人きりだったら、一目散に逃げていたことだろう。 わたしはエースが苦手だった。例えユリウスの腹心の部下であっても、本当の意味で気を許せはしない人だ。彼の言葉のひとつひとつが、わたしの心に小さな砂粒程度の棘となってふりかかる。苛立ちとか嫌悪といった感情が、ごくごく小さな粒子となって入り込むように。 視線まで険しくさせ睨むと、エースはへらりと笑った。 「ホント、はつれないよね」 「別に。理不尽に対して怒っているだけよ」 「それこそ違う。君は俺が嫌いなんだ」 まったく普通の会話の中に、聞き取れない単語が混じった。わたしはとっさのことに否定も出来ず、もちろん肯定もせず、ただ大きく目を見開いた。それが何よりも雄弁に肯定を意味していたことなんて、一瞬あとに理解できても遅かった。 エースはゆったりと、貼り付けたような笑顔のまま停止してる。 「君は俺が嫌いだ。苦手なんだろ? 見てればわかるよ」 「な、にそれ。勝手に決め付けないでくれる」 「決め付けじゃない。もし決め付けているんだとしたら、だ。俺のことを苦手だって意識してるのはなんだから」 どくん。大きく心臓が跳ねた。こんなふうに追い詰められたのは、この世界に来てはじめてだった。 一度だって苦手などと言ったことはなかった。ユリウスの前でも、もちろんエースの前でも。そんな不毛なやりとりをするつもりはなかったのだ。それなのに、どうして知れてしまったんだろう。 「どうしてわかったかって? …………君みたいな賢い子がわからないなんて珍しいなぁ。だってどうしたってわかるじゃないか」 エースはこんな会話の内容だというのに、まるで爽やかに進めていく。まるで自分とは別次元の話しだとでも言うように。 エースの身につけるもの全てが、わたしを責めているように見えた。剣も赤いマントも、今まで付き合ってきたものたち全部から裏切っただろうと囁かれる。 「ユリウスと君と、一緒に話していればね。…………嫌でもわかるよ。君はあまりにも自然に、簡単にユリウスと『それ以外』を切り替える。本気で、同じ顔で笑ってるとでも思ってた?」 毒だ。 わたしは今、目の前の男から致死量の毒を盛られている。その視線が言葉が、もちろん笑顔すらもが、わたしを殺そうとしているのがわかった。全部を毒に変えてわたしの皮膚と言わず口といわず穴と言う穴から、内側に侵入させようとする。 わたしは彼から後ずさる。いつのまにか周囲に人はいなくなっていた。エースは後ずさったわたしを追うように、瞳だけを動かす。 「他の領地のヤツラはいいよなぁ」 頭をぽりぽり掻きながら、さも羨ましいと言わんばかりの動作を付け加える。 「だってユリウスと君が一緒にいるところを見ずに済んだだろ。ユリウスは塔から滅多に出ない根暗だし、君はそんなユリウスを外に連れ出そうとしなかった。塔の中で完結してたからね。誰も二人の関係なんて知らない」 二人の関係。そういわれると、まるで何かあったように聞こえた。実際は、特別なことなど何もない。友人だった。大切な、わたしにとってはこの世界で始めて優しくしてくれた人だった。 「何にもなかったのは知ってるよ。ユリウスは君に手を出しちゃいないさ」 「そうよ。…………勝手なこと言わないで」 「でも、それは君が他のヤツラに興味を持ったからだよ。今みたいに、君は誰も選ぼうとしなかったくせに他のヤツラとひどく仲がよかった。ユリウスは根暗だし嫉妬深いから、君に本音なんて言わなかったんだ」 にたり、とエースは笑う。にこり、でも、にやり、でもない。にたり、という笑顔。 「…………あれ? 本当に知らなかったの?」 決定的だった。彼の声はわたしをいたぶるように、けれど逃がしてくれない力で喉をしめつける。窒息しそうで、わたしは早く息を吸わなければいけないと強く願った。けれどエースの前で一歩も動けないわたしは、抵抗もせず首に食い込む指に身を任せているようなものだ。怖い、と思った。 だからエースは苦手だったのだ。 「…………いい加減、そのへんにしておいたらどうです?」 張り詰めた空気の中を、穏やかな声が分断する。エースは声のほうを向いて笑ったけれど、わたしは見られなかった。声はわたしの真後ろから、エースに投げつけられる。 「城の騎士が、こそこそと弱いものイジメなんて落ちたものだ」 「…………あれー? なんでペーターさんがいるの」 笑った声が笑っていない。わたしはようやく隣に並んだ人の顔を見る。エースの言うとおり、白い肌と白い髪を持つ人は城の宰相閣下だった。 「彼女を探しにきたんですよ。エース君に用はありません」 「ふーん。もしかしてアリスからに乗り換えたの?」 「はぁ? アンタこれ以上馬鹿になってどうするんですか。僕がアリス以外を愛することなんてありません。過去も未来もアリス一筋です」 「だよなぁ。ペーターさんはアリスに心酔しちゃってるもんなぁ」 「そうですよ。僕はアリスに心酔しきってます。だから彼女の願いとあらば、を探すことくらいわけはありません」 そういうと、ちらりと―――あまりにも不要なものをみる視線で―――わたしを見る。 「行きますよ。エース君とはこれ以上何を話しても無駄です」 「え、あ」 「ちょっと。ペーターさん、それはひどくない? 俺が彼女と話してたのに」 ペーターはわたしの二の腕を掴むと、反対方向に引きずっていこうとする。その強さはアリスに向けられるものとは違い暴力的だ。わたしは転ばないように必死に歩く。 エースが尚も追いすがろうとするので、ペーターはぴたりと立ち止まった。それからさも下らないものを見るように冷たい瞳を彼に向ける。 「時間の無駄です。馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたけど、ここまで愚かだとは思わなかった」 瞳に剣呑さが混じり、ペーターはわたしが今までに聞いたことのないほど無慈悲で残酷な声で言う。 「…………知らなかったのも気付かなかったのも、あなた自身でしょう。人にケチを付ける前に、おのれを顧みたらどうです」 それだけ言うと、もうペーターは立ち止まらなかった。わたしは右腕を引かれたまま、後ろにいるエースのことを振り返らずにその場を後にする。ペーターの言った意味はよくわからなかったけれど、反論はかえってこなかった。 わたしは無駄に強く引っ張られるまま、痛みに集中しいていようと思った。この痛みにさえ集中していれば、他のどんな痛みも怖くない気がした。あるいは、見なくてもいいものに思えるような気が。 エースの言っていたことには少しの真実と大きな嘘があった。少なくともわたしはそう思う。ユリウスとわたしの間には、もっと言えばこの世界とわたしの間には、彼の言うようにシンプルな愛情があったわけではないのだ。 でも、あの強制力を持った罪悪感はなんだったのだろう。エースへの反論を封じ、その場に縛りつけたあの力は今思い出してもぞっとする。わたしがあそこで立ち止まることは、ユリウスに対しても失礼にあたるのに。 やはり相容れない。どこまで行っても、これ以上になることなど決してない。わたしは心の底から、エースが苦手なのだと改めて感じた。どこまで行っても平行線を辿る、両極の磁石のように相容れない存在なのだ。 |
踏まれた花の形骸
(09.10.25)