僕たちは川べりの遊歩道を歩いていた。きちんと整備されているらしい道は、右手に黒っぽくごつごつとした裸の桜が等間隔に並んでいる。左手の川がきらきらと眩しく、きっと春は素晴らしい景色になるのだろうと思った。コンクリートの道を歩く はコートに薄い青色のマフラーをして、黙々と歩き続けている。僕も同じマフラーをしながら、歩幅は彼女の方に分があるのだけれど彼女の速度に合わせて歩いている。


「ねぇ、ドロロ」


歩きながら、 はまっすぐに前を向いて呟く。他の人からは僕が見えないのだから、そうした方がいいと言ったのは僕だった。そう言わなければ、 はちゃんと僕の目を見て話そうとする。


「なんでござるか?」
「それ、あったかい?」


それ、と言われたのは間違いなくマフラーのことだった。あの日、トラウマモードが自然に直ったとき首に巻かれていたマフラー。突然のことにびっくりし、傍にいたケロロやモアに事情を聞いて が巻いてくれたことを知った。リビングに走れば、 と夏美がお茶をしているところで、こちらを向くと二人とも笑った。「似合ってる」 の感想はそれだけだった。夏美が彼女の言葉を補足し、手作りであることを知らされて、僕は完璧にどうすればいいかわからなくなった。とりあえずお礼だけを延々と繰り返し、最後には に鬱陶しいと小突かれてしまった。


「暖かいでござるよ、とても」
「そっか。うん。よかった」


聞きたかったのはそれだけらしく、 は「今日はあっちに行こう」と橋を指差した。 は僕と散歩に出るとき決して同じ道を通らない。いつも同じじゃつまらないと言うのが彼女の意見らしかったが、自分がいないときはやめてほしいと言った。そのとき はあまりにもあっけらかんとした顔で「じゃあ、いつも一緒にいてくれればいいじゃない」と不可能にも思える言葉を放った。僕は困り顔をしていたと思う。
橋を渡れば、左右対称の遊歩道に桜が並んでいた。


「…………雪が、降るかな」


足を止め、 が空を仰いだ。マフラーよりも薄く灰色がかった空は、今にも雪が降り出しそうだ。息はとても白く、指先は凍えている。


「そうでござるな…………お正月までには降るのでござろう」
「お正月…………そういえば、秋さんがね、お正月は門松をたてるって」


は日向秋をとても尊敬しているらしかった。初めて大人を凄いと思ったと告白されたときは嬉しくもあり、問題だと感じたものだ。日向秋は僕の説得に納得し、 を引き取ってくれている。経済事情も今のところ問題はなく、 の部屋を基地内にしてもらったのも僕がお願いしたからだ。基地ならば、 が淋しがったり、人に触れられないときはないように思われた。そう言ったら、彼女は否定するのだろうけど。


「門松を立てて、お雑煮を食べて、初詣に行くんだって」
「それは楽しそうでござるな」
「うん。晴れ着も着せてくれるって…………楽しみ」




ゆっくりと口角を上げ、確かめるように は笑った。僕も の晴れ着姿はとても楽しみだ。華やかな着物に色取られた は、綺麗だと思う。
全てが始めてのことばかりの は、いつも忙しそうだった。忙しそうだったというのは僕からの意見で、 は焦ることなく物事に対処する。けれど家事をこなす姿も、ケロロたちのためにお菓子の本を見ながら台所に立つ姿も、すべてが一生懸命だ。時には背中に鬼気迫るものさえ感じる。毎日を、本当に充実させて は生きてくれている。
それが僕の奢りだとしも、本当に嬉しい。




「ねぇ、ドロロ。冬が終わったら、春が来るでしょう?」
「え?」
「そしたら、ここはきっと綺麗ね」


くるり、と は周りを見渡した。川を挟んでどこまでも続く二本の桜の道。春になったら、ピンク色に染め上げられるそこはきっと綺麗だろう。


「あぁ…………綺麗でござろうな」
「見に来ようね。絶対」


絶対。 は最後に力を込めて言った。その言葉に、何か意味でもあるのだろうか。そう思って上を向くと、 がいきなりしゃがみこんだ。自分のものと同じ青色が目に飛び込んでくる。驚いて目をしばたたかせ、 の顔をよく見た。唇を引き結び、眉を寄せて、きつい表情をしている。まるで悲しい映画で泣ききれなかった、そんな顔。


「少し聞いてね」


は前置きをした。




「わたしは、たぶんこれから沢山の人に会うんだと思う。外の世界に出てきたのだもの。それは避けられないし、少しわくわくしてもいるの」
「…………うん」
「ドロロも沢山の人に会えって言う。それがわたしのためなのはわかってるよ。でも、あんまり言わないで。わかってるから、ドロロが言いたいことは、大概、見当が付くから」




周囲に気を配り、誰もいないことを確認する。 はアンチバリアのことなどお構いなしに喋り続けた。まるでダムが決壊したように、零れて溢れて僕にぶつかる。




「わたし、沢山の場所に行くよ。きっと。行きたいところは一杯あるの。でもね」




の手がすがるように僕の両肩に添えられた。まるで逃げ出さないように捕まえられているようだ。その手を覆うように上から自分の手を重ねる。
はもう泣き出しそうな顔はしていなかった。その代わりきっぱりと、決断を下した人間のような潔さがあった。




「わたしの帰ってくる場所はここだから。あなたの隣だから」




それ以外に、帰る場所なんて、必要ないから。




「…………そうでしょう?」




尋ねられた声には、当然だという響きと、ほんの少しだけ不安があった。
僕は の顔を見ながら、夏美に言われたことを思い出す。ギロロに手作りマフラーをプレゼントし赤くなりながら「 ちゃんにだけは敵わないわ」と言って、僕に笑った。「ドロロもよ。絶対。敵いっこない」あの自信に満ちた瞳は忘れられない。そして、その言葉を否定することも出来ない。僕は初めから、彼女の願いを全て叶えたいと思っていたから。


「そうでござるよ」


どんな無理難題だとしても、彼女の言葉を守り抜く。それが僕の新たな使命だ。


「拙者の隣は、 殿だけのものでござる」


臭い台詞だと、自分でもわかっている。けれど は茶化すこともなく、静かに笑った。マフラーに少しだけもぐるようにして、「ありがとう」と小さな声で答える。その頬が少しだけ赤く染まっていた。
僕は から手を離し、腕を伸ばしてそのマフラーを少しだけよける。そして背伸びをして、彼女の唇に自分のものを重ねた。優しく、ゆっくりと、寒さなど忘れて。
顔を離すと、 の頬が先程より赤かった。




「好きでござるよ」
「…………今更確認?まぁ、いいわ。同じだもの」


はしゃがみこんで笑い、僕の両手を握った。そして二人で空を見上げる。「雪、降るといいね」願う彼女の姿は綺麗だ。
降ればいいと思った。雪が降り春が来て桜が咲き、また一緒にここに立つのだ。だとしたら、ここでそれが全部いっぺんに来てもいいではないか。そんな馬鹿なことを考えて、僕はやっぱり「雪が降ればいい」と思った。
雪が降れば、君は喜ぶだろうから。



「次は、手袋を作らなきゃね」



帰り道、手を繋いで帰りながら、彼女が笑う。


 

 

 

 

きみと春の足音

(06.12.23)