が会合に入ってきてから席に着くまで、けれど言ってしまえばだらだらと長いナイトメアの口上が終わるまでずっと、アリスはを見ていた。 呆れるよりも先に、ブラッドに腹が立った。驚くというよりは、意味がわからなかった。 の生まれた場所はアリスよりもこの世界の常識に近くないことを、ブラッドもアリスも知っている。淑女のマナーも知らなかったし、マフィアなんて違う国の生き物だと言わんばかりの口調から、彼女はまったく文化圏の違う場所から来たのだと知った。その違いを話し合うのもアリスとは楽しみにしていた。紳士とは何なのか、男性にあるべき姿とは何なのか、そして現代の自分たちの置かれた状況まで、話すことは様々だ。その中に、彼女がもっとも頓着しないものがあった。それが今回ブラッドが傷つけた部分だ。 は未婚の女性だ。それなのに、約束もない男の愛人だか恋人だかに祭り上げられるなんてあんまりだった。それだけで傷がつくといっていい。ひどい辱めだった。女性は結局夫や連れそう男性によってしか地位を確立できないのだし、そうなれば男性を選ぶ目利きは自分自身でするしかない。それなのに、権力と傲慢な力を持ってして彼女はマフィアの女に仕立て上げられてしまった。元の世界に帰るのだからこちらの噂などどうでもいいと言ってしまえばそうなのだが、アリスにはそのことが許せなかった。同じ女性として。 だいたい、も無頓着すぎる。彼女の元の世界というのもほとほと呆れるほど無秩序だが―――できちゃった婚?などというのが平静にまかり通り、子供同士の結婚を親が止めきれず、なおかつ簡単に離婚できてしまい、それが許されてしまうという―――アリスの居た場所の方がまだマナーやルールが明確だったとさえ思う。そんなだからこそ、今回ブラッドの罠にハマってしまった。彼女は大切に扱われることにも慣れていた。彼女の世界と言うのは、貧困層というのがあまりいないらしい。 「…………アリス、アリス」 「え? あぁ、ペーター」 「どうしました? 顔色が悪いです」 医者を呼びましょうか、という過保護なウサギの発言を遮って、アリスはビバルディを見る。彼女も会合は終わったが退出はせず、何かを考えているようだった。くっきりと引かれたアイラインに、機嫌の悪さがにじみ出ている。 「――――――ビバルディ」 「そんな声を出すのはお止め。アリス。お前が心配そうにすればするほど、あの道化の思う壺じゃ」 ぴしゃり、とビバルディは言い捨てる。アリスは黙ったけれど、それでも心配だった。の人形じみた表情、態度、淑女らしくはあった振る舞い。そのどれもが、アリスを心もとなくさせる。この世界に居て欲しいと望みはしたけれど、それはこんなやり方ではなかった。 ビバルディは煙草の吸い口から、呼吸に合わせて煙を吐く。 「あの馬鹿のやりそうなことよ。が一向になびかないから業を煮やしたわけだ」 「…………ブラッドが?」 「おや、アリスはあれが堪え性のある男にでも見えていたのかい?」 そう言われれば、彼は我慢とは無縁な人間だ。けれど女性を無理やり引き止めるような乱暴なやり方もしない人だと思っていた。 ははは、とお馴染みの笑い声が背後でする。 「帽子屋さんもすごいなぁ。力ずくでも自分のものにしようとするなんて、男だぜ」 「何を言ってるんです。のことなんてどうでもいいですが、アリスが気にしているんですからちょっとはマシなことを言えないんですか?これだから筋肉馬鹿は」 「え? ペーターさんひどいなぁ。俺は帽子屋さんを褒めたわけじゃないよ。それに、俺だって頭にきてるんだぜ? をあんなふうに扱うなんて…………卑怯だ」 けらけらと調子のわからない様子でエースは笑っている。彼は笑いすぎているために前髪で表情が見えない。けれどちらりと見えたその目は、口元に反してまったく笑っていなかった。憎悪、とさえ読んでもいいような目。 ビバルディは背後で騒ぐ二人にはまったく頓着しない。長い指先の整った爪を唇にあてて、何かしら考えるふうに一点を見つめている。 「…………アリス」 「なに、ビバルディ」 「一つだけ尋ねておく。…………あれは―――は、帽子屋のことを好きなのかい」 まるでそうであるならば仕方ない、と言ったふうにビバルディは聞く。アリスのことは見ていなかった。 その質問には答えかねた。が誰かを好きなのかなんて、それはにしかわからない。何度も話をしたけれど、考えて見ればどれも上滑りをしていっただけのように思える。アリスはアリスの日常を、はの日常を壊さないだけの会話。 「…………それはないですよ。女王陛下」 静かに、穏やかなのに不穏な空気を纏わせて答えたのはエースだった。目は相変わらず笑っていない。 ビバルディはちらりとだけ彼を見る。 「なぜ、お前にわかる」 「まぁ、旅をしていれば色々見るし、聞くんですよ。は帽子屋さんがタイプって感じじゃあないし」 「…………つまり、推測ということか?」 ビバルディがねめつける。しかし、エースはからりと笑っただけで取り合わない。 「まさか。にはちゃんと相手がいるんですから、帽子屋さんは違うってわかるんですよ。―――――――――俺はね」 それだけ言い置くと、「お先失礼します」と部屋を出て行く。勝手な男だ。 ペーターがアリスの脇にぴたりとつき、「あんな男の言うことを気にしちゃいけません」と囁く。しかしアリスの脳にはエースの声がリフレインしていた。エースの言い方は、まるでその相手がさも知っている人物を指すように感じた。エース自身とも、エースに近い人物とも。 エースに近い人物? わたしは思い当たって、目を見開く。ビバルディを大急ぎで見上げると、彼女も思い当たったようだった。その口元が、不機嫌と言うよりは困り果てるように引き結ばれる。 「…………まさか、な」 そのまさか、だ。 アリスは元より、誰もが違う意見を持っているというのに、エースだけがそれを信じている理由はなんなのだろう。彼は彼だけの真実たる確信を持っているのだろうか。気持ちが薄ら寒くなり、アリスはいつのまにか両腕を抱いていた。 |
誰がその赤い花を手折る?
(08.12.13)