行動を起こそうとするのなら、結末をちゃんと見据えなくてはいけない。もし見据えられなくても、その行動の意図と効果を知っていなければ行動を起こすべきではない、とは考える。この世界に来て、余所者の自分が周囲に与える影響など皆無に等しいと感じていたあの頃では考えられなかったことだ。自分が誰かにとって影響を与えうるものになるなんて、元の世界でだって実感することなどなかったというのに。 けれど実際問題、わたしの陥っている状況は大変困難な上に入り組んでいて他人を激しく巻き込んでしまっていた。この世界に落ちた瞬間から他人に迷惑をかけなければいけなかったわたしにとって、ユリウスをはじめ多くの人たちの庇護が生きる頼りだった。アリスと友人にならなければ自分を客観的に見つめられなかっただろうし、ビバルディがいなければ意思を強く持って生きようとは思えなかったに違いない。ひとりの女性として、彼女たちは尊敬に値する人間だった。そんな優しく強い彼女たちに心配ばかりかけるわたしは、恩を仇で返しているようなものだろう。 帽子屋屋敷、ハートの城、遊園地、それに時計塔。わたしはそれらの土地を歩き回って、たくさんのものを見て、多くの人たちと話して、いつしか―――もうそれがいつだったかなんてわからないのだけれど―――絡んではいけない糸を絡ませてしまったのだろう。こんなふうに困難な状況に似合う、目も当てられないほど絡まった糸を頭の隅で想像する。そんな糸を目の前にしたらわたしの性格上投げ出してしまうだろう、と思った。きっと新しいものが欲しくなって、捨ててしまうに違いない。 「…………、?」 「え? ピアス、呼んだ?」 「呼んだよ。たくさんたくさん呼んだ! どうしたの、ぼーっとして」 森の中、道らしくはない道を掻き分けながらピアスが尋ねる。背の低い草が生い茂るそこはいわゆる獣道というもので、クローバーの塔まで繋がっているらしい。誰にも見つからず行きたいのだというわたしに何の疑問も抱かず、ピアスは意気揚々と案内してくれていた。彼の無邪気はわたしを救うけれど、同時にどこへも行けない気持ちにさせるほど純粋だ。はぐれないようにと繋がれた手は、やっぱり子どものように温かかった。 「そうだ、ね。どうしてだろう。ぼーっとするの」 いつも、ひとつの問題にしか対処できないわたしの頭の中はもう限界だ。ブラッドを激怒させ、ボリスを窮地に追いやったくせに、自分がどうしたいのかすらはっきりしないわたしが戻ったところでどうなるのだろう。もう一度、人形に戻ればブラッドは満足するだろうか。けれどもしそれをわたしが承諾するのなら、この世界で永遠に彼の望むまま生きる道を選ばなければいけない。愛人にしろ、客人にしろ、ファミリーにしろ、それらはどれもわたしの自由を大変狭める選択になることは明白だった。諾々と生きていくのは簡単だが、そんなものにはなりたくない。 ざくざくと気持ちのいい音をたてながら歩く。朝露に濡れた草を踏みしめると、しっかりとした感触が足のうらに残った。 「ねぇ、ピアス」 言いながら首だけ振り返ると自分の辿った道が出来ていて、わたしは少しだけ切なくなった。例えピアスにあらかじめ開いてもらった道だとしても、わたしが通った軌跡がそこにある。 純粋で無垢な、他の人に言わせれば考えの足りないピアスが返事をした。なぁに、。 「わたしがここにいるのは何故なんだろう。アリスみたいにペーターやナイトメアが力を貸したわけでもないのに、どうしてこの世界に落ちてきてしまったんだろう」 「………?」 「突然だったの。本当に、いきなりだった。穴に落ちたとか生易しいものじゃなくて、何か大きな力に引っ張られて、意識がまっさかまに落下した。一瞬だったけれど、とても怖かったのを覚えてる。