「理由、ねぇ」


騒々しいヤツラが三匹ほど出て行った静かな屋敷で、ブラッドはひとり呟く。はひどく優しげな様子で笑いながらブラッドを見つめていた。あの瞳がもし怯えていたりしたら、自分はきっとまた閉じ込めてしまっただろうなどと考えながら、彼女を思い出す。あの庭で見る彼女はいつもこの世のものとは思えない。ブラッドの心が解放されているからか、それとも薔薇の香りが幻覚作用でも持っているのかもしれなかったが、いつも彼女は夢のように儚げだった。
その彼女が紡いだ、この世界で見つけたいもの。ブラッドはテーブルに並べられた美しいティーカップを傾けながら、紅茶に映る自分を見る。


「…………それほど大事なものか」


ブラッドには彼女が落ちてきた理由など、どうでもよかった。今この世界にがいることがすべてであり、真実だ。それ以上でも以下でもない。
ただが欲しいという理由が彼女の今後を左右するとなれば別だった。もし見つからなかったり気に入らないものであったのならどうするのだ、という問いを向ければ彼女は瞬間ぽかんとした。そのすぐあとで意味ありげに視線を宙に浮かせ、首を傾げる。けれどその瞳は雄弁に「そんなこと、あるはずがない」と語っていた。
答えがないなんて、そんなことあるはずがないでしょう。


「…………もしかすれば」


ブラッドも役持ちの一人として、余所者の知識くらいは持っている。それを照らし合わせ、尚且つ役持ちの誰一人として故意に力を使っていないとするのなら、導き出される答えなど狭められてくる。
ふわりと優しい紅茶の香りを吸い込むながら、ブラッドは出て行ったを思った。答えは必ずあると確信していた彼女は、その答えが自分の望まないものであると少しでも考えたのだろうか。あの自信に満ちた瞳はとても危うい、ひどく脆いものに思えた。
ふいに視界に映っていた昼の空が瞬き、時間帯は夕刻に変わる。紅蓮に染まる空を穏やかな風が吹き、同時に聞きなれてしまった声を運んできた。クジラの鳴き声は今日も高く、一層淋しく世界に木霊する。


















* * * * * * * *



















「何が可笑しいのよ、エース」


夕方になったせいで赤い部屋は更に鮮やかに染まっていく。アリスは青筋が浮き上がらんばかりの勢いで、先ほどから笑い転げている騎士を見た。腹を抱えて笑う騎士はあまりにも不愉快だ。
目に涙さえ浮かべながら「悪い、悪い」と肩で息をする騎士が本気で謝罪する日は来ないと思う。


「でもはまだそんなこと言ってるのか。可笑しすぎて笑えないぜ」
「今、充分馬鹿みたいに笑ってた騎士はどちら様?」
「ははっ!だって笑わずにいられないよ。やっぱりユリウスは言えなかったんだなぁ」


くく、と未だ笑い続ける彼は友人の名前を口にする。アリスは片眉を跳ね上げた。どういう意味。尋ねるジェスチャーはエースに届いたようだ。エースは億劫そうに立ち上がり、そのくせ身軽に動いてみせる。ぐっと力を込めて伸びをするさまは、現実世界では好青年にしか見えない。けれど、目の前のハートの城の騎士は好青年なところなどカケラもなかった。
エースはこういったとき、はぐらかす気になれば死んでも教えないことを知っていた。けれど、それはいつだって彼に分が悪いときのみだ。だから今回はすぐに答えを切り出してくると身構えると案の定、窓の縁に手をかけながら彼は話し出す。


「どうして答えなんて欲しいんだろうな。今ここにいる。それだけじゃ駄目な理由がわからないぜ」
「…………答えが絶対欲しい、ってわけじゃないと思うわ」
「へぇ?」


振り向いたエースの顔半分は夕焼けのせいで暗くなり見えなくなる。まるで仮面でも被られているみたいだ。寒気さえする、あの仮面をアリスは未だに慣れない。
まるでアリスの答えの良し悪しで返答の如何を考えているようなエースはにやにやと笑っているようだ。


「納得したいし、反論したいの。はもう立ち向かえるわ。それがどんな答えだっていいんだと思う。でも、何もないのは嫌なのよ」
「…………何もない?」
「そう。呼ばれたわけでもなくて、何かの事故でもないなんて、そんなの許せないんだわ」
「それじゃあ、あれかな。もし台風とか津波とか、そういうわけのわからない絶対的な力のせいだとしたらは納得するんだ?」
「…………極端すぎるわよ。でも、そうね。だとしたら反論するなりケチをつけるなりできるでしょう。何かにあたったり、憎んだりもできる」


そうして思い切り八つ当たりをした後、彼女は晴れ晴れとして笑うのだろう。その答えが何であってもいいのだ。ただ彼女には理由が必要で、それは人間にとっての水とか酸素とか絶対的なものに他ならないのだ。ここに残ると決めた彼女が、一番初めに見つけなきゃいけないもの。そうだと確信して、納得してから片付けなければいけない類の厄介な代物だ。
エースはいかにもわかったようなわからないような仕草で頷いた。顎に手をあてて「ふーん」と相槌をうつ。


「でもそしたらさ、きっとこの答えをは気に入らないと思うぜ?」
「答え?」


答えを持ってるの、とアリスは目を見開く。エースは相変わらず渇いた笑みを浮かべながら窓の外を見つめた。きっと次は夜だな、なんて予言めいたことを言いながら笑う彼は最高に狂って見える。


「ユリウスは薄々気付いてたんだ。でも、伝えられなかった。どうしてだと思う?」


答えをくれる代わりなのか、エースはヒントでも与えるかのように告げる。アリスは首を傾げた。ユリウスは確かに根暗だが、が求める答えを与えないほど理不尽でも意地悪でもないはずだ。けれどもしそれがを手元に置くために必要な手段であったというならどうだろう。もし答えを与えてしまえばが帰ってしまうという決定的な確信があれば、ユリウスだとしてもそれを隠した可能性はある。
悶々と悩み始めるアリスに、エースは「そんなに考えることじゃないよ」と助け舟を出す。


「別に策略とか算段があったわけじゃないぜ。ユリウスはそこまで鬼畜じゃない」
「じゃあ、どうして?」
「…………それがまた笑える話でさ。きっとアイツ、格好がつかないから言い出せなかったんだ」


くつくつと笑い出すエースは先ほどとまではいかないがひどく楽しそうだった。
その合間に「まぁ、俺もきっと言いたくないけど」と添えたのは彼の本心だろう。


「格好悪い? なにそれ」
「アリスにはわからないよ。でも、男にとっちゃ大事な問題だ」
「余計分からないわ。はぐらかさないできっちり教えなさいよ」


憤慨して声を荒げる真似をすれば、存外本気の声が出た。エースはぴたりと笑うのをやめて、じっとアリスを見る。その瞳は暗闇の中で光るビー玉に空虚で怖かった。その瞳がやわやわと苦笑に近く、同情にやや似た笑みに変わるのがスローモーションのようにアリスの瞳に映し出される。エースはいたって普通にアリスに歩み寄る。彼女は逃げたい自分を叱りつけて、エースを見据えた。彼はアリスとたった一歩の距離まで近づき、その長身をかがめてまるで秘密を打ち明けるように小さく呟いた。息のかかった耳がこそばゆく、すぐにでも振りほどきたくなる。


「答えはアリス、君だよ。君のせいで、はここにいる」



























輝かしい真綿の呪詛





(09.10.04)