五杯目の、青い春の味のする飲み物を流し込んだあと、わたしはまたカウンターに座り込んだ。ひんやりとしたテーブルに頬を摺り寄せて、少しだけまぶたを閉じる。眠くはない。眠ってしまっては、また同じ悩みの中に陥ることになってしまう。そう思うと、眠気はいっきになくなってしまう。ぐらぐらと酒の酔いに任せてぼんやりとしていれば、現実と虚実の中で大切なものを失わずに済む気がした。
上気した頬、閉じた瞳、誰もが眠っていると思うだろう。実際泥酔していると勘違いした何人かの男が声をかけようとしたが、馴染みの客だからと店員が追い払ってくれた。それを肌で感じ取っているのに彼女は起きない。耳元でいさかいよりも小さな衝突が起きているがそれも知らないふりだ。けれど、ひやりとした重いものを頭の上に乗せられて、さすがにおかしいと瞳をあけた。


「起きた? まったく、こんな時間まで何してんのサ」


カウンター席の向こう側、トロロ新兵がグラスを傾けてこちらを見ている。オレンジの内装の中で、健康そうな色を放つ彼が一瞬把握できない。頭を振り、額を二度叩いて、それからもう一度彼を見る。やっぱりミカンみたいな少年は、変わらず厚顔不遜な態度でそこにいた。思わず彼のグラスをもぎ取れば、不服そうな声があがる。


「なにするんダヨ!」
「未成年の飲酒は禁止でしょうが。というか、なんでここにいるの」
「この店には貸しがあるんダヨ。とりあえずボクのお酒返せ」
「ダメ。本気で体壊すぞ、ジャンクフードジャンキー」
「大きなお世話ダネ。いいから、返せって」


身を乗り出してカウンターに膝をつく新兵。わたしは取り返される前にそれを飲み干した。甘い甘いイチゴみたいな匂いのするお酒だ。たぶん彼用だと思われるそれは、匂い通りイチゴ味だった。空になったグラスを見て、トロロが悲鳴に近い抗議の声をあげたけれど、無視をする。店内の喧騒は彼の叫び声など飲み込んでしまうから、誰もこちらを振り向かなかった。けれどバーテンダーが一人、困ったように微笑んでこちらを見ている。どうやら彼の言うことは本当らしい。バーに貸しがある、なんて聞いたことがないけれど。


「ご馳走様。美味しかったわ」
「当たり前ダロ!ボクのだぞ!」
「男なら、奢ってやるくらいの度量を持ちなさいよ。ちっさいわね」
「ちっさい言うナ!あーもーお前みたいなヤツのどこがいいんダヨ!ゾルルはっ」


その単語に反応したのは、わたしの不機嫌真っ最中な部分だ。噴き出してはいけない何かを、ぐっとこらえる。相手は何しろ子供なのだ。冷えていたグラスは空っぽになったまま冷たい。そこに意識を集中する。ここで怒鳴って何になる。


。ボクさ、はっきりしないことってキライなんだヨネ」
「わたしだって…………嫌いだよ」
「嘘だネ。誤魔化し続けてるのは、お前ダ」


トロロの声は、わたしの神経を上手に逆なでする。お前だ。そんな言葉聴きたくない。誰にも縛られず、ここでわたしはずっとお酒を飲んでいたい。ずっとそうだった。戦場でも、私生活でも、誰にも束縛されずに自由に生きてきた。それを今さら誰かと共有しろなんて無理な話だ。しかも共存という言葉がもっとも似合わない彼となんて。信じられない。馬鹿げているとしか言いようがない。
誤魔化しているのが事実わたし自身だとしても、間違ってるのは彼だ。


「あんたには関係ないことでしょう。トロロ」
「あぁ、関係ないネ。でもその通りダロ」
「知らない。聞きたくない」
「……………これじゃどっちが子供か、わかんないジャン」


わたしは再びテーブルに突っ伏して、耳をふさいだ。音がこもって、風の音がずっと近くなる。そちらに意識を集中させれば、トロロの声など聞こえなくなった。
小さくなるわたしは、彼の目にどう映っているのだろう。丸まって、嫌なことから逃げ出しているだけの自分は、本当に子供みたいだ。彼のほうがよっぽど大人らしい。耳をふさぐ手に力を込める。熱が集まって、かすかな心臓の音がする。それと一緒に、抱えた頭に温かな衝撃が落ちてきた。彼のこぶしだ。


「そのままで、聞きなヨ」


耳をふさいだところで、完全に聞こえなくなることなどありえない。
わたしよりもよっぽど大人の彼は、唇を近づけてわたしに語りかける。うぶ毛がそよぐ。


「ゾルルはネ、アンタに多くを求めちゃいないヨ。ただ心配なノ」
「アイツは一番、戦場の恐ろしさってやつを知ってるからネ。壊し方ならプロだヨ」
「そんで自分が壊れたときの痛みも同じくらい知ってる。だから、怖いんだ」


心配と怖いは、この場合同じ意味だろう。恐怖が未来を不安にさせている。彼は知っている。機械の腕を得たのは、その恐怖を克服したからだ。それでも戦場に立てるのは、彼が壊されること以上に壊すことに慣れているからだ。だから、ゾルルは怖い。


「アンタが壊れるのが我慢ならないんダヨ。ゾルルの望みはネ、が生きてるってことだけ。それ、ダケ」


呪文のようにトロロはわたしに言い聞かせる。
まぶたの裏に、わたしが入院していたときの彼の表情がよみがえった。眉根を寄せ、今にも何かを壊してしまいそうな、追い詰められた小動物を思わせるような彼がいる。このまま返してはいけないと思った。彼がわたしのために、もっとたくさんのものを犠牲にするのは目に見えていたし、それに傷つくのも彼である気がした。だから、止めた。けれどその先にあんなことを言われるとは予想していなかった。
こと、とテーブルに無機物があたる音がした。


「トロロ……………?」


顔をゆっくり上げる。トロロはいなかった。
代わりに置かれた新しいグラスには、ピンク色のカクテルが注がれていた。透明な、赤ん坊の肌にも似たグラスの下には、一枚のカードが顔をのぞかせている。取り上げてしげしげと眺めてから、わたしは少しだけ微笑んだ。
特性の大きなケーキの写真がでかでかとプリントされたカードには、端の方にサインがしてある。だいぶ持ち歩かれたのか、少しだけくたびれ汚れている。しかも日付は去年だ。どれだけ渡しそびれたというのだろうか。


「バースディカードなんて、らしくないことするから」


サインの主は鉄色の彼だ。わたしの誕生したあの日を、彼はどこかで祝っていた。
おせっかいな後輩がいてお互い幸せだねと、は笑った。




































(07.09.29) 連作三話目。子供らしくないトロロ。でも兵長と仲がいいのでキューピッド役も演じてくれる。