一度目は、偶然を装い
二度目は、彼女の耳に届かぬように、
三度目は、こちらの演技力が試される。
さぁ、それでは四度目はどう乗り切ればいい。






雨が降っていた。
さほど激しくない雨が、陽光を遮断された薄暗い大地に降り注いでいる。大してやることもなかった俺は自室の窓にもたれかかり、雨音に耳を澄ませていた。小さな音が重なり、幾重にも耳の中でこだましてやがて一つの音の波になるのは心地いい。
そして、なによりこの部屋にいるもう一人の存在が空気を和らげている。


「…………なに?」


視線だけをソファに座り本を読む彼女に向けていると、顔もあげずにそう言われた。
の声は湿度の高い部屋で、唯一渇いている。感情を押し込め、自分を律し、毅然と前を向く彼女らしい声だ。初めて会ったときもそうだった。あのときは何て冷たい声の女だと思ったが、ただ事実を事実だと述べる彼女の性格は付き合いやすかった。


「いや、別ニ…………」


なかなか返事をしないことをいぶかしんだのか、が本から顔をあげた。そのまっすぐな瞳を見て答えてやると、短いため息が空気中に溶ける。


「用もないのに、じっと見ないで。落ち着かない」
「…………あァ」
「それともどこか出かける?ゾルル、退屈そうだもの」


本を閉じて、は首を傾げた。
俺は特に退屈だとも感じていなかったがの提案に「そうダな」と考えるフリをして、立ち上がり彼女の脇に腰を下ろした。いっきに体重を吸い込んで、ソファに身が沈む。


「どこカ…………行きたいところがあるのか?」
「別に。…………でも、そうだ。今は外に出ないほうがいいかもね」


突然、彼女は思い出したように付け加えた。それを視線だけで問えば、テレビのリモコンを取り出してぱちりと点けた。電子音と共に部屋の中に無機質な音楽が流れ始める。
内容は、代わり映えのしないニュース番組だ。


「ほら、これ。近所ってわけじゃないけど、通り魔がでたでしょ」
「…………そうなノか?」
「そうなの。今までに襲われた人は三人なんだけど、そのうち二人は意識不明の重体。凶器は鋭利な刃物だって…………。怖いねぇ」
「…………そう、ダな」
「だからお出かけはなし。部屋の中にいましょう」


キャスターが現場の状況や犯人の手口について話している。傘を差しているから生放送かもしれないな、と頭の隅でぼんやりと考えた。どこにでもあるような住宅街の電柱に、拭いきれなかった血痕が残っている。可笑しなことだが、これは現実で起こっているはずなのに、ブラウン管を通しただけで別次元の出来事のように感じた。まるで三流のテレビドラマのようだ。
しばらくじっと画面を見つめていたが、一瞬身を震わせる。


「どうしシた?」
「大丈夫。…………ちょっと寒かっただけ」


部屋の気温は、雨のせいで低い。は投げ出していた足を抱えるようにして、ソファでぎゅうと小さくなった。何かから身を守るようにして懸命に自身を抱くは、何かを必死で考えているようだ。丸めていた背を撫でると、がゆっくりと顔をあげた。


「あのね、ゾルル」
「なンだ」
「さっきの、ニュースね。襲われた人を、わたし、知ってるの」


相変わらず渇いた声が少しだけ震えているようだった。はこちらを見ずに、もう次の話題に移ったテレビ画面を一心に見つめていた。


「知り合いだったノか?」
「知り合い…………。うん。知り合い、かな。今は」
「それは、どうイう…………」
「昔、付き合っていた人だから」


普段感情の籠らない声が、不機嫌気味に強まる。は要領を得ずに黙り込んだ俺に、やっと顔を向けた。その瞳の奥が、少しだけ怯えているようだった。


「こんな話、聞きたくないだろうけど…………」
「いや、イイ。そういう偶然は………あるもノだ」
「偶然?…………それは三人全員が、そうでも?」


は自問するように、語尾を上げた。通り魔に襲われた三人が全員、自分の昔付き合っていた彼氏だとすれば奇妙な話だ。薄ら気味悪くさえある。けれどはそんな偶然の一致に嫌悪感や恐怖を抱いているわけではなかった。淋しそうに、悲しそうに、俺を見ていた。


…………」
「…………なに」
「二人は重体だっタな。…………じゃあ、モう一人…………は?」


純粋な疑問に、は瞳を伏せた。


「命に別状は、ないって。でも、片方の目が見えないらしい」
「そウか…………。気にスるな。お前が気に病むことではないダろう」


の顔色は悪い。話すうちに段々と、薄暗い部屋でもわかるほど青ざめていた。
常に前だけを見ていた瞳に、はっきりと怯えの色を感じ取って俺は笑う。


「四人目は、俺ダろう?…………だとしたタら、俺はやらレん。それに、次は関係のナいヤツが狙われルかもしれない…………だろ」


安心させるようにそう言えば、は驚いたように目を見開いた。そしてすぐに首を振る。勢いがつきすぎて、首が取れるんじゃないというほどは激しく首を振った。


「起こらない!四度目は絶対!!」
「…………?」
「起こったりしない。通り魔の犯行はこれだけ。もう何も起こったりしない。誰も、傷ついたりしないの!」


まるでそう知っているかのような、断定的な声だった。もう声は渇いてなどいない。感情にまみれて、心を乱し、そこにいることさえ不安に思っていることがわかる。が、俺の機械部分を掴んで、瞳を覗いた。


「言って。ゾルル。四度目は起こらない。そうでしょう?」
「…………
「言って」


瞳には怯えと共に、強い炎が見えた気がした。俺は結局、に言われるがまま「四度目ハ起こらない」と宣言させられた。そう言う事で彼女が楽になるのならば、容易いことだった。


「四度目は…………起こラない」


は俺の言葉を飲み込むようにゆっくり聞いてから、力が抜けるようにして腕の中に倒れこんだ。その体を支えてやりながら、俺はもう一度「四度目は起こラない」と反芻する。


「ゾルル」
「…………ん?」
「大好きだよ」


力なく呟いたの声は、掠れていた。俺は彼女を抱きしめながら、「あァ」と返事をする。
彼女はとても賢い。そのために考えをめぐらせ、最悪の事態を想定したのだろう。
四度目が起こることはない。
四度目を止めることが、彼女に課せられた使命。そう思っていたのかもしれない。犯人の目星をつけ、そうであって欲しくない希望を持ちながら、彼女は必死だった。けれど、相手はあっさりと自分がそうだと露呈した。これはどれほどの絶望だったろう。
それでもは俺が好きだと言ったのだ。
抱きしめる腕に力を込めた。は黙って抱かれている。











なぁ、本当はわかっていたんだろう。
俺が自分を四番目だと知っていたのは、なぜなのか。
賢いお前は、その上優しすぎる。


























(07.07.20)優しい兵長ばかり書いていた反動。