どの星に降り立っても、にとって一番気の休まる時間は夜だった。夕闇に染まり徐々に闇に侵食されていく町並みを見ることも好きだったし、自分の影が暗く濃く落ちていくさまはあたかも夜にかくまわれていく様な錯覚を覚えてもいた。昼の陽光の眩しさの中では生きて行けないと悟ったのは、いつの頃だっただろう。人を殺してまもない時期だったように思う。今のように殺した人数さえ気にとめなくなる前の自分だ。たしか二桁までは律儀に数えていた気がする。
突然、日の元で歩くのが恐ろしくなったのだ。背後をやたらと気にするようになり、常に誰かが自分の命を狙っているのだと疑っていた。正気を失ってしまう直前の、まだまっとうであった心が病んでいく瞬間だったのだと今になったらわかる。失ってしまってから心臓の一部や頭の一部が機能していないことを知った。人を殺しても木枯らしでも吹いたかのように心臓は寒々しく、感情はうまく伝達されない。人は環境に適応するものだということを、理解した。


「けれど…………」


そんなでも驚いたことがある。一度目は殺しにいったはずなのに生かされたことだ。しかも相手はケロン軍のエリートで、冷酷無比と名高いアサシンのトップだった。二度目はやはりこのアサシンで、またもや戦いを挑んだのだが敗北した。今度こそ殺してくれるだろうと思ったのだが、その願いは叶わなかった。自分を殺そうとした相手を見つめ、こちらがいくら詰ったところで悲しそうに首を振るばかりの男だった。とんだ腑抜けだと、は何度も心で罵倒した。
そして最近も驚くべき出来事があった。本当に、あれには驚いた。


殿!!」


闇を切り裂いて、いささか乱暴に声が届いた。山の奥、は木のてっぺんにいたので周りを随分よく見渡すことができた。風のような速さで近づく人物は、急ブレーキのように荒々しくこちらと高さの同じ木にとまった。青い身体を器用にしならせて降り立つ様は、曲芸のようだ。夜の帳は降りていたが、ふたりの表情は月が明るいおかげでよく見ることができた。


「早いわね、ドロロ兵長」


余裕を持って彼を迎えたつもりだったが、声には哀れっぽさが漂っていた。遥か足元には自分が乗ってきた宇宙船がある。すぐにでも離れるべきだったのにそこに留まっていたのは、彼が来てくれることを期待していたからだ。いや、罪を罰してほしいの間違いだろうか。


「先ほど…………ガルル中尉から連絡がござった」
「そう。ではすべてバレてしまったということね」
「その傷………………つけたのは、ガルル中尉とその奥方か」


答え合わせは不要な気がしたが、わたしは頷いた。この傷は二人を狙って負ったものだった。
ガルル中尉の奥方は、傭兵の出身で多くの戦場を駆け抜けた『無音の黒蝶』として名を馳せていた。その彼女がいきなり敵性種族と結婚することになったと聞いたときは驚いたが、彼女の暗殺依頼がきたときはもっと驚いた。戦争で働くことをだけを求められた彼女は、同時に多くの恨みも背負っていた。わたしは冷めていく心で、結局人殺しの行く末など血に塗られているのだと考えた。大量の血は、新たな血を流すきっかけにすぎない。


「わたしは中尉の留守中を狙って蝶を襲った。けれど…………ふふっ。信じられない」


説明しなくてもわかる。この傷を見られているのだから。けれど、本当に信じられない。


「わたしがかざしたナイフは彼女にかすりもしなかった。その代わり真っ白なエプロンの下から、わたしのものより上等なナイフが飛び出してきたの。信じられない。ウサギの皮をかぶったライオンの牙に、まんまとやられたのよ」


肩から首にめがけてまっすぐに伸びた切っ先は、やたら綺麗な弧を描いていた。動作というのは洗練されていればされるほど、無駄のない美しい動きになる。ぎりぎりのところで身体を引いて、距離をとった。けれど次の瞬間には、右肩を鋭い何かが刺し貫いた。


「タイミングが悪すぎね。忘れ物を取りに戻った中尉がわたしを見つけたの。運がよかったのは、彼が正確に肩を貫いてくれたことだけ」


弾は残らず、わたしはそれ以上の怪我を負うこともなかった。二人から離れたとき、それは三度目の失敗を意味していたのだからギルドからの制裁は覚悟していた。失った信用を取り戻すには、それなりの代償が必要なのだ。つまりはわたしの死でしか、それは償われない。けれど、審判は以外な方向に下された。


「…………殿のその後を探ったガルル中尉が、次のターゲットを割り出したのでござる」


強い風がふたりの身体を乱暴に打ち据えた。冷たかったけれど、その分神経を研ぎ澄まさせてくれる。紫の中尉で思い出すのは、危険を冒してまでも蝶の前に飛び出してきた勇猛さと強い愛情だ。


「それで、次のターゲットはわかったの」


促して、彼の答えを待った。ドロロは険しい表情のままでわたしを見た。同情でもなく、哀れまれているわけでもない。その瞳は、ただただ悲しそうだった。


「拙者がこの星で大切に思う者…………小雪殿でござろう」


正解。答える代わりにわたしは微笑む。昔を思い出して、普通だったあのころと同じように笑おうと努力をした。そう出来たかどうかはわからない。


「言ったでしょう? あなたに死んで欲しい人って、割といるの。だから、わたしみたいなのが現れる」


いつかのわたしの台詞だ。彼が覚えているかはわからなかったけれど、もう一度記憶をなぞった。シンプルでわかりやすい、普通の感覚で考えた結果導き出されること。


「けれどね、あなたに人を殺して欲しい人も、まだ割といる。そういう人たちにとって、あなたを癒す小雪の存在は邪魔でしかない」


情は刃を鈍らすことにしか繋がらない。「無音の黒蝶」と呼ばれた彼女でさえ、夫の上司に戦場に復帰することを求められた。断って結婚をし、シアワセであるはずなのにわたしのような殺し屋に命を狙われる。その世界で名を馳せるほど望んだ幸せは遠く離れ、地に足がつかなくなる。


