守り方がわからなかった自分はひどく不器用な朴念仁だった。
殺すためだけに口を塞ぎ喉を掻き切った。血にまみれたこの腕に大切なものを抱くことを恐れて、それでも守れると確信していた。戦場に共に出ていたとしても、すべての危険から彼女を遠ざけて見せる。自分には暴力という優しさしか守るすべがない。
だから平和な日常と下らない世間の中で、路地裏に潜んだ悪夢を見ずに済むのならどんなことでもしてやるつもりだった。例えそれが彼女に知られなくても、守っていられるだけで幸せだったし自分を動かす原動力になっていた。
触れてしまえば壊れてしまうと感じていたから、伸ばした腕が彼女に届くことはなく。
「…………?」
俺は会話が苦手だから傷つけないために極力会話をすることさえも控えた。
はただ存在してくれればよかった。いつも不機嫌な俺に、微笑んでくれるだけでよかった。それが欲をかいた願いだというのなら、他の男の元でもいいから、彼女には幸せに笑っていて欲しかった。それだけの願いだ。けれど多くを奪い、消し去り、無下にしてきた俺にはそれさえも叶えることが困難な願いかもしれない。過酷な訓練も、痛みの末に手に入れた機械の半身も、彼女を守る役に立たないというのならば俺の存在意義はなんだ。
「なんて顔してるの。ゾルル」
ベッドの上で、が笑った。青い顔をしたこちらのことなど構わず、白い包帯を腕に巻いて笑っている。細い腕に巻きつくそれらに目を奪われ、一瞬何が起きたのかわからなかった。そうして愕然と自分の前にあるものを見て、守れなかった事実を思い知った。
「あはは。ちょこっと油断したの。わたしもまだまだ訓練が足んないかな」
「…………誰ニ」
「やだ。報復とかやめてよね。これはわたしのミスなんだから」
強情に口をつむぐは、ぷいとそっぽを向く。もちろんに傷を負わせたやつにはそれ相応の報いを受けてもらうつもりだった。生きながらにして自身の血だまりにひれ伏させ、与えられるだけの苦痛をもって自分がしたことの重大さを思い知らせてやる。の白い肌についた傷の分だけの屈辱と、心に負っただけの恥辱を、知りうる限りの方法で万倍にして相手に報いてやるつもりだった。
「…………ゾルル。顔、怖いんだけど」
「五月蝿い。生まれたとキから…………この顔ダ」
「いや、そーじゃなくてさぁ」
かりかりと頭をかいて、はこちらをちらりと盗み見る。それから不意に腕を伸ばして眉間に触れてきた。びくりと身が竦み逃げようと思うのに、に触れられていることが心地よくて留まろうとする心がせめぎ合う。ぐりぐりと力任せにが眉間の皺を伸ばした。
「ここらへんに力が入りすぎなのよ」
「やめ…………ロ!」
「ダメ。このまま帰ったらゾルル暴走するでしょ。それこそ見境なく」
たぶん、彼女の言うとおりになる。演習室でも、次の戦地でも、所構わず命令などすべて無視して敵の殲滅に全神経を集中させてそれ以外見えなくなるだろう。最後には廃墟と化した荒れた大地に呆然と立ちすくむ姿が想像できて、自分の短絡的すぎる行動に笑いがこみ上げる。子どもの八つ当たりと一緒だ。力を得た分だけ、対象になるものと被害が大きくなったというだけ。
「あのね、わたしに怪我させたヤツはもうこの世にいないの。だからゾルルが怒る必要ないよ。…………なにせタルルとガルルとトロロの一斉攻撃食らったからね。生きてるほうが可笑しいって」
その光景を思い出したのか、が気の毒そうな笑みを浮かべる。彼女が怪我を負ったとき、一番に気付いたのはトロロだった。瞬時に搭載した全ての武器の射程を敵に向け、ガルルが発射の前にを救出し自分も武器を構え、タルルも攻撃に加わり一帯が焼け野原に変わった。別行動の任務についていた自分だけがその場にいなかったために、の報復をし損ない苛立ちだけが募っている。相手を打ちのめしたところでこの罪悪感にも似た情けなさが拭い去れるわけではないが、誤魔化すためにもぶつける何かが必要だった。
「まぁだ納得できない? 何かにあたりたい?」
「…………お前ガ…………戦場ニ出なけレば、いい」
「却下。わたし軍人だからそれは無理」
あっさり提案を棄却するは、論外だと言わんばかりだ。
守るためには安全な場所で暮らしていてほしいのだが、本人が嫌がるので無理強いも出来ない。強く言えば反発して口を聞いてもらえなくなる。適度な距離を保ちつつ、降りかかる火の粉を払うことほど難しいことはない。
