「来ると、思ってましたよ」
トロロにもらったカクテルを眺めながら、わたしは最後の人を待っていた。いくら鈍いわたしでも、出会った人々が偶然ではないことくらい予想がつくし、こんな茶番が好きな人物に心当たりもある。徐々に店内から人の気配が消えていくのを感じながら、それでもきっとくると思って待っていた。ようやく現れたその人は、悪びれる様子もなく笑った。
「すまないね。待たせてしまった」
「別に。勝手にしたことですから」
ピンクのカクテルをもてあそびながら、わたしは視線をあわせず答える。こんな時間まで何をしていたのか、残業でもあったのか、普段なら尋ねるものが今は気にならない。
ガルル中尉がわたしに近づいて、バーテンダーに何か頼んだ。カクテルかドリンクか。一緒に酒を飲んだことがないから好みがわからない。わたしは手に持ったままのピンクのそれを飲み干した。生ぬるく甘く、水よりも滑らかな液体が喉を通っていく。薄暗い店内で、ぼんやりとした空間を表すようにぼんやりとした味が舌の上に広がった。
「どういうつもりですか」
「どういう、とは?」
「知っているんでしょう。わたしはゾルル兵長にプロポーズされました」
いちいち確認させるようなやり方をこの人はとる。問題を解決するには最初から最後まで手順があるのだとでも言うように、彼はきちんと段階を踏んで取り組んでいく。けれどわたしにはそれがもどかしかった。答えが出るのならば早いほうがいい。
「あなた達のしたいことがわかりません。結婚なんて当人同士の問題でしょう?」
「そうだ。しかし、君は一人で考えれば、ゾルル兵長のことを選ばない」
そうだろう?
彼はやはり、わかっていることを確認して聞いてくる。わたしは笑った。
「選びませんとも。結婚なんて、くだらない」
「なぜ?」
「荷物を抱えて何になるんですか。ひとりで生きていけるんだったら、そっちのほうがよっぽど身軽で効率がいいでしょう。相手がいればいらない世話をやいたり、やかれたり、話さなければいけないことだって沢山でてくる。ひとりならば、わたしが選択したものが、答えです。……………だから、わたしはひとりでだって」
大丈夫、と言おうとして固まった。
手のひらの中のくたびれたバースディカードを思い出す。誰かが自分を一番に思っていてくれているということ。生まれてきてくれたことを、両親のような無償の愛ではなく、受け止め享受してくれる存在がいてくれるという事実。そんなものがあるのならば奇跡だと、思った時期は確かにあった。けれどその奇跡だって、永遠ではない。いつかはなくなってしまう。溢れんばかりの泉さえやがて枯れるように、それは致し方のないことかもしれない。人の心は永遠ではないことを知りながら、それでも寄り添いあうことをやめないのはなぜだろう。
「君は強い。これから先も立派に生きていけるだろう。無論ひとりでも、十分すぎるほどに」
「………………」
「男に依存しろと言っているわけではない。ただ、君はもう少し肩の力を抜いたほうがいい。そうすれば、見えていなかったことも見えてくる」
軍部と言う特殊な機関の中で、女性の立場を意識させないのは無理だ。だから、頑張ってきた。人の万倍の努力と、勝ち上がっていくための根性、加えていつでも強気な態度を取り続け、ようやくここまで来たのだ。
空のグラスを持ち上げる。磨き上げられた表面に、わたしが映っている。可愛くない顔で、ガルル中尉の話を聞きながら、従いたくないと目で訴えている。
「男の人って、我侭ですよね」
「女性のものとは、種類が違うがね」
「しかも、ハプニングに弱いし、すぐうろたえる。結婚だってそうじゃないですか。結局は妻を閉じ込めておきたいがための、悪あがきでしょう?」
ガルル中尉は、金の瞳をゆっくりと細めた。
「帰る家があるというのはいいものだろう」
「結婚したこともないくせに」
「けれど家族のありがたみは、君以上に知っているつもりだ」
酒が運ばれて、ガルル中尉が受け取る。小さなすっきりとしたデザインのグラスには、なみなみと酒が注がれていた。真っ赤な、見たこともない色の液体が照明に揺れる。
会話をしながらも、自分の意識がだんだんと離れていくのを感じていた。もう夜更けだったし、酒を飲みすぎている。吐き気や気分が悪いということはないが、このままでは眠ってしまいそうだ。
「俺は君もゾルルも、友人として大切だ。だから、よく考えて欲しい」
そんなものは身勝手な押し付けにすぎない、と回らない頭で思う。
「君の思うように、マイナスの結果ばかりが待っているわけじゃない。そうじゃなければ、この世に家族など存在していないだろう」
それもこれも、子供なんてものがいるから別れたくてもできないやつらがいるんだよ。幸せな家庭で育った中尉には、わからないだろうけど。
「それに、奇跡だと思わないか?」
視界の端で、ガルル中尉がグラスを煽る。唇に流れる液体が、赤く光を反射した。その影と色で、血液みたいだと可笑しなことを思う。取り込んで消化して、やがて自分の血や肉になる。けれど、他人とはずっと距離を感じ続けるのだろう。いくら交わっても、話し合っても、時間を共有しても、彼は限りなく他人であることに変わりはない。
いっそ、飲み下して消化してしまえればいいのに、と思う。
「なにが、ですか」
声までも、酒に酔っているようだ。
「この世界でただひとり、自分を何よりも大切に思う人間がいるというのは」
奇跡だ、と今度は断言して彼は締めくくる。わたしは肯定も否定もせずに、瞳を閉じた。
まぶたが重く、体は重力にしたがって傾いていく。心地よい酔いに包まれているのに、考えていることは最初と変わっていない。ガルルのおせっかいとトロロの苦言と、タルルの気遣い、全部がまざってわたしの中でごちゃごちゃになっていく。
いつもより酔っているだけ、とわたしは整理できない頭を放棄して眠りに落ちた。
(07.09.29) 小話連作四話目。おせっかいな中尉。部下思い・・・・・・?
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