結局、わたしは開催二度目の会合をほとんどサボる形になって閉会を迎えてしまった。わたしをすっかり元気にしてくれた双子はあの後はしゃぎまくり、たくさんの場所に――もちろん、安全なところもそうでないところも――わたしを連れて行き、遊びまわった。わたしは彼らほど遊ぶことに長けていなかったので、振り回されるばかりだった。両側からぐいぐいと引っ張られるあの力には、怒るよりも驚いてしまう。
お世話になった搭の一室で――とはいっても、ついこの間までわたしの部屋だったのだけれど――荷物をまとめていると、静かなノックの音が聞こえた。この世界の住人にしては控えめすぎる音に、わたしは微笑む。


「いるよ。入って、ピアス」


荷物を詰め込む動作をやめずに言えば、その通りの人物がそろりと部屋に入ってきた。彼はこの世界の誰よりも怖がりで臆病で、慎重なくせに馬鹿な子だ。部屋のドアをそろそろと閉めながら、用心深く――たぶん、ボリスや双子がいないことを確認しながら――彼はわたしの傍に座る。地べたに座りながら荷物の整理をしていたわたしは、頓着なくこういったことの出来るピアスが気に入っていた。例えばこれがブラッドなら堂々とソファに座ったに違いない。


「どうしたの?」


こちらの顔をちらちらと窺うけれど、ピアスは何も話してこない。だからいつもわたしが、水をむける形になってしまう。そうするとピアスはほっとした顔をする。


、元気になった?」
「………そうね。前よりは、ね」
「そっか。そうだと思ったんだ。顔色がいいし、俺がきても部屋にいれてくれたし。前はいれてくれなかったから、本当に心配だったんだ」


なお、大丈夫?と首を傾げるネズミは心の底から心配そうにする。わたしはこんなふうに純粋に尋ねてくれるピアスが好きだった。彼はいつもひとつの問題にかかりきりだ。ひとつ以上は考えられないのだとボリスは言うが、わたしはそれがうらやましいとさえ思う。だって、そんなふうにかかりきりになられるのは嬉しいものだ。ピアスは今、わたしの体調のことしか考えていない。
わたしはわたしを大切にしてくれる人には優しくしたかったので、ちゃんと微笑む努力をする。


「大丈夫。心配させてごめんね」
「いい、いいよ。元気になったなら、いいんだ。俺、が死んじゃわないなら、いい」


言いながら照れて純粋な瞳をくしゃりと歪める。ピアスはとても幼い笑顔で笑う。幼いと言っても双子のように暴力的な陽気さではなくて、大人になると汚れてしまう部分がまだ綺麗な人という意味の笑顔だ。彼は自分を汚いというが――マフィアの彼の仕事内容など把握できていなかったので――わたしの瞳には随分綺麗に映っている。こんなふうに真っ直ぐで、馬鹿らしいくらい一途な人はこの世界にいなかったので、特に。


「……あ、
「ん?」
「…………次はお城に行くんでしょう?」


先ほどまで笑っていた笑顔を引っ込めて、ピアスは怯えるように言う。彼が怯えるわけを、わたしは瞬時に理解する。彼は騎士が、わたし同様に苦手なのだ。


「騎士、騎士………あの騎士、きっとに嫌なことをするよ。なんだか俺、嫌だ」
「あの騎士がいいことをした試しはないね」
「そうじゃないよ。そうじゃないんだよ、。あの騎士、すっごく怖いんだ。いきなり出会いがしらに剣を抜いてくるし、そうでなくても目が合えば襲い掛かってくるし……!」


わなわな震えだしたピアスは、昔のことでも思い出したのか蒼白だった。出会いがしらににこやかにあいさつを交わしながら抜刀―――エースなら、やりかねない気がした。やぁ、久しぶりだなぁ、なんて言いながら襲い掛かってきそうだ。
それにしても、ピアスはハートの城の面々に嫌われすぎていないだろうか。エースは言わずもがな、ペーターには撃ち殺される寸前だったというし、女王様は大層ネズミがお嫌いだ。うっかり城の門などくぐろうものなら、命などないようにさえ思う。


