パジャマパーティ、というのはテレビでしか聞いたことのない外国の女の子がする秘密のお喋りだ。パジャマ姿になり色々なお菓子を持ち寄りくつろぐ彼女たちを見てわたしはすごく羨ましくなり、同時にとても恥じらいのない行動だとも思ったことを覚えている。彼女たちは無防備すぎるように見えたし、あんまりにも相手に包み隠さず話すものだからその姿が信じられなかったのかもしれない。わたしのいた場所はとても狭く、そのくせ自分と相手に仕切りを作ってしまうようなところだった。見えるのは相手の上辺ばかりで、心など覗かせてはくれないので、わたしも誰かに心を晒したことなどなかった。
けれど、とわたしは思う。アリスと一緒にたっぷりとこの世界の「狂っている」部分について語り合い、加えてゆっくりと寝坊して着替えを済ませながら、は鏡台の前で自分を見る。白いレースのついたシャツと短パンと言う動きやすさを重視した服を着た、この世界には馴染んでいない自分だ。けれど、随分変わったと思う。元の世界にいた頃よりは、随分変わった。


「アリス」


わたしは振り向いて水色のエプロンドレスを着たアリスを見た。わたしは彼女に鏡台を譲るように立ち上がり、顔を洗ったばかりのつやつやとした彼女の肌を見る。


「ここ使って。わたし、エリオットに出かけるって伝えてくるから」
「ありだとう。…………でも、本当に出かけるの?」
「うん。やっぱりナイトメアが心配だしね。わたしのせいで入院したら大変だもの」
「入院はいいことだと思うけれど…………そういうことじゃなくて」
「うん。だから、エリオットに伝えにいくんだよ」


わたしはにっこりと笑って、アリスにそれ以上言わせなかった。彼女の心配はこの帽子屋屋敷の主であるブラッドのご機嫌だった。彼は今、大変に機嫌が悪い。しかもそれはわたしが他の滞在先に長居しているせいかもしれないのだ。可能性は低い――と思いたい―ーが、アリスはわたしよりもそのことを危惧している。なにしろ自分で狂ってることを主張しているような人なのだ。わたしが彼にとってまた面白くない態度をとれば、何がしかの制裁があるかもしれない。
だから言わずに出るつもりだった。ベッドの中でナイトメアの話題が出て、アリスは彼が入った病院も知っていたのでお見舞いにいこうという話になった。もちろんアリスも一緒にだ。彼女はあれほど病院を嫌っていたナイトメアが大人しく注射を打たれている場面など想像できないという。
わたしは身を翻し、一度だけ振り返って手を振るとアリスを残して部屋をでる。そっと扉を閉めた瞬間にひとりになった孤独と安心感がを満たした。
アリスと一緒にいると楽しいけれど不安だし、罪悪感もある。多分、わたしはこの世界の誰よりもアリスを残して帰ることを悔いている。




エリオットはあっさりと見つかった。
彼はこの屋敷のナンバー2であり役持ちなので、メイドたちに聞けば居場所は把握されている。加えてこの屋敷の誰よりも働き者であるのだから、場所は限られてくるというものだ。外回りに出ていった後でなくてよかった。彼の血生臭い外回りを探すほど、わたしは馬鹿ではない。
教えてもらった場所のすぐそば、廊下の端で部下たちと話すエリオットはわたしに背中を向けている。彼らの部下もまだわたしには気付いていないようだった。わたしはその位置から動かずにエリオットを観察する。大きな背中、がっちりとした体型、明るくてふわふわの髪の毛、そして小麦色のウサギ耳。わたしはその背中をたっぷり凝視して、ほうっと息を吐く。彼は間違いなくマフィアの幹部なのに、その耳のせいで全部を可愛らしさで覆ってしまっている。わたしはいつも彼の姿をみるたびに癒されるのだ。それが例えば背中だけでも。
部下の誰かがわたしを見つけるまでわたしはずっとエリオットの背中を見ていた。ときどき耳だけを見たりしながら。


「お、じゃんか。どした? 俺に何か用か?」


部下たちを下がらせて駆け寄ってきたエリオットは、無邪気な顔をして訊く。彼はこういったとき、ブラッドとも双子たちへとも違う声でわたしと話す。ブラッドほどの尊敬や敬愛はなくとも、親愛に満ちた声。双子たちと違うのは、彼らが喧嘩ばかりするせいだ。
わたしは彼の声を聞きながら、アリスのことを思い出した。ベッドに入り暖かな毛布の中で彼女はわたしに話してくれた。ハートの城で起こった、彼女の変化を。
わたしはその秘密を思い出して、なぜかとてつもなく淋しくなった。理由などわからない。聞いたときはなんでもなかったくせに――――むしろ喜んだくせに――――エリオットの声を聞いた途端にアリスの秘密がわたしを淋しくさせた。わけがわからなくなって、わたしは戸惑う。
エリオットはわたしの瞳を覗きこむ。まっすぐでわたしを信頼してくれている優しい目で。


