わたしの生活形態が一つ変わろうとも、世界には何の支障もない。もっと厳密的に言えば、わたしの息のかかるような間近にいない限り突如とした変化は訪れない。わたしの知る範囲は元々狭く、腕を伸ばしても取ってくれるような人間は片手で数えても指が余ったほどだった。だからわたしは世界の端で生きているような、そんな小さな疎外感を感じていたんだ。 けれど今は、わたしの両手の指では足りないほどの人々に支えられている。「支えられている」と実感できるほどの距離だ。わたしは彼らの日常に変化を与えたのかもしれなかったけれど、確実にわたしにも変化を与えていた。素晴らしい相互干渉だ。そのくせ、わたしは突然手に入った幸福に物怖じしている。というか、こんな大切なものをわたしが持っていたら壊してしまうんじゃないか、という不安が日に日に増してくる。
「…………休憩中か?」
朝もやの中、わたしは声をかけられた。この声は知っている。最近覚えた、彼の友人だ。 わたしはそこらへんの石段に座りながらぼうと空を眺めていたから、彼の出現に少しだけ驚きながらそちらを見た。わたしに声をかけたカエルは円盤の上に立ちながら、不思議そうにわたしを眺めている。不思議な生物に不思議そうに見られるなんて、わたしはこの地球でももっとも可笑しな人間かもしれない。
「えーと、ギロロ、だっけ?」 「そうだ。昨日会ったばかりだろうが」
昨日、ドロロの友達に紹介されたときのことを思い出して、えぇと返事をした。あれだけの小さなカエルたちを紹介されて平然としていたわたしは可笑しな人間らしく、ギロロはやっぱり珍獣でも見るような目でわたしを見ていた。わたしの目から見れば、彼が一番まともで、一番侵略者らしく、また一番侵略者らしくなかった。そう正直に言えば彼は少しだけ悩んで笑う。清々しく男らしい笑い方に、八重歯が綺麗だなと感想を持った。
「何をしてるんだ?こんな朝早く」 「見ての通り、歩く練習。朝が早いのは目が覚めちゃったから。…………あ、起こしてしまった?」
昨日はドロロが入隊しているという小隊の方々に紹介されたあと、それの飼い主だと思われる人たちがわたしの歓迎会をしてくれた。色とりどりの折り紙がわっかになって部屋中に吊るされ、幼稚園の誕生日会さながらに飾られた部屋に通され、クラッカーがわたしを襲って、いらっしゃい!と華やかな声がわたしを包んだ。食べたこともない料理に、いっぺんに納得するには多すぎる人たち。わたしは目眩を覚えながら彼女たちの歓迎を受けいれ、一番に倒れこんで朝を迎えた。起きたとき目の前には夏美という女の子の顔があり、彼女と一緒の毛布に包まって眠っていたらしい。起こさないように気をつけて出てきたのだが、どうやらこの赤いカエルだけには気付かれていたのだろう。
「練習、か。だとしたら、次は誰か誘え。何かあったらどうする」 「何かって?」 「お前の場合は土地勘もないし、第一歩きなれていないだろう。他の人間よりも危険性は高い」 「そう。あぁ、心配してくれたの?」
まぁな、と答える彼はわからないくらいに頬を染めた。赤い彼と青い空のコントラストが綺麗だ。
「ありがとう。でも、出来ることは一人でやらなきゃ。誰かが居れば頼ってしまうのが目に見えてるもの」
ぐずぐずと甘えて抜け出せなくなってしまうのは子どもの悪い癖で、もちろんわたしにもそれは備わっている。わたしがきっぱりと言い切って立ち上がると、ギロロは「なるほど」と頷いた。わたしは首を傾げる。
「何?」 「いや、ドロロの言っていた意味がわかった」 「ドロロが?何を言ったの」
また言わなくてもいいことの一つや二つを言ったのか。 うんざりするわたしに、ギロロは悪いことではないぞ、とフォローにならないフォローをする。
「お前の言葉は、突き詰めてみれば全部優しさに繋がる」 「はぁ?」 「ドロロいわく、そう言うことだった。俺もそう思う。嫌な顔をするな」
わたしはもう一度石段に座りなおし、頭を抱えた。ドロロにはあれからたっぷりと、わたしについての間違った認識を改めろと話したつもりだったのだがどうやら彼の頭は理解してくれなかったらしい。わたしを優しい人間だと表す彼は幸せそうな顔をする。自分のことでもないくせに喜んで、頼んでもいないのに言いふらす。まったく、面倒が見切れない。 しかし、この赤いカエルも同じことを言う。そう思う?理解できない。もしかしたらケロン星とやらの基準がこちらのものとは大幅に違うのだろうか。
「あなたもドロロも、理解できないわ」
人をそんなに美化して楽しい?と聞けば、可愛くないな、と正当な意見が返される。
「まぁいい。今日はこの辺にして切り上げろ。送る」 「いいわよ。帰り道くらい覚えているし、歩かなくちゃ体力もつかない」 「そうじゃない。クルルがもうすぐ雨が降ると言っていた。ちなみにお前の足じゃ帰ってくる前に高確率で風邪を引くそうだ。だから迎えに来たんだ。乗れ」
彼の言葉は簡潔で、なるほど一番わかりやすい。 クルルと言うのは黄色い眼鏡のオペレータだと名乗ったカエルかとわたしは記憶を辿った。そういえば会場に彼の姿はなかった。もう自分のラボに引っ込み、わたしを観察していたのだろう。それで雨が降るのを知って、自分が行くのは面倒で、だから起きていたギロロに頼んだ。そんなところだろうか。
「本当はドロロが行くと言っていたんだがな。ケロロが不用意にトラウマスイッチを入れたんでそうもいかなくなったんだ」
わたしが彼の円盤に乗ると、笑い声とも呆れ声ともつかない調子で彼が付け加えた。 なんだ、みんなに見られていたわけか。タフなカエルたちめ。 それにしてもドロロのメンタル面の弱さには閉口する。昨日だって三度はトラウマとやらになったのに、朝も早くから記憶をほじくり返して感傷に浸るなんて。暇なのか、と問いたい。
「ギロロ。言っておくけれど帰ってもわたしはドロロを慰められないからね。わたしは甘やかすことと優しさを混同して、人に親切に出来るほど出来た人間じゃないのよ」
言うと、前を向き操縦していた彼が薄く笑った。そうして低く、わたしにだけ聞こえるように呟く。
「期待している」
細かな雨がわたしの頬に落ちだした。
|