それは異様な光景だった。昼と夕方と夜しかない世界の中でも、もっとも異様な――――誰もが異様だと判断せざるを得ないような―――光景だ。
帽子屋屋敷は広く、その権力を物語るような勇壮な門構えから始まっている。整えられた中庭のいつもの一角で、この帽子屋屋敷を担う幹部たちがこれもまたいつものようにお茶会を開いていた。出席者は双子の門番であるディーとダム、三月ウサギのエリオット、そしてこの屋敷の主人であるブラッド。顔ぶれはいつもと変わらず、変わったとしても増えることなど稀だ。大抵の場合、ボス一人で飲んでいる場合も多い。
けれど今回のお茶会は例を見ない奇妙さと異様さを呈していた。並べられた茶菓子の彩りも茶器の美しさも、どこも可笑しな場所などはない。しかし、お茶会の出席者はブラッド以外どこか居心地の悪さを感じている。ディーもダムも、もちろんエリオットさえも。


「…………どうしたんだ、三人とも」


ティーカップに口をつけ、そわそわとする部下を見ながらブラッドは問う。
ディーとダムは変なふうに顔を見合わせ、エリオットも曖昧な顔をした。目の前のにんじん菓子にさえ手をつけていないのだから、彼の動揺の程度が窺える。
やがて観念したようにエリオットは天を仰ぐ。そうして、真上に輝くそれを指差した。


「どうしたはコッチの台詞だぜ、ブラッド。今は昼だ」
「…………あぁ、昼だな」
「そうだ。…………どうしちまったんだ? ブラッド、昼のお茶会なんて滅多にしないってのに…………」


腹心の部下であるエリオットは心底心配そうな顔をする。燦々と降り注ぐ太陽光の中で、鬱陶しげに瞳を細めるブラッドは異様なものがあった。彼は昼が嫌いだ。憎んでいると言ってもいいほどに。
ブラッドはエリオットの質問に答えなかった。代わりに、双子のほうに視線をくれる。


「お嬢さんが遅いとは思わないか、ディー、ダム」
「え? お姉さん?」


ブラッドの不機嫌にあてられないように大人しくお茶を飲んでいた双子が、ぴくりと顔をあげた。屋敷内では―――もっと言えば、この双子はやアリスに会うときしか―――大人の姿になったりはしない。


「お姉さん…………そうだね。遅いかもしれない。どう思う? 兄弟」
「うーん。この前の会合のとき会って以来だから確かに遅いかもしれないね。ただ僕らはたくさん遊んでもらったから、あんまり実感がない」


顔を寄せ合って、思い出しながら双子は笑う。あのときお姉さんは、とか、本当に体力がなくて、とか。ブラッドは双子たちを表情も変えずに見ていた。冷めている、というよりは分析しているような顔。


「そこだ。お嬢さんは、あの会合で一体なにがあったんだ? ぷっつりと出席しなくなったろう」
「…………あぁ、そういえばいきなりだったよな。アリスも真面目だけど、だって真面目に出席してたってのに」


エリオットがブラッドに同意する。双子は首をかしげた。知らない、というより、興味がない類の首の傾げ方だった。


「確かに、元気がなかったかもしれないね。兄弟」
「うんうん。元気がなかった。でも、僕らのことを見たらすぐに笑顔になってくれたから、そう問題でもないんじゃないかな?」
「笑顔?」


ブラッドの視線が険しくなる。けれど、それに気づいたのはエリオットだけだった。双子は気付かず、二人であの場面を思い出しているようだった。町中でを見つけ、大人になった自分たちを歓迎してくれたあの場面。


「はじめ、お姉さんは僕らのことをちっともわかってなかったけど、僕らはお姉さんのことをすぐに見つけたよ。人がうじゃうじゃいたけど、見つけた」
「そうそう。お姉さんは確かに元気がなくていつもと違っていたけど、すぐにお姉さんだってわかった。わかって声をかけて、大人になった姿を見せたら格好いいって褒めてくれた」


それで、と双子は一層楽しそうに笑う。エリオットはその話をしながら、けれどブラッドにもちゃんと意識を向けている。先ほどから、ブラッドは剣呑な瞳にうっすらと凶暴な色をにじませている。


「それで、ぎゅうってしてくれた。お姉さんは小さくなっていたから変なふうだったけどね」
「そうそう。僕らが大きくなったせいで変だったけど、抱きしめてくれた」
「…………抱きしめた?」


ブラッドの眉根がよる。ありえない、ということを表現するためだ。双子たちは嬉しそうに頷き、気に入りのお菓子を頬張りながら傍にいたメイドにお茶のおかわりを要求している。瞳を細めたまま、顎に手をかけブラッドは考える。町中で彼女がそれほど双子を気に入った理由を考えていた。あの賢く人目を気にするが、突然抱きしめてやりたいほどの衝動にかられたのはなぜか。


「…………でも、確かに遅ぇよな。まさかあの迷子に捕まってんじゃねぇのか?」
「…………迷子」
「そうそう、迷子! は人がいいから、どっか連れまわされてるのかもしれないぜ」


エリオットが迷子と呼ぶのは、ハートの城の騎士だ。実際には騎士など辞めたがっている、可笑しな時計屋の部下。彼女は会合の間中、の話題がのぼるたびに―――ピアスやボリスが欠席を告げるたびに―――露骨な殺気を振りまいていた。


