「ねぇ、ドロロ」



暑い夏の日に、彼女は微笑んで手招きした。
その手に促されるままに近寄れば、手を握られて上を向く。



「私、幸せよ」



青い空に溶けてしまいそうな声はどこまでも嬉しそうだった。



「そうでござるか」



頷く自分が遠くに思えたのは、暑さでめまいを覚えてしまったからかもしれない。
彼女の白いワンピースが、緑が美しい森によく映えていたことを思い出す。

麦ワラ帽子がよく似合う女性だった。
ひまわりよりも快活に笑う人だった。
強い日差しの中で、清流のようなすがすがしさを保ったその人は、



「私、幸せよ」



そう呟くのが口癖だった。







































「ドロロ」



遠慮がちにかけられた声に振り返れば、そこには友の姿があった。
日差しの中でも赤々と眩しい体は、少々暑苦しいようにも思える。


「ギロロくん」

「こんなところで、どうしたんだ?」


そう言って駆け寄るギロロは、少しだけいぶかしんだふうだ。


「お前がこんなところにいるなんて、珍しいな」

「・・・・・・・・」


屋上のすみ、ちょうど貯水タンクの陰が日陰になっている場所で座禅を組んでいた。
空が近いこの場所は、照りつける日差しさえもが下界よりも強い。
今頃この下に無数にある教室で、小雪や日向家の兄弟が授業を受けているのだろう。
ギロロはなにも返事をしないことに腹を立てる様子もなく隣に腰をおろした。



「何か、用でござるか?」

「なんだ。用がなきゃ、いちゃいけないのか」

「そういうわけではないでござるが………」



困惑した声を出せば、幼馴染は違う方向を向いて笑っている。
まるで昔の彼がそこにいて、二人で授業をサボっているような感覚。
けれどここにケロロはいないから、二人だけの空間はとても微妙だ。
何しろ、ケロロがいなければサボろうなんて言い出す二人ではない。
青い空にぽつりぽつりと浮いた雲を眺めながらしばし無言でときを過ごした。
会話はない、話す事もない。
ただ、流れる時間。



「ギロロ君」



最初に口を開いたのは自分のほうだった。



「なんだ?」



沈黙に耐えられなかったわけではない。
声を出したのは、ただの気まぐれだ。



「…………ギロロ君は、手に入らないものがあったらどうする?」



我ながら突飛な質問だった。
ギロロはきょとんとした顔をしたあとで、首をかしげた。



「それは、どうしても手に入らないのか?」

「うん」

「どんな手段でも?たとえば、人として間違った行いをしても・・・ということだが」



ずいぶん面白いことをいうなぁ。
頷きながら、思った。
たとえ非人道的な行いをしたところで、手に入らないものはある。



「それは・・・・・・その花束と関係あるのか?」



しばらく腕を組んで考え込んでいたギロロがコンクリートの上に無造作に置かれた花束を見てそう言った。
花束から顔を覗かせるのは白い、大きな花弁だ。
名をくちなしという。



「……………あぁ」



答えることに、迷いがあった。
暑さのせいで少しだけくたびれてしまったように思えた花は、どうやら相当丈夫らしい。
持ち上げれば芳醇な香りが鼻先をかすめた。
この香りが好きだといったのは、いったいいつの日のことだったろうか。



「……………もう、会うこともかなわない」

「……………誰か、亡くなったのか?」




視線を落として答えを考えた。
死んだ、と答えられたらどんなに幸せだろう。



「…………………………ううん、違う」



あなたが死んだと答えられれば、この思いも永久に捨て去ってしまえるのに。
それさえも許されないのは、思いの深さゆえ。



「今日……………僕の知らない男のもとへ嫁ぐらしい」



幸せと、笑顔で言うあなたを憎く思えた。
この思いは心の奥の奥に根を張って、けして振り払うことなど出来やしないのに。
じくじくと、痛みを伴う思いは果てしなく続いている。



「ギロロ君。人としての行いをはずれたとしても、僕が欲しいものは手に入らない」

「……………」

「それが相手の心なら、なおさらだから」


独り言のように呟いて、立ち上がる。
日差しの中に姿を現せば、まぶしさに目がくらんだ。
左手に掴んだくちなしの花が一層白く見える。



「その花は……………その人にやるのか?」



背後でギロロが尋ねた。
握った手を掲げつつ、首を振る。



「ううん。これは、今から行う葬儀に使う」

「…………………………葬儀?」

「僕の思いを葬る儀、だよ」



あなたが好きだといった花をこの思いと共に葬ろう。
嫁いだ男の傍らで、幸せに笑うあなたを見られるように。
この痛む思いを切り捨ててしまおう。



「僕の思いが腐食して、彼女を傷つけることだけは避けなきゃいけない」



欲しいのは心だ。幸せだと言った笑顔だ。
その笑顔を壊してまで、彼女を得てなにになろうか。
フェンスの前まで足をすすめ、花を包んだ綺麗な包装紙を解く。



「ドロロ」

「……………」

「その人の名前を教えてもらえるか?」



抱えた花を見つめれば、快活に笑うあなたの表情が浮かんだ。
名前を呼ぶだけで幸せだった。
ともにいるだけで幸せだった。
その幸せが充分だと思えていたのは自分ひとりだけだった。



「彼女の名前は…………………………



後悔はない。
を思った日々を幸せだったと断言する自信があるから。
まだの苗字が変わらぬうちに・・・・この思いを美しい思い出とともになくしてしまおう。



「さよなら」



両手に抱えたくちなしを、フェンスを越えるように思い切り投げた。
白い花は太陽に光を反射しながらゆっくりとその体を落下させていく。

さようなら、美しいだけの思いよ。



「僕はを愛していた……………」



告げることのない告白は、太陽に吸い込まれてしまった。
聞いていたのはおせっかいな仲間ただ一人。
本人には、一生秘匿にするつもりのこの思い。

……………なくしたことも、あったことさえも。














ねぇ、ドロロ。私、幸せよ・・・・・・・・・・・。










その笑顔はただ儚くて、白く輝くくちなしそのものだった。

空を仰げば、純粋な青。



僕も幸せだった・・・・・・・・・あなたを好きになって。











































欲しいと望みながら







絶対に手に入れられはしないことをは知ってる





(08.10.04)







冬企画ご参加ありがとうございました!!

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