「これが頼まれていたものでござる」
「クーックックッ!ありがとさん」




クルルは椅子に座ったままこちらを振り向き、荷物を受け取るといつもの笑いでそう言った。この部屋はいつ来ても機械とコードと怪しげなもので覆われていて底が見えない。彼が用心深そうに荷物の中身を確かめる間にぐるりと見渡しただけでも、いつ倒れてもきてもおかしくはないばかりだ。


「確かにいただいたぜェ。ま、アサシンのトップを疑う気はサラサラねぇがなァ」
「こちらこそ。情報、感謝するでござる」
「いーってことよ。世の中、ギブアンドテイクは常識だしなァ」


彼に渡した荷物の中身の用途は聞かないことにしよう。中身自体は大したものではないのだが、彼が手を加えれば「大した」ものになってしまうのは明らかだった。その暴走を止めるのも結局は自分なのだから、笑えない循環だ。そっとため息をつく。

クルルに頼んだ情報は、もちろん のことだった。夕方に会う約束だけをいつのまにか交わした不思議な少女。宇宙人の自分が言うのも可笑しな話だが、彼女は本当に不思議だった。いつも決まった窓から顔を出し、けれど鉄格子越しの表情が心から楽しんでいたことはない。寂しそうな悲しそうな、それでいて全てを諦めてしまっているような微笑は胸を締め付けた。前に一度だけ聞いたことがあったかもしれない。


殿は、外に出ないのでござるか?」


今思えばなんと配慮のない言葉だろう。どれだけ彼女を傷つけたかわからない。しかし はいくらも気にしていないように言葉を返したのだ。


「そうね。世界が許すなら、それもいいわね」


まるで呪文のような言葉が、今の自分には突き刺さって仕方がない。
可笑しいと感じて、クルルに調べてもらおうと決心したのは彼女と会って二ヶ月は経とうとしていたころだった。クルルに頼めば交換条件を出されたので飲んだ。高いものは無理だと言ったら「そんなもんじゃないっすよ」と含んだ笑い声で言われたのでとりあえず安心しておいた。そうして、その二日後に手渡された真実。


「あの家のガキ、とうの昔に事故死したってことになってるぜェ」


一瞬言葉が繋げなくなる。事故死?そんなはずはない。昨日もあったのだ。笑う数は少なかったけれど、会話をしたのだ。それが、いないだなんて。そんな。


「落ち着きなって。オレも可笑しいと思ったんで調べてみたぜェ。カメラ侵入させたり、ハッキングしたり………。んで、結論から言うとこりゃ監禁だな」
「かん…き……ん?」
「そ。しかもコレ、やってるのは実の父親だぜェ」



真実に呑まれるとは正にこの瞬間だった。クルルの声もその他の全ての音も聞こえなくなり、なくなった。そうして徐々に己の不甲斐なさに腹が立った。彼女の傍にいながら何もわかっていなかった自分が恥ずかしかった。

それから自分がしたことに、今も悔いはない。

が望もうと望ままいと、解放することをこの胸に誓った。 は一度も助けを求めなかったけれど、それでも彼女を解放したかった。それが自分のエゴだなんてことは、承知の上で。
喜ぶ顔が見たかったなんて綺麗な理由じゃない。辛そうな顔なんて見せられたことがない。
けれど彼女を解放することしか、もう頭になかった。
に恨まれることになろうと、考えを変えるつもりはなかった。


「あ、そういえばセンパイ」
「………なんでござる?」
「ニュースじゃまだ見つかってないらしいっすねェ〜。例の父親」


わざとらしくクルルが振る。理解しながら問われるのだから答えは容易かった。


「さぁ。きっと、もう帰っては来ることはないでござろうな」


そうして独り言のように「勘でござるが」と付け足した。殺したわけではなかったが、生きているかはわからない。念のために に関する記憶も抜かせてもらったから、帰ってきても心配はない。
返事の変わりに笑い声が返ってくる。そうしてそろそろお暇しようと思っていたところで、呼び止められた。


「待ちなァ。最新ニュースが入ってるぜェ」
「………?」


コンソールに向かったままの彼に近づけば、強大な画面に広がった。文字に瞳を奪われる。そこに映るいつもの無表情な彼女が、ひどく自分を締め付けた。


「失踪……。警察から逃げ出すなんてファンキーな女だぜ。クーックックッ!!」


画面には が、今夜警察からいなくなった詳細が書かれていた。だが、それを全て読む前にドロロの足は動いて扉に向かう。途中何かに躓いたがそんなことはお構いなしだ。クルルはそんな彼を見送ると、画面を切り替え通常に戻した。







 

 



「これでよかったのかよ。睦実」


何もないところに問えば、小さな爆発と煙と共に睦実が現れた。右手のペンをしまいながら「サンキュー」と言う。


「まったく……お前も嫌な奴だぜェ。居場所くらい教えてやれよ」
「クルルに言われたくはないね。それにオレはチェシャ猫だから、これくらいが丁度いいんだよ」
「猫?」


イマイチ要領を得ないクルルが首を捻る。睦実はそっと笑って、ふと天を仰いだ。

 

「会えるよな……。今夜は本当に月が綺麗だから」



 

耳を澄ませれば、ほら、パチンとひっぱたく音がする!

 

 

 

月蝕