「…………檻、だな」


ひやりと背筋を撫でるような声で、ビバルディは言った。アリスはその声に哀れみも同情も含まれて居なかったので、少しだけいぶかしむ。
ビバルディは他の招待客同様の部屋を嫌い、塔ではなくわざわざ町の宿屋を貸しきっていた。彼女のためにあつらえたと思われる赤い調度品の数々が周りには溢れかえっている。
立派な革張りのソファに座りながら、ビバルディは頬杖をついた。たった今、の様子を探りに行かせた部下が報告をし終わったばかりだ。アリスは蒼白になりながら、彼女が手を払うような仕草で部下を下がらせるのを見る。


「…………部屋の外に二人、門に一人、窓の外に二人。おまけに部屋の中にまで一人の監視つきとは、あの愚か者はをなんだと思っているのだ?」
「…………」
「大方、煙か夢のように消えてしまうとでも考えておるのだろうが…………まったく、忌々しい男じゃ」


長いビバルディの爪が、木製の肘掛をこつと叩いた。
アリスは報告の中で語られた、の様子を思っていた。ブラッドが興じていたカードの最中に現れたは黒いドレスに身を包み、先ほどと変わらず表情に特別の変化は覗かせていなかったという。困惑したり拒否したりする態度は見られませんでしたと告げた部下は、アリスの望んではいない答えだと察したのか一言謝った。申し訳ありません、私には様も了承しているようにお見受けできました。
が今の状況を飲んでいるだなんて、そんなことがあるわけがない。確かな確信を持って、アリスはきゅっと拳を作る。理由などは詳しく説明できないけれど、アリスとだけが共通して感じることができる唯一の思いがそうではないことを叫んでいた。何度も話をして、自分たちの世界を少しずつ近づけていって、それでようやく仲間になれた二人だから、この世界の住人たちよりはずっと理解できているつもりだった。
は―――少なくとも自分からだけは――――絶対に残りたいだなんて言うわけがない。そしてそれを誰かに頼むようなやり方を、彼女は好まない。自分の意志でこの世界に残ったアリスは、うっすらと笑う。


「ビバルディ」


つまらなさそうに爪をはじいていた彼女がこちらを向く。


「ん? なんじゃ」
「ビバルディは、どう思う? はやっぱり、煙のように消えてしまうと思う?」


チャンスはあったのだ、とアリスは自分に言い聞かせる。瞳の奥に蘇るあの光景は――星の瞬きの中心に放り出されるような、あの感覚――未だに忘れられない。あの空間はひたすらに無言でアリスを享受していたけれど、同時に問いかけをしていた。アリスが最後に問われたあの瞬間―――確かにあった、留まるか否かの決断の瞬間だ――――光の差すほうへ向かえば「現実」はアリスの内側に戻ってくるはずだった。あるべきものがあるべき場所に外も内もきちんと収まり、この世界が「夢」に摩り替わってしまうはずだった瞬間。あのとき、アリスが元の世界を望んだのなら文字通り煙のように消えてしまったはずなのだ。こちらの世界の「夢」になることだってできた、とアリスは臆病になる自分を思う。
ビバルディは数秒考えた後に笑いもせずに「いいや」と首を振る。


「消えるも何も、お前たちは自分の意志でゆくのだろう? わらわ達を置いていくことになるとしても、戻ろうと思うのならお前たちは戻るすべを持っている」
「…………それは、そうかもしれないけれど」
「戻るのなら、それは消えるとはまったくの別物だ。言葉は正しくお使い。わらわはつまらない思いをするのだろうが、自分の意志で帰るお前たちのことを忘れやしないだろう」


ビバルディはそこでほんの少しだけ、淋しそうな顔をした。彼女にしては珍しい、頼りなさそうな表情だ。アリスは気丈に振舞う彼女が愛おしくてたまらなくなる。それだけで、この世界に残ってよかったと思えるほど。


「私は消えないわ。もう戻らないと言ったでしょう」
「あぁ…………そうだったな」
が帰ったとしても、変わらず私はここにいる。…………それはずっと前に決めたことだし、だってちゃんと理解しているの。私達は今まで、一番近い場所で話をしてきたつもりだったけれど」


アリスは、そこで少しだけ表情を柔らかくした。ビバルディが、消えるのではない、と言ってくれたことがうれしかった。こんな自分たちでも、存在したことを覚えて居てくれる人がここにいる。いなくなったとしても誰にもわからない、それこそ消えてしまう存在などでなくて誰かの心に残れるだけの人間になれるのならば、それだけで喜ぶべきことだろう。そう確信してどこかに旅立てるのならば、心軽くどこにだって行ける。
がこの話を聞いたなら、きっと微笑むに違いない。それからぽつりと零すように感謝の言葉を口にする。ありがとう。謝りはせず、ただ一言だけ呟く。はそういう子だった。


「ねぇ、ビバルディ」
「なんだい、アリス」
のことなんだけれどね、このまましばらく様子を見ましょう」


やけにきっぱりとアリスは言った。ビバルディが綺麗な眉を持ち上げて、言外に「なぜ?」と問う。


の答えを聞いてみたいの。思えば、はずっと自分で行動してきたでしょう?」
「…………一人の力だとは思えぬがな」
「うん。はじめはユリウスが手助けしたかもしれない。でも、引っ越しをして随分たって、彼女の周囲は変化してきた。だって、それにちゃんと気付いてる。だから、今度もは自分で答えを出して進むはずだと私は思うの」


答えを出して、は誰の元にも留まらないことを選んだ。自分の足でこの世界を渡り歩き、自分の意志で滞在先の人々に触れて、感想なり指針なりを決めているに違いない。は自分がしたいことしか基本的にしない性質なのだ。
アリスはどこかに置き忘れていた力強さが戻ってくるのを感じる。ねぇ、。私達はやっぱりたくさんのことを話し忘れていると思うの。


「だからから何らかのコンタクトがない限り、私達は動くべきではないわ」


誰よりも何よりも、あなたは自分の道をいくだろうから、私達は邪魔もしなければ手助けもしない。アリスは微笑んでビバルディを見る。彼女は面白くもなければつまらなくもなさそうに肩を竦めた。


「…………そうしたいのなら、わらわはアリスの願いを叶えてやろう。がどうするかは、わらわも興味があるからね」
「…………ありがとう。ビバルディ」


二人は一緒に窓の外を見る。もうすでに夜に時間帯を変えた世界の中で、聳え立つ塔はライトで白々と照らされている。檻の中で無力な彼女が何を思うのか、アリスは瞳を閉じて考えてはみたものの――たとえば自分が囚われたのなら随分絶望と後悔をするのだろうという感じだ――、しかしの後悔は短く切り替えが激しいのを思い出して、考えることを放棄した。アリスはアリスなりにを待つ。ただ二人でもっと話をしたいと切に願いながら。






























翼は飛ぶ為にあるのだから





(09.02.17)