鬱陶しいことこの上ない状況だが、ドロロの視線は常に小雪という少女の身の回りに危険が及ばないかどうかと言うことに限られていることは理解できた。二人でいる空間では重くも軽くもない沈黙が流れ、小雪が学校から戻ると張り詰めた緊迫感がこちらにかけられる。ドロロは平静を装っていつもどおり過ごしているようだが、その空気に小雪自身も気付いているようだった。部屋に一人にされ、それでもこちらを窺う彼の気配を身体全部で感じるとぴりぴりと肌がつっぱる。それだけその少女が大事かと、彼の気に入らない笑いを自分が浮かべることをは自分で自覚していた。
けれどこれだけ変わらない男も珍しい。助けられて三日目の昼間、ドロロは同じ質問をに繰り返した。が命を狙う相手についてではない。同じ職種の彼は、守秘義務のなんたるかを知っていた。代わりに彼は、執拗に違う質問を繰り返す。


「その傷は、いったい誰にやられたのでござる」


知らぬ存ぜぬ。お前には関係ない。そこまで喋る義務はない。
言葉の限りをつくしても、ドロロは一向に引く様子を見せない。しかも断れば断るほど、口をつぐめばつぐむほど、その一点に集中してくる。厄介なことこの上ない。この傷は、傍から見れば可笑しいだろう。壊すことに長けているドロロに見られれば、その可笑しさは余計に際立って見えるに違いなかった。まさにその通りであるだけに、は何も言うことはできない。
昔もそうだった。ドロロと二人だけで取り残されると、いつもは懐かしむように昔を思い出す。ドロロの命を狙って戦った、たった二度の死闘を。一度目はドロロがケロン軍のアサシントップになってまもなくだった。二度目は、彼がその地位を不動のものとしたときだ。どちらもわたしが負けて、それなのにドロロはわたしを生かした。殺し屋が二度もターゲットに情けをかけられるなどお笑い種なのを知っていながら、彼はわたしを逃がした。
甘い、のだ。


「ねぇ、考えたことはない?」
「何をでござるか」
「わたしを殺しておけばよかったと思うこと」


武術に長けている彼は、無論その他に関しても優秀だ。情報集めに余念はないだろう。だからこそ、わたしの噂を風の頼りに聞いているはずだった。彼がわたしの命を二度も救ったことで、数え切れない命が奪われたことをわかっている。
わたしに言わせればそんなのドロロには関係ないことだ。彼がわたしを生かしたことは彼の勝手であって、生かされたわたしがしたことまでに責任を負う必要などない。したいようにした結果に後悔などあってはならない。けれど彼に言わせて見れば、その答えは形を変えてしまう。わたしがしたことを、自分の責任のように感じてしまう。そういう男なのだ。


「…………後悔、なら」

「後悔? ぬるいわ。そんなものを考える暇もなく死んでいった人たちが可哀想ね」


殺したのは自分であるはずなのに、ドロロを前にすると自分の罪さえも彼の罪だと思えてしまう。わたしを地に落としたとき、彼はトドメを打たなければならなかった。それが彼の行う正義であり、わたしの解放されるすべだったのだ。誰も彼を救うことなど出来ない。傷つける針ならば折ってしまえばいい。邪魔なものは排除すればいいことを、彼は知らない。


「勘違いめされるな。拙者の言う後悔は、殿を救ったことではござらん」


力強い声が鋭い視線と共にわたしを射る。彼はうちに潜めた狂気を上手に使い分けることができる。自分の甘さを相手から払拭するほどの迫力を備えていた。その圧力に身を包まれると、なぜかとても心地いい。自分のいる場所が『普通』ではないと教えてくれる。


殿を本当の意味で救ってやれなかった。傷の手当てではなく、本当の意味で」


口元が、引きつった。心地いい、締め付けるような圧迫感が不意になくなる。は自分が明らかに不機嫌になったことがわかった。目つきが厳しくなり、ほとんど憎らしげに彼に向けられる。口の中が不快感でいっぱいになった。


「救うですって? 勘違いしてるのはあなたの方よ。ドロロ兵長」


この状況で尚、彼は甘いことを言う。わたしを救えなかっただって。そんなのは侮辱でしかない。人の命を食い物してきて生きながらえてきたわたしの信念を、彼は辱めた。
ふざけるな。わたしっは助けを待つような弱い人間ではない。


「あなたが救えなかったのは、わたしに殺された人たちよ。わたしじゃない」
「…………拙者は」
「聞きたくない。…………あなたは結局昔から変わらない。そうやって甘ちゃんでいる限り、あなたが満足に守れるものなど何にもない。大切な幼馴染の仲間も、あなたを救ってくれた小雪も」


名前を挙げた瞬間に、自分に襲い来る圧迫感が戻る。明らかに殺気を放っていることは理解できたが、もうすでにわたしはキレていた。


「いつかわたしが殺すんだわ。あなたはそこでようやく、自分の正義の浅はかさを知るのよ」


にぃと笑った口は、けれど次の瞬間には天井を仰いでいた。首に細い指が巻きついてくるのがわかる。確かめなくてもその指が青いのは承知していた。首を絞めるドロロの表情は暗く狂気に満ちていて、呼吸は聞こえるほど乱れている。言葉よりも早くわたしの口を遮った。喉を掴んだのはそこを塞げば声がでなくなることを反射的に判断したからだろう。


だまれ。


強く静かに乱暴に、わたしに覆いかぶさる人は命令する。わたしは息苦しさに瞳を閉じた。
最後に言えなかった言葉は、それでも胸の中に残って暗澹とした面持ちにさせる。喉を押さえつけても彼がわたしの息の根を止めることはない。だから、それは起こってしまう仕方のないことだろう。



いつか、きっと、わたしはあなたの大切な人の命を奪うことになる。










































(07.12.31)