それで目が覚めたら時計塔にいた。…………誰にも望まれていやしないのに、わたしはこの世界に来たの」 話し続けると、ピアスはゆっくりと歩みを止めた。不安そうな瞳がわたしを覗き込んでくる。繋がれた右手を見つめて、わたしは笑おうとした。 「この世界は元いた世界じゃなくてすぐには戻れないって知ったとき、途方に暮れて何も考えられなかった。だってそうでしょう。理由もない、手続きも踏んでいない、どうなるかもわからないだなんて…………最悪の迷子だもの」 ペーターがアリスをこの世界に導いたとき、彼はそれをひとりでは行えなかったからナイトメアの力を借りたのだ。夢とうつつとを微妙に混ぜ込んで彼女の意識をこちら側に連れてきた。大変な労力が必要だったはずなのに、どうしてわたしはこうも簡単に落ちてしまったのだろう。ナイトメアも原因がわからないと言った。ただ、わたしがこちら側に落ちてきたとき彼も何らかの力が働いたことはわかったらしい。 けれどわかったことと言えばそれくらいで、一体どんな「力」のせいでわたしがここに存在しているのかはわからなかった。ユリウスもナイトメアも、何も悪くなどない。悪くないけれど、ではどうしたらいいのとわたしは答えの見えない問いをした。どうすれば、いいの。 「…………ねぇ、」 それまでピアスは無言で話を聞いてくれていた。名前を呼ばれて彼の瞳を見ると、やや陰りが見えて、彼も困惑しているのがわかる。片手で繋がれていた手が、いつのまにか両手に包まれていた。 「俺、難しいことはよくわかんない」 「…………うん、ごめんね」 「ううん。でも、は理由が欲しいみたいに見えるよ」 彼らしいまっすぐな言葉は飾り気がない。思ったことを言葉にのせるのだし、本来そんなものに飾りなどいらないのに口に出せば不要なものがついてしまう―――気をつかったり言い回しを優しくすれば、それは自然とついてしまうのだ―――ピアスにはそれがなかった。わたしは、だから彼の魂と向き合っているのだと思う。 「は理由が欲しいんでしょう? アリスみたいにうさちゃんがいたら、ここに居てもいいって聞こえるよ」 正直な彼の瞳を見ていられなくて、そっと視線をはずした。わたしは彼の言うとおり、理由付けが欲しいのかもしれない。けれど、それを認めしてしまっては、ずっと守ってきたものが音をたてて崩れてしまいそうだった。 繋がれた手が暖かくて解けてしまいそうだ。 「でも、でもね、」 「…………」 「俺がここにいるのはが理由だよ。うさちゃんじゃないけど、時計屋さんでもないけど、俺がここにいるのはがいてくれるからだ」 必死に繋ぎとめようとでもするようだった。この世界に落ちてきた理由は、確かに欲しい。わたしの確固とした存在理由を、どうか誰かに教えて欲しかった。それを否定したり、立ち向かったりする力ならあるから、どうしようもない現実を突きつけて欲しかった。だって、何もないだなんてあんまりじゃないか。 わたしはピアスに今度こそ微笑む。あんまりにも優しいネズミがもうこれ以上困らないように。 「ありがとう、ピアス」 「…………俺、ちゃんとを好きだよ」 その「ちゃんと」はきっとわたしの考えの及ばないものだ。 「…………本当にありがとう、ピアス」 お礼を言うことしかできない。理不尽な世界に慣れたとは言っても、終わりが見えていないわけではないのだ。理由と答え、そして物語を終わらせる覚悟は、徐々にだけれどわたしを確信に近づけている。 終わりを見据えて行動を起こさなければ、望む答えなど手に入らないとはわかっていた。わかってはいたのだけれど、わたしの望む最後に欲しいものなどあってはいけなかった。 |
私の破片を掻き集めてそれで
(09.06.13)