「そしてギルドから最後のチャンスとして…………殿はそれを受けた」


青い彼は相変わらず痛々しい表情でこちらを見ていた。すべてが露見したあとで、わたしは彼の目にどんなふうに映っているのだろうか。少なくとも、もういくら強がったところで彼は取り合わないだろう。


「受けたわ。最後があなたなら、なんだか幸せな気がしたから」


任務を遂行するつもりは毛頭なかった。ただ、生きてドロロの元に行くことが目的だった。彼はわたしの姿を見れば、事情を説明すれば、きっと息の根をとめてくれると思ったのだ。
意識の朦朧とする中で山に降り立ったわたしが、思いもかけない罠にかかるまでは。


「この世には幸せな偶然ばかりじゃない。けれど、あの子はわたしにとっても奇跡だった」


ドロロやわたしにはない純粋な笑顔でこちらを向いてくれる小雪は、凍てついた心をやんわりと溶かす春のようだった。いつのまにか壊れていった精神に温かさを取り戻させてくれた。少なくとも、もう誰かを殺して無感動に生きられない。


「あなたには小雪に手を出すなと言われたけれど、簡単に家を出させてくれないだろうから眠ってもらったわ。約束をやぶったことになるかしら」
「………殿。拙者はどうすれば…………………小雪殿を生かしたことで、殿は確実に不利になる。いっそ、隊長殿たちにわけを話して」
「ドロロ、早まらないで頂戴。…………あなたとわたしは結局違う。ここであなたは運命に出会った。蝶だって、自分の運命を手に入れた。でもわたしには何もない」


救われるのに努力と才能など関係ない。幸運と変えたい心さえあれば、運命はあちらから出向いてくる。思い出して、微笑んだ。の耳にさえその名を轟かせていた「無音の黒蝶」が、真新しいキッチンに白いエプロン姿で立っていたとき、言い知れぬ敗北感を覚えて身震いした。細く頼りない肩、普通の女性と何一つ変わることのない背中に絶望した。
変われないと思っていたのは、自分自身に過ぎない。決め付けて諦めて、八つ当たりをしていたのは自分なのだ。変化を受け入れられず、痛みを知ることを恐れていた。


殿」
「…………!!」


間近で声がして、はっとする。ドロロがすぐそばで、わたしを見下ろしていた。


「拙者では、役不足でござろうか」


瞳は変わらず哀しそうで、けれど言葉は震えていない。そっと頬に彼の手がすべる。


「なに………?」
殿の…………人生を変えるきっかけになりたいのでござる」


言ってから、ドロロは照れたように笑って涙を浮かべた。


「救われぬ者など、この世にはおらぬ。奇跡は起こすものなのだと、隊長殿を見ていれば嫌でも理解させられることでござる。だから殿、地球で一緒に………」


最後の言葉を聞く前に、わたしは彼の指を離した。優しすぎる彼はいつもまっすぐだ。鈍いくせに思い切りだけはいい、困った正義感。


「ありがとう、とてもうれしい」
殿」
「けれどごめんなさい。わたしにはやることがあるから」


やらなければいけないことがある。ドロロが自分の名前を自分で捨てると決意したときのように、わたしのわだかまりはわたし自身で取り除くしかない。出来なくとも、それをすることに意義がある。

わたしはね、ドロロ。
あなたも好きだけれど、小雪のことも大好きなの。
だからそんな彼女を狙うものがいなくなるように、わたしは掃除をしてくるつもり。

だから、それが上手くいったなら……………またあなたたちに会いに行くから。
握った手のひらはわたしのものより熱かった。こんなふうにドロロに触れるのは初めてだ。涙は流さないつもりだったので、唇を引き結んでわたしは笑う。


「わたしが………もし、それを終えたら」
「…………」
「やらなければいけないことが終わったら、ここに来てもいい?確証は、ないけれど」


熱い手のひらが、わたしの手をもっと強く握り返した。


「いつまでも、お待ち申している。殿」


それだけで十分だった。彼の声は温かで、沈んだわたしの考えをすぐに浮上させる。これからのことをなんとなくドロロも予想しているに違いなかった。それでも送り出してくれる優しさが、自分を理解していてくれることが本当に嬉しい。わたしは堪らなくなって、腕を伸ばす。そのまま彼を抱きしめようとしたのに、けれど逆に腕を引っ張られてしまった。
彼の腹のあたりに頭があたって、小さな手がやんわりと髪を撫でる。涙は流さないと決めたのに、あんまりにも彼が温かくて自分の指先が冷たいものだから溶かされた心が溢れて瞳から零れ落ちる。声を出して泣けるほど子供ではなかったけれど、彼にしがみつくわたしは情けない。情けなくて可哀想な、認められなかった悲しい自分自身をドロロに押し付けてわたしは泣いた。しゃくりが止まらなくて、何も言えなかったけれどそれでよかった。
お互いわかっている。奇跡を起こすのは、自分自身だということを。
きっかけは、もう何度も与えられていたのだ。





















































(07.12.31)