「…………エース、か」


が時計塔から弾かれたとき、ブラッドは彼女がこの世界になじみきっていないことを知った。もし馴染んでしまっているとしたら、彼女は時計塔に残っていても可笑しくない。アリスほどの時間はなかったのだ。もし馴染んだとすれば、あの時計屋を愛したと、それだけが理由になるだろう。
そうなれば、とブラッドは思う。そうなれば面白くないと思っていた。元々、は時計屋に唆されている節があった。アリスと一緒に帽子屋屋敷を訪れ、少しの間滞在させてほしいと望んだのは、それが彼女の本心からだと思えなかった。
アリスほど自由ではなく、けれど彼女の望む快適さで、はこの世界を縦横無尽に歩いている。その背後にある絶対的安心感を作り出しているのは、誰でもないあの男だ。
それがブラッドは気に入らない。そしてその部下であるエースが彼女を害そうとしている理由も、ブラッドにはまったくもって理解できないものだった。


「…………まったく、忌々しい男だ」


呟くように、けれど憎悪を抑えようとせずに言う。エリオットは首を傾げた。


「なんだ? 誰が気に入らないんだ、ブラッド。ブラッドの気に入らないやつなんて、ぶっ殺しちまおうぜ」
「…………エリオット」


それが出来るならとうにしている、と言いたいのを堪える。


「…………エリオット、お前が好きか?」


その代わり、違うことを聞いてみた。エリオットはきょとんとし、それから満面の笑みになる。


「あぁ、好きだぜ!ブラッドと同じくらい大好きだ! 賢いし、うめぇもんくれるし!」
「あぁ…………お嬢さんは料理をするらしいな」


らしいな、というのはブラッド自身はの料理を食べたことがないからだ。なにせ、はエリオットしか食べることができないものばかり―――オレンジ色の、見たくもないにんじんだったものたちを―――、作る。エリオットは目をきらきらさせ、の料理の素晴らしさについて切々と語っていた。このウサギは一度懐くと妄信的なほどの愛情を相手に与えてくる。
もしそれが恋に発展するのなら、とブラッドは思う。そうなれば自分はどう思うのだろうか。時計屋よりはマシだと思うのか、それとも同じように気に入らない思いをするハメになるのか。


「…………あ! お姉さんだ!」
「本当だ! お姉さんだよ、ボス!」


突然、双子たちが立ち上がりながらそう叫んだ。視線の先を追えば、彼女が門から入ってくるところで部下がこちらを指差しながら案内をしている。双子たちは立ち上がった瞬間には走り出しており、もう彼女との距離は半分ほどまでに縮まっていた。
はいつもの彼女のように見えた。気に入りのスーツケース、前とは違う服装――――モスグリーンのワンピースは、一体誰の趣味だろう―――、マフィアの敷地内にいるというのにのんびりと穏やかな表情をした彼女は、いつもの彼女だった。
ブラッドはようやく、と思う。ようやく自分の元に戻ってきた、と。


「…………遅れてしまってごめんなさい」


双子たちに両脇を挟まれながら、はブラッドの前に歩み出る。


「…………随分、遅いご帰還じゃあないか。待ちわびたよ」
「ちょっと、迷子を待っていたの。それからここにくる途中に病人に会っちゃって…………とにかく、色々と予想外だった」


はそれで事を締めくくったが、ブラッドは聞き逃せなかった。迷子と言うのはエースのことだろう。だが病人というのは予想していなかった。そして迷子も病人も、この世界では当てはまる人物など二人といない。
ちり、と焼けるような鈍く汚い思いが胸を掠めた。は荷物を預け、椅子を引かれて着席する。そうしてブラッドを見て、首をかしげた。


「珍しいね。ブラッドが昼にお茶会なんて。昼が好きになったの?」
「…………いいや」
「そう。じゃあ、わたしからお詫びにプレゼントね」


言うなり、はポケットを探る。小さな砂時計をテーブルに置いた。彼女が瞳をつむり、ゆっくりと上下を逆にすると、たちまち世界は暗転する。夜が訪れたのだ。


「遅くなったお詫び。やっぱりブラッドは夜が似合うし」
「…………それはどうも。君にそう言ってもらえて嬉しいよ、お嬢さん」


ブラッドは自分でも弱々しいと思う笑みを作る。面白くなかった。彼女は滅多に時間帯を変えない。その彼女が自分に対して時間を変え、あまつさえそれについて嬉しいなどと思うことは――――――まったくもって、面白くなかった。
ブラッドは立ち上がる。ステッキでぱしんと手をたたき、のことを見ないようにして。


「…………すまないが、私はこれで戻らせてもらう。お嬢さんはくつろいでいてくれ」


言うだけ言うと、ブラッドは背を向ける。が何事かを問う前に、さっさと姿をくらませたかった。
溺れるなんて、御免だ。ましてや必ず帰ると断言するような女に。ブラッドは念じるようにそう思う。彼女は深入りさせないのに、こちらの内側ばかりに響くことをする。留まらないのだとはっきりと断言し、手を伸ばせばするりとかわされるのに、彼女は気付くとそこにいた。
留めたいのか、自分のものにしたいのか、そうでなければ殺してしまいたいのか。もうすでにブラッドにさえわからない。ただ自分の中で占める彼女の割合がどんどん増えていき、自分でも理解できないことになっているのだけは、わかった。彼女はうまく拒絶をする。突っぱねられたことはないのに、そう感じさせる。


『うんうん。元気がなかった。でも、僕らのことを見たらすぐに笑顔になってくれたから、そう問題でもないんじゃないかな?』
『それで、ぎゅうってしてくれた。お姉さんは小さくなっていたから変なふうだったけどね』


不意に、双子の発言を思い出した。ブラッドは奇妙な違和感を覚える。笑った、抱きしめてくれた。それは本当に、自身が?なぜ奇妙に思うのかなどわからなかった。
ただ奇妙だと思った。彼女がそんなことをするわけがない、となぜか思う自分がいたのだ。





























真実に触ったような気がした





(08.11.21)