うちの教官は、正真正銘のサディストだと思う。
幼年組をようやく卒業し訓練所へと足を運んだその日に紹介されたのが、ガルル中尉その人だった。紫の体色に光る金の目が怖くて、まっすぐ顔をあげられなかったのを覚えている。誰かの身体の後に隠れたり、話をされれば視線を逸らしたり、名前を呼ばれた場合でも見るところは別において彼を直視しようとしなかった。そんな態度をとれば露骨でなくてもどんな教官だって気付くのだけれど、ガルル中尉はわたしの態度にも眉一つ動かさず不愉快だと罵るわけでもなく平等に扱ってくれた。わたしとしてはそのことに少々驚いて、怒られなかったことを喜びつつも不安は拭えず怯えるように過ごしていた。怯えていたわけは見放されてしまったかもしれない自分のこれからの境遇が恐ろしかったし、原因である直視できない意味が理解できなかったからだ。


新兵」


ある実技の訓練の折、ガルル中尉がわたしを呼んだ。今までは特定して呼ばれたことなどなかったので、わたしは一瞬返事をするのを忘れてしまった。ガルル中尉の怪訝な視線に友人が気付き、わたしを小突いてようやく「はい!」と条件反射で声を出す。


「…………新兵、君は射撃が下手だな」


呆れとも苛立ちとも取れる声で言われた言葉に、さっと青くなった。確かにガルル中尉が受け持つグループの中で、わたしはダントツに射撃が下手である。的に当たったことはもちろんないし、弾の詰め方から手入れに至るまで上手くできたことがない。自分でもそれはわかっていたが、上手くやればやろうと思うほどダメになっていくので話にならない。最近では不向きなのだと自分に言い聞かせて努力すらも怠っていた。ガルル中尉との初めての会話らしい会話が説教なんて、と嫌な予感が脳裏を掠めた。


「も、申し訳ありません!」
「謝らなくてよろしい。戦場で困るのは君だ」


相変わらず視線が合わせられず、謝った拍子に下を向いてなんとかその場をしのぐ。ガルル中尉はそのことに気付いていないように、バッサリと切り捨てた。銃を握る手のひらに汗が滲んで、一秒が何時間にも感じた。叱るのならば早く叱ってほしかったし、指導するのならば前に立ってほしい。向き合うように立っていると必死で彼から目を逸らそうとする心理が働いて、キョトキョトと視線が定まらない。


「…………。君には、特別訓練が必要だな」
「―――――――――は?」


たっぷり間を置き、わたしの神経を随分すり減らした後でガルル中尉は静かにそう告げた。わたしは彼の持つ小型の銃をひたすらに眺めていたのだけれど、言葉の意味を理解してから可笑しな声を出した。確かにわたしの銃の腕前はお世辞にも十人並みとは言えないが、彼自ら特別訓練を行うほど重要視されるものではない。人には得意不得意があるのだし、訓練所は固体別の能力を測り敵性箇所に配置される準備段階だ。戦場が向かなければオペレーターなり技術職なりどうとでもなる。そう考えていたわたしにとって、ガルル中尉の申し出はありがた迷惑でしかなかった。しかしすぐに首を振って謝罪と辞退を述べるつもりであったのに、わたしの行動などよりもずっと早くガルル中尉はくるりと背を向けた。


「ついて来なさい」


有無を言わせない命令に、わたしは呆然と無慈悲な背中を見つめた。事の次第をうかがおうと聞き耳をたてていた友人たちに救援のアイコンタクトを送ったが、誰一人手を差し伸べてくれるものはいなかった。仕方なくガルル中尉の背中についていきながら、どうしても慣れない紫の身体をちらりと眺めて、自然とため息が零れた。














「…………呆れたな」


遠くでガルル中尉の声がする。それしかないといったように吐き捨てられた言葉は、ひどく深くわたしを傷つけた。もう充分傷ついているのにこれ以上追い討ちをかけるのは教官としてどうなのだろうと文句をつけたいが、そんな表情にさせているのは紛れもなく自分だから仕方ない。


