どこまでもアリスはわたしの期待を裏切るんだなぁ、と彼女の瞳を覗きながら思う。
献身的な言葉のひとつひとつがずしりと重く感じて、わたしはうっすらと瞳を細めた。ペーターに案内された部屋は隠し部屋に相応しく狭く簡素で、肌に感じる空気が冷たい。それなのにアリスが掴んだ腕ばかりが熱くて、生々しかった。
どうして、彼女はわたしの予想をはるかに上回ってしまうのだろう。なにもかも今更だというのに。わたしは酷薄な笑みを浮かべた。


「…………それは、必要なこと?」


すでにブラッドの逆鱗に触れ、役持ちたちの均衡を崩し、わたしはそれでもこの世界に居座り続けている。予定違いもいいところの結末だ。わたしは非難されるべきであって、アリスが尋ねてくれるような問いの答えを持ってはならない。
けれどわたしのすべてを裏切って優しい彼女は、聞いてくれるのだ。わたしの愛したものと間違った瞬間と、これからを。
アリスはその綺麗な瞳を潤ませて気丈に笑った。


「必要よ。他のことなんてどうでもいいわ。私とに必要なの」
「わたしとアリスに?」
「そうよ。だって、余所者なんだもの」


彼女の結論はあまりにも簡潔で要領を得ないものだった。余所者を特別扱いしてくれたのは、結局この世界の住人ばかりだったのでお互いに言い合うことなどなかった。慰めあう傷をみせなかったふたりであったのに、とわたしは思う。ずっとそうだった。わたしたちはお互いに自分たちの世界で大なり小なり傷ついていて、この世界はその傷ばかりを執拗に癒そうとする。傷つけられ化膿した傷跡は、その優しささえ跳ね除けていたというのに。


「…………やっぱり、アリスは強いね」

「わたしとは大違い。だから、すぐにでも帰りたかった」


アリスの気丈な瞳から逃げるように視線をはずし、貧弱な自分を見下ろす。彼女は向き合う強さを持っていたので随分この世界と格闘していたけれど、わたしはひたすらに頷くだけだった。否定しなれていなかったのだ。否定されることには慣れていたのに、自分に優しいものには特に抵抗できなかった。


「わたしの元の世界はね、とても孤独な人が多いの…………ううん、違うな。…………孤独だと感じている人が多いの」


生きている人が多すぎて、自分と関わりあう人が少なすぎて、大切だと思える他人が珍しい。それでも絶望に浸る人で溢れないのは捨てられない矜持があるからで、特に思想や信念を持っているわけではなく、それでも目の前にいる誰かに不満をぶつければ発散できるだけのストレスで収まっているからなのかもしれなかった。
人で埋め尽くされた一方方向に歩く群れの中で感じる途方もない孤独に気付く人はいったいどれだけいたのだろう。


「余所者だって言われたとき単純に嬉しかった。だってそれは『特別』でしょう?…………どんな意味であっても、それは他人との明確な区別だった」


ユリウスの熱のこもらない瞳を思い出し、嫌そうに説明してくれたこの世界においての余所者について思い出そうとした。彼は余所者など害虫だといわんばかりの口調だったというのに、わたしは胸が躍って仕方なかった。戻れないことに怯えていたのに、一方で喜びに打ち震えていたなんて間抜けだ。


「はじめはユリウス。不安で心細くて悲しくて、彼の傍が唯一安心できる場所だった。それからアリスに会わせてもらって、ビバルディと話をして、ブラッドとお茶をして、ボリスとジェットコースターに乗って」


ハートの国の日々を思い出せば出すほど、なんて遠い日々なんだろうと思う。あれらはもうすでに朽ちてしまった記憶の中だけの古い写真でしかない。記憶のアルバムは美しかったものしか残さないので、それらをすべて信じてはいけないことを知っていた。たとえ何よりも美しく、思い出すたびに甘く切なくなる、正しく幸福だった記憶だったとしても。


「………もう『そのとき』しか思い出せない。わたしが完璧にこの世界を受け入れた瞬間、目の前は真っ暗になったの。心ではなくて体が、それではいけないと警告した」


本能に近い突然さで、乱暴なまでの強引さを伴って世界との距離を教えてくれた。ご都合主義に浮かれていたわたしはいっきに冷水を浴びせられ、一瞬前までの自分をひどく呪った。あの幸福だった自分がいるせいで、どうしたって幸福になどなれやしなくなってしまったのだ。


「この世界のみんなはよく、わたしを賢いとか強いと言ってくれたけれど…………それは違うよ。わたしは弱くて臆病で、自分が大嫌いな小心者なの。ユリウスの前では泣いてばかりで彼を困らせどうしだった」


苦笑に近い笑いをやっと作り出せば、アリスが目を見開いたのがわかった。彼女の驚きはわたしの弱さだろうか、それとも意外に優しいユリウスへのものだろうか。泣かずにはいられなかったわたしは、だから他の人の前では笑っていられたのだ。
誰が好きなの。アリスの優しい問いの答えが、もし彼女の知りたくないものだとすれば救いなどない。わたしは瞳を伏せて笑い、笑った自分が情けなくて泣きたくなる。































哀しみの工程





(09,07.05)