夜の道は静かで穏やかで、人の匂いを感じさせない。まるで昼に出られなかった人間以外のもっと神秘的な生き物たちが動き出してくるようで、思わず息を潜めたくなる。夕闇の赤い色をときどき恐ろしいと思う、そんな感じに。 それに人は夜に弱いから(夜に、ということもないが)建物の中で光を灯して自分を守る。光の中でしか安心を求められないなんて、電灯に群がる羽虫と一緒じゃないか。
わたしはゆっくりと、慎重に辺りを見回しながら歩を進めた。電柱の影が伸びる道を歩く。自分の足で、こんなに歩くのは何年ぶりだろう。足の裏にじんわりと暖かさが伝わる。筋肉の感触が心地いい。昔は、それほど厳しく部屋にいろと言われていたわけではなかった。一人ではなく、彼の監視下であれば散歩だって連れて行ってくれた。でも、わたしが大きくなって彼の目線に近づくほどにその頻度は比例して少なくなった。次第に怯えるように部屋にしまわれる生活に、わたしの足はどんどん使い物にならなくなる。それでも自分なりに出来ることはしようと思った。例えば一日中立っている、とか。
「あれ?こんなところで何してるんですかー?」
しばらく歩いて疲れてしまったわたしは、見つけた公園のベンチで休んでぼんやりとさっき会った睦実という男の子のことを考えていた。家を出て同い年くらいの子と会ったのは初めてだったなぁ、と視線を彷徨わせているといきなりスタンっと軽い音が響く。びくりとすれば目の前には女の子が一人たっていた。結んだ黒髪、顔には覆い布、着ているものは・・・・なんだろう、忍び装束とかいうやつだろうか。ぽかんとした顔をするわたしに、彼女はにっこりと笑って質問した。
「もしかして迷子さんですか?だったら私、送っていきますよ!」 「や、あの………」
どうして誰も彼もわたしのことを迷子だと思うのだろか。そんなに道を失った子供のような顔をしてるのかな、とわたしはやっぱり同い年くらいの女の子を見て考えた。
「迷子じゃないの。ちょっと……探し物をしてて」 「何かなくされたんですか?それは大変!微力ながら忍者小雪、お助けします!」 「に」
忍者?自分で言っちゃったよ。この子。 警察を出てから理解の範囲を超えることが多すぎた。けれど、そういえば自分が探しているものも普通の人の理解から外れてるのだ。そう考えれば普通の人に会わないことはわたしにとって幸運なのかもしれない。それに小雪と名乗った少女は善意の塊みたい顔をしてにこにこと笑うから、なんだか疑うのも悪い気がした。
「じゃ、忍者さん。わたしの探し物、一緒に見つけてくれる?」 「喜んで!それでなんですかー?お財布?メガネ?お守り?あぁ、大事なものだったら大変ですよね!」 「うん。大事なものなの。でも聞いて。ちょっと可笑しな話になるかもしれないんだけど、わたしが探してるのはドロロって言うカエルなの。色は空色で、瞳も同じ、口にはあなたみたいな覆い布をしてるのよ」
一息に言って、急いで息を吸い込んだ。笑われてしまうかもしれなかったけれど、彼女は笑わなかった。すぐに事態を読み込んだように瞳に期待をいっぱいにさせてわたしの手をぎゅっと握る。そのすばやさと言ったら!
「あなたが、あなたが
さん?!」 「え?え、えぇ」 「よかったぁ。本当に本当によかったよぅ」
覆い布の下の瞳が潤んでいる。綺麗な瞳があんまりにも自然に歪むものだからわたしは一瞬とても悪いことをしたように感じた。それからなんで彼女が泣くのかという疑問。固く握る手のひらは女の子らしく柔らかなのに力は予想もつかないほど強い。
「助け出されたって言うのにそれから全然ニュースに出ないし、警察から出てこないし病気でもしてるんじゃないかって思ってたんですよぉ」 「………」 「精神の正常値がどうのって話ばっかりで………私そういうのよくわからないから」
あぁ、泣かないで。大きな瞳から惜しげもなく涙が流れる。変な感じだ。ドロロもそうだったけれど、どうしてこんなに自然に涙が流せるんだろう。しかも他人のために。更には彼女とは初対面であるはずなのに。 可笑しなことばかりだ。これも月の魔術か何かだろうか。
「あの、とりあえず泣かないで。わたし、こういうときに何て言ったらいいかわからない」 「へ?あ、ごめんなさい」 「謝らなくてもいいけれど。だってわたしのために泣いてくれたんでしょう。なら、わたしのせいだわ。ごめんなさい」
深々と彼女に頭を下げる。すると、小雪がぷっと吹き出した。首を傾げれば嬉しそうな顔。
「あ、ごめんなさい!でも、本当にドロロが言っていた通りの人だから嬉しくて」 「へぇ………彼、わたしのことを何て?」
やっぱり笑っていたほうが可愛らしい。満足げに瞳を細める彼女は、本当に花のようだった。月に誘われた花のような彼女は、わたしの手に一層の力を込めて大切な宝物のの在りかを教えるように声を潜めた。
「賢くて可愛くて、綺麗で………不器用だけれど心から優しい人だって」
潜めた声に嬉しさと恥ずかしさを滲ませた彼女はきっと彼の代わりに恥ずかしがっているに違いない。わたしはそれを聞いてうろたえるのでもなければ、嬉しくて飛び上がるのでもなく、心底呆れた、という顔をした。本当に脱力ものだ。別に小雪にそういう話をしていたことを言っているわけではない。わたしのことをそんな風に話すことにも多少は呆れるが、それよりもまだドロロがわたしをそんな風だと信じていることに呆れすぎて腹が立った。
「ねぇ、忍者さん」 「はい」 「ドロロに、会いたい」
これはもう直接言うしかないだろう。わたしが連れてってと手を差し出すと、彼女は笑ってとってくれた。疲れているのならおぶっていこうかと言われたが丁重にお断りする。だってようやく歩き出すことができたのだから、彼に会うまで位は自分の足でたどり着きたい。
「
さん、
さん」 「なに?」 「ドロロに会ったらまず何て言うんです?」
猫みたいな人懐こさで聞くから、わたしは月を見上げて呟いた。
「まずは思い切り引っぱたくわ。どれだけ力が残っているかわからないけれど渾身の力を込めて一発お見舞いするの」 「え」 「でもそれからはまだ考えてない。そうだ。それよりもあなたとドロロのお話が聞きたいわ。いいでしょう?」
握る手に一層の力を込めて、わたしは笑ってみせた。
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