天気がいいので洗濯ものを干し終わってもは外でぼうとしていた。縁側で休むわけでもなく、干したばかりのシーツの前で背筋を伸ばして立ちすくむ姿が奇妙だ。斜め上ばかりを見つめる彼女の視線の先には、雲ひとつないくらいに青く澄んでいる空が広がっている。どこかに雲くらいあればいいのに、と思うくらい味気のない空だった。 けれどはそんなことは考えてもいないのかもしれない。を見つけたクルルはそう思う。 「よぉ、なに考えてるんだ?」 疑問に思ったことを解決するのが科学者としての正しい行いである。果たして彼がまっとうな考えから質問したかは定かではないが、クルルはに近寄って彼女の意識をこちら側に戻すくらいの声を出した。 けれどは驚いた様子もなく、まるで空を見ていた延長のような様子でクルルに視線を落とした。シーツがふわりとに触れる。 「珍しい。クルルが外にいるなんて」 「あんたこそ珍しいな。考え事か」 「考え事ね………うん。そうかもしれない」 自分に言い聞かせるように、は頷きながら口にする。クルルは縁側に飛び乗り、腰を下ろしたがはそんなクルルを見るだけだった。彼女自身は座ろうとしないから、クルルは促すのをやめた。代わりに何を考えたのかと問うたら、うっすらとした微笑が返ってきた。 「わたしの考えなんて、聞いてもおもしろくないよ」 「そうかい? オレが気になるモンてのは、大抵はずれなく面白いんだがな」 「大した自信」 微笑みに、声が加わった。は風でめくれたシーツをなでて皴をのばす。 指先まで力を込めて、は丹念にシーツをのばした。同じ動作を続けながら、は少しだけうつむく。 「二つ、考えていたの」 けれど彼女の声は震えてさえいなかった。クルルは、よく通るくせに無愛想に聞こえる不思議な声に耳を澄ませる。 「一つ目は、悲しいこと。クルルは悲しいことがあったらどうする?」 「は? 悲しいこと?…………何かに当たっちまうんじゃネェの」 適当に答えたが、それが真実に近いことがクルルにとっては意外だった。昔から思い通りにいかないものは壊して作り直すのが自分の性質だった。だから、もしそれが「悲しい」と言えるのならば、自分は今まで誰かにあたってきたということだろう。 「そう。誰かに、何かに当たったほうが効率がいい。悲しくても泣けないのなら、代わりのものがもっと必要になる。泣くって、とても自然な生理現象でしょう。それが出来ない場合、とても気持ちの悪いものが胸に溜まる……………クルルは、わからないかもしれないけれど」 彼女がそう付け足したのは、別段クルルを馬鹿にしたわけではなかった。けれど人前どころか一人になっても泣かないようなクルルを前にしてそう言うことは、彼の矜持を傷つけるかもしれないと思ったのだ。だから、はそう付け足した。もちろんクルルはその配慮に気づいていたので、当たり前だというように笑ってやる。 「だから、なんていうか………それならわたしが泣いてあげられればいいのになって考えていたの」 彼女はまったく恥ずかしがる様子もなく、空を見上げる。つまりは「悲しくても泣けない誰か」のためには泣きたかったのだろうか。 じっと空を見つめて、その先にある誰かに思いを馳せて、大真面目に泣こうとしていたのだ。けれど彼女の口ぶりからすると、泣けなかったらしい。それは彼女が冷血だからという理由ではなくて、単に彼女も「悲しくても泣けない」性質であったからだろう。 クルルは薄笑いを漏らし、思われたであろう人物は確かに泣きそうにないと考えた。どうでもいいことには一々泣きそうになるくせに、ここぞという場面には決して泣かない厄介な人物。こんな風に思われていることなんて知らないのだろう。知っていたとしても、彼は困ったように笑うだけだろうけれど。 「……………こんな天気のいい日に泣けるかよ。そんなのは土砂降りの日にしとけ」 「天気、関係ある?」 「あるね。オレが言うんだから、あるに決まってる」 クルルにしては強引だったが、は納得して頷いた。彼が言ったとおり雨が降ったら実行しようと考えているのかもしれない。計り知れないところがある女だと、知り合ってしばらく経つがしょっちゅう考えさせられる。 はそれで考え事も空を眺めることもやめにしたようだった。ひっかけていたサンダルを脱いで居間にあがる。その後姿に追いすがるように、クルルは声をかける。 「おい。二つ目は?」 「あぁ、二つ目」 思い出したというように、は窓ガラスの端につかまってこちらを向いた。 それからにっこりと、口角をあげて笑う。 「今日の夕食。何にしようか迷っていたんだけれど、カレーにしたよ。クルル見ていたら食べたくなっちゃった」 買い物に出かけなくちゃと急ぐが出かける準備をするのを見て、クルルはやはり面白かったと満足する。青すぎてつまらない、自分には眩しすぎる空の下で泣く彼女も見てみたかったが、見てしまえばそれでへの興味もなくなってしまうのは目に見えている。クルルの見方は結局歪んでいるから、のように「お優しい」発想は出来なかった。 いってきますと侵略者であるクルルに声をかけるに片手をあげて、今日の日向家の夕飯には呼ばれなくても行ってやろうと勝手に決めた。 |
空は高くて明るくてきれいだけど、
あの瞳を思わせるその色は少しだけ、
(08.01.06)