「それにそれにね、


ピアスの不幸を延々と考えていたわたしの服のすそを、彼は引っ張った。突然、彼の綺麗な緑の瞳とかち合う。


「あの騎士は、君のことをとっても怖い目で見るんだ。会合のときだってそうだよ。俺たちがは欠席だっていうたびにすごい目で睨んで………!笑ってるのに怖いなんて、あんなの誰だって怖いよ!」


そのときの恐怖が蘇ったのか、ピアスは叫ぶ。わたしは数時間帯前に起きたあの出来事を、エースがまだ根に持っていることを知って呆れた。というか、あの男は本当にわけのわからない男だ。こちらの弱点ばかりを狙って何が楽しいのだろう。あの目は何も考えていないように見えるから、こちらはいつも追い詰められる。笑って脅迫してくるから、たちが悪い。
エースにつけられた精神の傷は、まだじくじくと痛かった。ユリウスのこと、ユリウスとわたしのこと、そしてこれからのこと。彼はそのどれもが、気に入らないのだろう。でなければ、あんなことを今更言うはずがないのだ。


「大丈夫よ、ピアス」
「………?」
「あんな男に負けない。お城にはアリスだっているし、ビバルディだっているんだから、易々と殺されてなんかやるもんですか。だから心配しないで」


力強く笑って、目線が一緒のピアスの頭を撫でてやる。ピアスは心地よさそうに目を細めてから、不思議そうに呟いた。


「………、強いね。どうしてそんなに強くなったの?会合の前よりもずっと強い気がするよ」
「そう? わたしはよくわからないけど」
「ううん、絶対強くなってる。……もしかして、あの双子かな。あの双子がを元気にしたから、強くなったのかな」


独り言のようにぶつぶつ呟きなら、ピアスはちょっと顔を青くする。目一杯遊んで帰ってきたわたしを迎えたのは心配そうなピアスとボリスだった。二人はわたしが部屋にいないことを知って、待っていてくれたらしい。それからその部屋で彼がどれほど怖い思いをしたかはわたしもそうそう思い出したくはない。双子は大人になった分、子供よりも性質が悪く、ボリスもまたいじめっ子の猫だった。
ピアスはちょっと青い顔のまま、それでも決意を秘めた声を出す。


「お、教えてもらおうかな」
「え?なにを」
を元気にした方法だよ。俺だってを元気にしたい。元気がないときは元気にして、俺と一緒にいてほしいもん。は俺を嫌わないでくれる優しい落し物だから、俺もを助けるんだ」


ここここっここ怖いけどっ。
最後に付け加えられたのは紛れもなく本音だった。彼は真っ直ぐで優しい。真っ直ぐすぎて素直すぎて、少々厄介そうだなぁと思うほどだ。
わたしは彼に好かれるほど真っ直ぐで優しくなどなかった。この世界をいつでも見限ろうとするわたしは、きっと誰よりも醜い。


「ありがとう、ピアス。優しいね」
「…………そんなこと言ってくれるの、だけだよ」
「じゃあ、わたしだけが知ってるってことでしょう? わたしだけがピアスの優しさを知ってる。だから、絶対に嫌ったりしない」


絶対、にアクセントをつけると彼は一瞬目を見開いて心底嬉しそうな表情になった。紅潮した頬、身振り手振りが大きくなる癖、そのどれもがわたしにとって好ましいピアス。
嫌いになったりしない。でも、そのうちにわたしはいなくなるから、きっと嫌われてしまうのはわたしの方なのだろう。
後ろ暗い気持ちになりながら、それでも目の前にピアスがいてくれる今を、わたしは大切だと思った。

































ひとつとして返すものを持たない





(08.11.01)