「わたしだって生活があるんだしさー。軍人やめろとか怪我するなとか不可能なのよね。だからって結婚すんのも嫌だし」
「…………ナゼ」
「だって逃げたと思われんだよ絶対ヤダ!苦しくて逃げて結局女の幸せは旦那様次第とか虫唾が走るし旦那に養ってもらってるってだけで気分悪いし、俺が養ってるんだぞなんて態度を取られた日には寝首かく自信あるよわたし」
本気で嫌悪して、自分の想像に鳥肌を立てながらは身震いした。
「…………でハ、どうイう男なら…………いイんだ」
「えー? とりあえず自分のことは自分で出来て、わたしに多くを求めない人。家にいろとか持ってのほか。容姿とかは気にしないよ。あとは性格があえば誰でもいい」
誰でもと言う割には家に居たくないなどと我侭を言うに、こっそりとため息を吐く。
少なくとも自分はに家に居て欲しい。それは家事をしろという押し付けではなく、単に彼女の身を案じているからだ。の透き通る肌に傷がつくのを見たくない。それなのに自ら危険に飛び込んでいくのではこちらの心臓がいくつあっても足りない。
「お前ハ…………我侭ダ」
「わかってるよ。自覚してます。でも仕方ないじゃん、これが性格だもん」
「…………」
「あーもーそんな目で見ないでよ、ガルルみたいに説教してくれた方がマシ!それにさぁ、実際こんなお転婆もらってくれる奇特な男性いないよ」
あははと自嘲気味にが笑う。
人が心配しているというのにこの軽さはなんだ。
ゾルルの中で、何かが切れた。
「わかっタ…………」
「うん、ごめんね。お見舞いありがと」
「俺がお前ヲもらう」
「来てくれたんだから土産にメロンでも持って帰るー?」とが笑顔で付け足そうとした瞬間に、無表情に彼は告げた。の笑顔が固まって、彼の眉がぴくりとも動かない様子に本気だと悟る。唐突すぎる。状況を整理できずに、は「えーと」と包帯の巻かれていない方の腕を無意識に動かした。
「話の流れからすると…………結婚しろってこと?」
「そうダ」
「それはつまり…………ゾルル兵長はわたしのことが好きってこと?」
「…………」
の問いに一拍置き、呼吸を整える。
「お前を傷つける輩ヲ…………殺したいト思うくらいには、好きダ」
今度こそ、は絶句した。赤くなりながら口ごもり、青くなりながら頭を掻いたり膝を叩いてみたり忙しない。ナースコールを押しそうになるのだけは止めたが、混乱しているのだけは窺えた。
「俺ハ…………家にいろトは言わん」
「えーちょっと待って、なんか色々、えー?」
「ただお前を傷つけるヤツだけは…………死ぬ以上の苦しミを与えてヤる」
それこそ死にたくなるくらいの。
あまりにも綺麗にゾルルが笑うから、は笑っていいのか止めるべきなのかわからない。普段冗談を言わない同僚からの最大級の告白を、まともに受けとっていいものか。多分ゾルルは結婚の何たるかを知らずにそう言っているに違いない。わたしが少しでも戦場で自重し、無茶をしなくなるように予防線でも張るつもりなのだ。そのための告白だと言うのに、さっきから体温が上昇しっぱなしで顔のほてりが治らない。
「あーーーー、わかりました。うん。考えときます」
「本当カ…………?」
「はい。うん。考える。こればっかりは悩まないと答えでないから」
苦し紛れにそう答えたは恥ずかしすぎてゾルルの顔が見られなかったのだが、彼はそんなこと気付かない。ただが大人しく自分の告白に答えてくれると言っただけで満足していた。が幸せならばそれだけでいいと願った日もあったが、結局は自分の手元が一番安心するし守りやすい。それを考えれば、結婚という手段は彼女に有効に働くような気がした。
「」
相変わらず可笑しな動きをしながら「うー」とか「あー」とか奇声をあげている。
呼べば「なによ」と不機嫌に答えられたが、その仕草さえも可愛らしく思えてしまう。ゾルルは出来るだけ優しく彼女の肩を抱いて唇を耳に寄せ囁いた。
「愛しテいる…………」
今度こそ熟れすぎたトマトみたいに真っ赤になったがゾルルを引っぱたき、傍にあった点滴を持ち上げたところで通りすがりの看護婦さんに止められた。
始終笑ったままのゾルルを認識できたのは、その場では彼女だけである。
(それが彼女の沸点を、またあげることになったのは言うまでもない)
(07.07.25) なんかもう言い訳のしようもない。
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