「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「違うの。よくわからないけれど大丈夫だから」
「大丈夫って………アンタ、駄目でも大丈夫って言いそうだからなぁ」


困ったように眉根を寄せて、エリオットは頭を掻く。ため息をついたその仕草さえ、わたしを気遣うものだった。わたしはこの愛しい生き物に抱きついてしまいたくなる。そんなふうに言われれば、どうしたってそうせざるを得なくなるのだ。
背の高い彼の首に手を伸ばして、そのふわふわの髪の毛を思い切り撫でたい。それで彼が少しかがんでくれたなら、わたしは思い切り彼の頭を抱きしめるのだろうし、彼もわたしのことを力強く――もちろん加減をして―――抱きしめ返してくれるのだろう。
わたしはそんな想像をするけれど、実行には移さなかった。彼の腕の中は居心地が良いのだろうと思うけれど、そんな安らぎを覚えてしまったら、わたしは元の世界で誰に抱きしめられても満足できないような気がするのだ。(ウサギ耳の男など、きっといない)


「あのね、エリオット。わたし出掛けようと思うの。アリスと一緒に」
「アリス? あぁ、来てるんだったな。どこに行くんだ?」
「病院よ。ナイトメアのお見舞い」


ナイトメアが病院に行っているという情報は屋敷にも届いているようだった。
物好きだなと言った程度で、エリオットはわたしが出かけることを咎めたりはしない。ブラッドには内緒で出て行くことは言わなかった。
エリオットはわたしに甘い。アリスは初めて彼に会ったとき銃を向けられたらしいけれど、余所者に免疫がついたあと、つまりわたしとの初対面の際はすんなり受けいれられた。滞在先を渡り歩き帽子屋屋敷に留まっていたとき、わたしはエリオットにばかりくっついていた。彼は仕事も多かったので待ち時間も長かったけれどブラッドよりも双子よりも一緒にいて安心できた。無防備とはいかずとも、それに近い感情になれた。彼はわたしの話を聞きたがり、話せば楽しそうにしてくれる。明らかに年上の、怖そうなウサギ耳のお兄さんなのに。


「そっか。まぁ、気をつけていってこいよな。アンタラは余所者だけど、弱いから心配だぜ」
「大丈夫。気をつけるし、危ないものには近づかない」
「そうか? …………やっぱり心配だ。送っていってやろうか?」
「駄目。お仕事あるんでしょ?」


あんまりにも心配するエリオットに言うと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をする。このウサギは働き者なのだ。すべては主君であるブラッドのために。
わたしは困り果て耳を垂れ下げんばかりの勢いで悩みだすこのウサギが好きだった。ユリウスよりも直接的に慰めて、労わろうとしてくれる。あんまり大切に扱われるものだから、わたしは自分が女の子なのだと自覚させられる。そしてエリオットはわたしのことをどんなに大事にしてくれても結局の一番はブラッドなので、恋愛的な意味において近づきすぎたりしなければ安全なのだ。
わたしは微笑む。随分背の高い、わたしを癒してくれるウサギさんに。


「心配しないで仕事をしてね。それで帰ってきたらにんじん料理を作るから、一緒に食べよう?」
「マジか?!」
「うん。だから、頑張ってね」


彼は目をきらきらさせて喜ぶ。わたしはこの世界に来てからというもの、料理の腕が段違いで上達している。しかもにんじん料理に特化して。彼は誰よりもものを美味しそうに食べる。食べることを楽しんでいるし、生きるために食べるということを知っている。
わたしはエリオットに別れを告げてきた道を戻る。けれどすぐそばの角を曲がった途端にアリスがいた。わたしは少し驚いたけれど、彼女が生真面目に追ってきたのだとわかってもいたので苦笑する。アリスは笑わなかった。


「代わりなのね」


笑わないアリスが、小さく呟いた。


「え?」
「ううん。なんでもないわ。行きましょう」


ぱっと笑顔になってアリスはすたすたと歩き出す。わたしはその後姿を追いながら、意味がわからなかった。アリスは足早に歩く。少し怒っているようだと思ったのは、多分わたしの気のせいだろう。


























唯一かつ排他的な救済



(08.12.01)