わたしが死ななかった理由は、銃にただの一発も弾が装填されていなかったからだという。ずしりと重かったあの鉄の塊は、それでもまったく役にたたないものだったらしい。あんなに重く、あんなに陰鬱な重量をわたしは手のひらにおさめていたというのに。 けれどそれはつまり、森の中を歩き回りペーターに見つけてもらった際に向けられた銃にも弾は込められていなかったことになる。彼は、確かにわたしのことが邪魔であわよくば殺してやろうと本気で思っていたくせに。 「命令だったんですよ」 あんまりにも不思議だったので聞いてみれば、ペーターは不機嫌さを隠そうともせずに答えた。椅子に座って書類にペンを走らせる彼はなかなか様になっているが、揺れる真っ白なウサギ耳がなんとも雰囲気を壊している。 わたしは目の前に立ちながら、首をかしげた。アリスにペーターの居場所を聞けば城の中でしょう、と一蹴されたので一人でくることになってしまった。わたしのことについての仲直りは、まだする気がないらしい。 「命令?」 「そうです。命令なので仕方ありません。いくらあなたが憎らしくても、僕は真面目なウサギですから」 聞こえるほど大きなため息をついて、ペーターはじとりとこちらを睨む。今だって殺してやりたいのだと、その目が語っていた。 わたしはそれを見ないふりをする。 「命令…………ビバルディの?」 「違いますよ。あの女が誰かに頼みごとなんてすると思うんですか。しかも僕に? ありえませんね」 「え、でもそれじゃ」 誰なの、と続けようとした声は遮られた。彼は光を映さない瞳をこちらに向ける。 「キングです」 「…………キング?」 「えぇ。あなたに銃を与え、その弾を抜くよう指示したのはあのタヌキですよ」 わかったら、とっととどこかに行ってもらえますか。ひどく不機嫌なのは仕方ないにしても、彼は先ほどからとても丁寧に受け答えをしてくれている。なんだか可笑しい、と思う反面、これが彼の本質ならばいいのにとも思う。人の心に疎いくせに、本当は誰よりも純粋なウサギさんはすらすらと綺麗な文字を綴っていく。 キングにお礼をいうべきか迷って、言うべきではないだろうと思った。キングがどんなつもりで助けてくれたかは定かではないけれど、この白兎同様にわたしは彼に好かれてはいないのだ。ただ今度あったときには思い切り笑顔で会話をしようと思った。彼の嫌味など笑い飛ばせるくらいの、とびきりの笑顔で。 ペーターの執務室は綺麗に片付いているから、窓を開け放っていると空気がすべるように入ってくる。わたしの前髪がまたふわりと浮かんだので、なでつけるようにして直した。彼の部屋は空気も太陽も入ってくる清浄な部屋だ。わたしはソファから腰をあげて、こちらを見てくれもしないウサギに微笑んだ。 「とにかく、ありがとう。命令でも」 「…………」 「それとお邪魔しました」 背を向けて扉に向かったわたしに、羽ペンがかつんと音をたてる。 「どこに行くんですか」 振り向くと、鮮やかに映えた赤い目と久しぶりにかちあった。 「さぁ。わたしは今、死んでるから」 「…………エース君なら珍しく部屋にいますよ」 とぼけたつもりなのに、ペーターは呆れた口調で言い捨てた。わたしはきょとんとした後に彼に向かって礼を言う。山でも森でも湖でも、探しにいかなければと思っていたので大変手間が省けた。あの迷子が誰かに居場所を把握されているのは珍しいなと思うと、謹慎中なんです、と子どもを嗜めるような声が付け足した。 再び羽ペンが書類の上で踊りだしたのでわたしは何も言わずに部屋をでた。あまりにも優しいウサギに、ユリウスの言っていた言葉を心の中で反芻させる。彼はアリスについてペーターと一緒にいても幸せになれないと言ったが、わたしに対する励ましを差し引いてもそれは間違っている。きっと、アリスは幸せになれるだろう。わたし達は掴む腕も望むための声も持っているのだから、どうしたってそうならざるを得ないのだ。 |
悪魔より祝福のキスを
(09.09.06)