の首は細く今にも折れそうで、言葉の通り自分の指先は確実に彼女を殺すための力を備えていた。挑発的に睨んでいたの瞳が閉じられてよかったと心底思う。彼女の瞳に見つめられるとドロロはしばしば正気を失った行動をしてしまう。自分らしく彼女の前であろうと思うたび、アサシンの本性が顔を覗かせる。 けれどが望むのはそういうことだった。暗殺者であるドロロが正解であり、小雪と安穏と暮らすこちらの自分は偽りの姿を気取っているにすぎない。人を殺す術と力を持ちながらその覚悟が足らないために『普通』から離れられない。彼女の目に映る自分を思うと、殴りたくなるほど弱々しい自分とも向き合わなければならない。はわかっているのだ。ドロロが賞賛に値するほど強くないことを、その意味を。だから、あんな安い挑発に乗ってしまう。 「ドロロのお友達に話した方がいいんじゃないかな?」 五日目の晩、向かい合って夕飯をとっている最中に小雪はおずおずと切り出した。ドロロ自身もそろそろ隊長やみんなと話すべきだと思ってはいたのだが、いかんせん小雪ひとりに家を任せるわけにもいかない。 ちらりと、の声が蘇る。いつか彼女はドロロの大切な人を殺すという。 けれど結局、小雪の強引とも言える進めもありドロロは日向家に向かっていた。よく晴れた日曜の午後は心とは裏腹に爽やかな風さえそよいでいる。にも出て行くことを伝えていた。小雪には手出ししないと無理やり約束させた。けれど不安になるのは仕方のないことだろう。 「…………えっとー、じゃあドロロくんちには今、殺し屋がいるんだー?」 わかりやすい混乱の仕方で、ケロロが人差し指をたてた。「いかにも」とドロロは答えたが、声は少しだけ緊張している。ケロロはドロロが信頼するに相応しく慎重な対応をしてくれるに違いない。武力での制圧を望むギロロとは違い、最後がどうなろうと始めは必ず慈悲のある裁断を下すことだろう。 「そ、そりで殿が狙っている相手って、いったい誰でありますか?」 「それが一向に口を割らず…………いや、それが暗殺者としての義務でござる」 「じゃあ、誰が相手かはわからないっつーことだよね? あ、でもドロロは二回狙われてるんしょ。今度もドロロっつーことじゃねぇの?」 「それは否定された。拙者ではござらん」 彼女は話したくないことは頑として口を開くことはないが、否定したことを覆すような人物でもない。が否定したのであれば、少なくとも彼女の目的は違うところにあるのだ。 「クーックック!解析完了。についてのデータが出たぜぇ」 話しを聞きながらパソコンを操作していたクルルが、ぱちんと指を鳴らした。電子音らしいヴンという音が響き、ケロロの部屋に画面が現れる。そこにはが、まるで免許証かなにかのように顔写真を貼り付けたままこちらを見ていた。 「殺し屋のギルドにハッキングした。これは所謂登録書きだな。ランクはS。最高位だが、経歴にやや傷がある。それがドロロ兵長ってわけだ」 の腕は申し分ないが、実践となれば状況判断やその場の運も必要になる。殺しの現場で二度も命を助けられたものの価値は相当低くなる。相手がケロン軍アサシントップだったというのが唯一の救いだろう。暗殺に失敗したは自分を殺すのがドロロの義務だと言った。ドロロのように純粋な命令によるものではない殺しを生業とするにとって、失敗は死活問題であったのだろう。敗北こそが死ぬ理由、だったのかもしれない。 不意に画面が乱れて砂嵐の映像に切り替わる。ぶつっと千切れるような音がした。 「どうしたのでありますか?クルル曹長」 「あー…………今回の依頼者リスト開こうとしたらバグったな。相手もそうそう情報漏らすような阿呆じゃないらしい。面白いぜぇ」 クルル曹長の手腕をもってしても、の依頼人とターゲットを見つけ出すのは困難なようだった。全員でしばし黙り込む中で、ドロロは違うことを考える。もしターゲットが見つかった場合、自分たちはどうするのだろうか。無条件に助けるのだろうか。暗殺を依頼するのはもちろん違法であるし、罪であることに違いない。けれどその経緯を知らずにただ助けていいのだろうか。殺したいほど憎まれている相手が、全力で救うに値する人物であると言えるのだろうか。そして救ったあとのはどうなる。三度目の失敗は、今度こそ彼女の職を奪うに違いないだろう。その責任は、誰が負うのか。 あなたが救えなかったのは、わたしに殺された人たちよ。わたしじゃない。 彼女は正しいことを言った。の命を救ったのは自分だ。自己満足を棚にあげてのしていることを罵倒するのは傲慢でしかない。の仕事を知っていて生かすと決めたとき、ドロロ自身が罪を背負ったのだ。彼女が殺す人々への、自分が殺める人々への、贖罪など叶うはずもない死ぬまで消えない鎖を増やした。 あなたに死んで欲しい人って、割といるのよ。だから、わたしみたいなのが現れる。 彼女はいつも正しいことしか口にしない。殺戮の連鎖は結局のところ、殺戮でしか決着を見ないのだ。だからこそ、殺し屋と暗殺者というカードが組まれることになる。 「お? なんだこりゃ」 「クルル曹長、なんでありますか?」 いつのまにか閉じていたまぶたの向こう側で、二人が会話するのを聞いた。 「珍しいお客様がおみえだぜぇ」 「珍しいとは?」 「…………隊長は会いたくねぇかもなぁ。ガルル中尉だ」 ゲロー!とケロロが叫ぶが、クルルの方はお構いなしに「画面に出すぜぇ」と手馴れた動作で再び砂嵐の映像を起動させた。そこに現れたのは、紛れもないガルル中尉その人だ。 いったい何の用なのだろうか。のことに加え、軍でのいざこざなど持ち込まれてはたまらなかった。全員の視線を受けて、ガルル中尉が瞳を少しだけ険しくさせる。 「少々急いでいるので、あいさつは省略させてもらう。全員が集まっていて助かった」 「何があったんだ? ガルル」 兄がいささか狼狽していることを不審がってギロロが問う。ガルルは、苦渋の色を瞳にありありと映してドロロをひたと見つめた。 「簡潔に言おう。ドロロ兵長は直ちに現時点で君が滞在している場所に戻れ。ことは急を要する」 その、上司らしく形式ばった口調の中に含まれた焦りを伝えるシグナルにドロロは動揺した。滞在している場所に戻れというのはつまり、滞在先で何か問題が起きるということだ。聡明なガルル中尉はそこが小隊の寝泊りする基地ではないことを知っている。であれば、その危険は滞在先に同居するものへと向けられたもの。 「ガルル、中尉。それはどのような、理由で」 本当はそんなことを聞く余裕などなかった。けれど聞かなければ最後に残った希望さえも、あっさりと指の間をすり抜けてしまうようで耐えられなかった。 ガルル中尉は慎重に、けれど優しい言葉など使わずに告げる。 「ドロロ兵長。殺し屋が狙っているのは、君の同居人だ」 いつかわたしが殺すんだわ。あなたはそこでようやく、自分の正義の浅はかさを知るのよ ガルル中尉の声と一緒に聞こえた、の声は驚くほど冷たかった。 |
きっと、あれが、絶望の色
(07.12.31)