「よくきたね、。早う、わらわの近くにおいで」 ハートの城の城門をくぐり、迷路とは言えない上垣を抜けたところで、わたしは華やかな声に呼び止められた。目の前には赤い薔薇とその中に佇む瀟洒なテーブルだ。椅子は三脚あり、わたしを呼び止めた人物のほかにもう一人着席していた。 わたしは声の人物ももう一人にも、ゆっくりと笑顔になりながら手を振る。ひらひらと、まるで帰ってきたように迎えてくれる人たち。 スーツケースをメイドに預け、わたしは椅子を引かれて座った。真っ白なテーブルに整然と並ぶティーセットが美しい。ビバルディのお気に入りの紅茶の香り。 「お久しぶり…………でもないか。会合で会ったもんね」 少々情けないように微笑めば、長い指でティーカップを持ち上げたビバルディが眉を潜めた。 「おや、随分待たせたくせにそれはないだろう。。わらわはお前が来るのを心待ちにしていたのだよ」 「本当よ、。昼が続いたりすると、がいないからだって怒ったりもしたんだから」 隣で焼き菓子をつまむアリスが付け足してくれる。わたしはやっぱり困ったように微笑んで、メイドがついでくれた紅茶に口をつけた。ここではいつでもお茶会が開かれる。優雅で豪華で、けれどちっとも気の休まらないお茶会。 「わたしも夕方になるとビバルディを思い出してたよ」 「夕方だけ? 他の滞在先のやつらのことなどどうでもいい。昼も夜ももちろん夕方も、わらわのことだけ考えられぬのか」 「ビバルディ、それは無茶よ」 アリスが優しく諌めるけれど、その声に非難は含まれていない。わたしはこの二人の友人関係の中にいるのが好きだった。もちろんわたしだって彼女たちの友人だし、それなりに友好的な立場にあるけれど、付き合いが長い分気心の知れた良さが二人にはある。わたしはそういったやりとりを一歩引いてみるのが好きだ。冷酷な女王様が小さな少女に思えるし、アリスは暗くなる暇がないので明るい。 傍にペーターやエースがいないことも、わたしには都合がよかった。あの二人はかなり険悪なムードを出すので、お茶会向きではないのだ。 「ペーターやエースは?」 「あぁ、どちらも仕事をやらせてるよ。白兎はアリスに会いたいと叫んでいたが宰相なのにわらわよりもサボるなど許せぬし、エースも仕事をしてるんだか迷ってるんだか…………刺客を送ったところでのうのうと帰ってくるのが忌々しいところではあるな」 憎々しげに呟くビバルディは心の底から彼らを嫌っている。損得や利害を考えず、ただ単純に嫌ってしまえているのがすごいと思う。城の宰相と騎士がいなくなれば、それなりに大変そうだ。役職がいなくなるのは、組織の崩壊に繋がったりしないのだろうか。 けれどわたしはそう言ったことを一切口にしない。考えた結果はいつのまにか頭の隅で溶けていってしまう。アリスのように疑問を口にしないわたしは、こうやってこの世界を受け入れているのだろう。それは多分、とても冷たい行為だ。 「それに、お前はエースに会いたくなどなかろう?」 二杯目の紅茶をいただいているとき、ビバルディは確信を持ってそう告げる。 わたしはもう驚いたりうろたえたりしなかった。なんとなく、彼女は気付いているだろうと思っていたし、ペーターはわたしに気遣わないので聞かれればなんでも答えてるはずだ。 「そうね。ちょっと、会いたくない」 「ちょっと? もう顔も見たくないというほどではなく?」 「ちょっと、よ」 言い切ると、つまらなさそうにビバルディは不貞腐れる。彼女はわたしが顔も見たくないと言ったなら、彼の顔をなくす努力を本気でするだろう。これ以上に本気を出されると、彼女の手ごまである人たちが可哀想だ。なにしろ、あのブラッディツインズでさえ、エースには易々と勝てないのだから。 「でも、本当に大丈夫なの?」 「アリス…………大丈夫だよ。あのときは探してくれて、ありがとう」 「そんなこといいの。でも、ペーターがを引きずってきたときは驚いたわ」 「ほんに女の扱いがなってないウサギは困る。、傷にはなってないだろうね?」 憤慨したようにビバルディが言うので、わたしは笑ってしまう。ペーターはあの場から無理やりにでも脱出させてくれた恩人だ。雑菌の嫌いな彼がわたしに触れてくれたことはもとより、ちゃんと目的地まで送り届けてくれたことも感謝すべきことだ。けれど女王様の考えでは、それらはすべて当たり前のことらしかった。 わたしはもう一度、心を込めて「大丈夫」と口に出す。ビバルディは疑わしげな顔をする。 「あやつに何を言われた? アレはプライバシーの侵害だとか抜かしおって、話そうとしない」 話そうとしていない? 彼ならわたしの弱点を、吹聴しそうなのに。 「…………彼の知っている真実、かな。けれど、それには偏見も入ってるから、八つ当たりに近い」 八つ当たり。言ってみると随分しっくり言葉が馴染んだ。彼はわたしに当たっていたのか もしれない。ユリウスのいない世界で、わたしがエースよりもずっと快適に生きていることについて、腹を立てていたのかもしれない。 だとしたら、なんて主人思いの騎士だろう。彼はこの女王様を本当に堂々と裏切っている。 「八つ当たり? 女々しい男だ」 「エースの八つ当たり…………、よく死ななかったわね」 「うん。わたしもよく生きてるなぁって思う」 しみじみとアリスと頷きあう。アリスはわたしよりもエースとの付き合いが長く、彼の内包している恐ろしさも知っている。 ただビバルディだけがそれに屈していない。 「エースめ。わらわのものを傷つけるなど、許せぬ。…………、アリス」 静かな声で、彼女はわたし達を呼ぶ。きっぱりと有無を言わせぬ力を持って。 かちあった瞳はとても綺麗な色をして、同時に本気だと知れる光を放っていた。 「あの馬鹿にこれ以上なにかされたらお言い。わらわがこの手で葬ってやろう」 いつものように杖でかつんと床を叩き、彼女はその先をわたしに向ける。 「お前たちはわらわの大切な友人だ。傷つけるものには容赦せぬ」 大切な、友人。 わたしはアリスと目配せなどせず、けれど同時に微笑んだに違いなかった。彼女はわたし達を狂わずに愛してくれる。慈しんでくれる。度が過ぎることはあるけれど、正せる範囲のまともさも持ち合わせている。それ以上になってしまえば手はつけられないが、彼女はわたし達にとっても大切な友人だ。 わたしとアリスは微笑んで、お礼を言う。この世界で彼女に会えてよかった。強く美しい友人の存在を本当に嬉しく思って、余所者であることに感謝した。 |
祈りよりも崇高なものの為
(08.11.01)