「…………すみません」


とりあえず、わたしは謝った。先ほど謝って失敗したというのに、学習せずに馬鹿の一つ覚えみたいに謝るわたしはさぞ滑稽だろう。しかもこの状況は、愚かというしか言いようがない。
現状は宙ぶらりんだった。
連れて来られた特別訓練室はジャングル仕様で、わたしはそのことにも度肝を抜かれたのだけれど相手に用意されたモンスターを見て思考が停止した。見上げてしまうような巨体、うねうねと動く何本もの茎、本来は可愛らしいはずの花は凶悪な歯をむき出しにしてこちらを威嚇している。しいて言えばイチゴの花に似ていたが、いくら実がなったところで食べたいとは思わない。ガルル中尉は固まるわたしに倒すように指示を下し、玉砕覚悟で戦ったわたしはまんまと片足を絡め取られ宙に浮く破目になった。その間、数秒の出来事である。弾の一発も当てられず無傷の内に捕らえられてしまっては、ため息もつきたくなると言うものだ。加えてガルル中尉は教官としては申し分ない知識と教養とカリスマ性を備えている。滅多なことでは怒らず、また訓練生の受けもすこぶる良い人だ。それだけに、こんなふうに落胆させてしまったことが悲しかった。


「困るのは君だと言っただろう。さぁ、そこからどうするんだ」
「…………え、と」
「食べられるのを大人しく待つのか?今までの訓練は何の役にも立たなかったわけだ」


ひどく冷たい調子で感情を込められず言われた言葉に、言い返すことも出来ない。血ののぼってきた頭はぼんやりと思考を鈍らせて、解決策など浮かんでこなかった。
また、ため息が聞こえた気がする。


「…………では、ヒントだ。そいつは火に弱い」
「中尉、わたし火器の類は持っていません」
「君は考えるということを知らんのか。…………まぁいい。」


吊り上げられたときすでに武器はこの怪物にとられてしまっていた。他の武器というと腰にサバイバルナイフがあるけれど、そんなもので状況が変わるとも思えない。
反転した世界で、腕組みをしたガルル中尉が何かを構えた。
ついで、自分を捕らえていた蔦が力をうしなって投げ出される感覚。突然のことに受身など取れなかったわたしはしこたま腰を打ち付けて着地した。けれど痛がるよりも、巨大イチゴのモンスターの脅威が傍にあることを思い出して、役に立ちそうもないサバイバルナイフを構える。けれど視線の先、巨大なイチゴはわたしの一撃をくらうことなく倒されていた。


「………ミッションコンプリートだ」


重低音の、迫力のある声が背後から聞こえた。わたしは背筋をのぼる悪寒に、びくりと体を震わした。わたしの一撃が入っていない以上、モンスターを倒したのはガルル中尉だと考えるのが正しい。すぐにでも振り返って謝罪するべきなのに、わたしの足は動かなかった。なぜかはわからない。草を踏む音がして背後に気配を感じた。わたしは中腰にナイフを構えたままバカみたいに静止している。


新兵」
「………は、イ」
「こちらを向きたまえ」


命令されて、軋む腕を動かし胴体をゆっくりとひねる。視線だけは下に落とし、決して彼を見ないように勤めた。ここで叱咤されるのなら耐えられるが、彼の瞳を見ていては泣き出しかねない。
けれど視線を落としたまま、振り返ったわたしの顎に手がかけられた。なんだろうと考える間もなく乱暴に顔をあげさせられ、パニックに陥って悲鳴を上げる前にわたしの唇は呼吸を奪われていた。頭の中が真っ白になる。いや、目の前は紫色だから、頭の中もその色でいっぱいだ。
二度三度角度を変えて降り続いた口づけは、わたしが抵抗するまで続けられた。ようやく離されて、信じられないというふうに自分の教官を見つめると、彼は唇の端を優雅に親指でぬぐって笑った。



「君には、特別訓練が必要だと言ったろう?」


意地悪そうに歪められた瞳の金色が、この世のものじゃないみたいに綺麗だった。わたしは初めて会ったあの日に感じた恐怖が、このためのものだったとようやく理解する。わたしが怖かったのは、魅かれることだった。
ガルル中尉がまた、わたしに近づく。瞳をまっすぐに据えたまま、逸らすことなど許さないと言われているようだった。無言の威圧に気おされる。鼻がつきそうなくらいの距離でようやく止まったガルル中尉は、教官の表情ではなかった。


「君には克服してもらわなければいけない」
「しゃ、げき、ですよね」
「もちろん、それに私のことも」


まるでおかずをもう一品足すように彼は付け加えた。わたしはそれから当然のように降りてきた唇に体を硬くした。中腰だったはずの体勢はすでに座り込んだ状態で、なお倒れそうになる体は彼の右腕で支えられている。指先までしびれていて動かない。それが彼に対する恐怖なのか、快感のためなのかわからなかった。ただ蜘蛛に捕まった蝶というのはたぶんこんな感じだと考えていた。もがけばもがくほど、糸は絡まり身動きを取れなくする。
抵抗はしなかった。ガルル中尉がうっすらと笑うように唇を歪めた気が、した。



































(07.09.20) 世間では鬼畜中尉殿が人気らしいよ(嘘をばらまくな)