晴れた日で、少しだけ風が強かった。外に出る用事もなかったから風の様子などどうでもいいではあったのだけれど、カタカタと断続的に音をたてる窓ガラスが少し気になってしまう。カタカタカタ。心がざわめく落ち着かない音だ。
「やっぱ、どこか行こう」
よく見れば晴れているし、風が強いからと言って差し障りないだろう。
久しぶりに散歩をしてこようと思った。なにも考えずにお気に入りのカメラでも持ちながら外に出るのは楽しいかもしれない。かもしれない、というのは期待以上のものがなかったときの慰めだ。無論、それ以上であれば問題ない。
しかし、の目論見はまったく別方向から打ち砕かれた。自ら開け放ったドアのノブを持ったまま、そのままは静止する。目が驚いて固まって、すぐに冷ややかに細められた。招かれざる客が、ドアの前にぬうぼうと立ちふさがっていた。
「…………帰宅」
目があって、数十秒。冷ややかに細められたの瞳を見たまま、表情をわずかも変えずに客が言った。は笑顔が引きつる。口の端が片方だけ不自然に上がり、「はぁ?」と不機嫌さがあらわになった。相手の返事など待たずに、は扉を閉める。ことさら音をたてるようにして。
「帰宅? おうちを間違ってますよ。ここはわたしの家ですから」
「…………」
「それともなんですか。半年ぶりに帰ってきてもちゃんと部屋があるとでも思ってるの。…………ちゃんちゃら可笑しいわね」
「…………」
「聞いてるでしょう。怒ってるのよ。しばらく黙ってて」
扉の外側で、押し黙る気配がした。たださえ口数の少ない彼は―――ドルルは大抵のことに破天荒だが、に対しては素直に非を認める。その許されているような甘さが、を時々苛々させる。許されていても、素直でも、彼は結局ふらふらとどこかに行ってしまうのだ。
この前は知りもしないピンク色っぽい女と――ミルル、と言ったかもしれない――出て行ったきり、半年も音沙汰がなかった。その間にどこで何をしているかなんて報告も連絡も一切ないのだから、いい加減愛想もつきるというものだ。
「…………どうせ、またどっかで暴れてきたんでしょ。ホントに飽きないわよね」
「…………」
「放ったらかしにしたんなら、わかってるでしょう。わたしはそこまで心が広い女じゃないのよ。…………もう他に好きな人がいるし、あなたは迷惑なだ、け」
が台詞を言い終わらないうちに、爆音が轟いた。ちょうど工事現場で聞こえてくるような音で、が真横を向いたときにはもうもうと砂埃が立ちあがっていた。どうやら壁が破壊されたらしいことがわかったのは、たった今外にいたはずのドルルが自慢の腕やら耳やらの銃火器を光らせてそこに立っていたからだ。
は口を少しあけて、大いに呆れた。呆れて、頭を抱えてうずくまりたくなった。
「…………ばっっっかじゃないの?」
「…………」
「あぁもうどうすんのよこの壁!また大家さんに怒られちゃう。今度こそ出てけって言われるわ」
「…………」
「前だってガラス全部割ったの覚えてるでしょう? なんでこう学習能力がないの、よ」
不自然に声が区切られた。の顔の横に、ドルルの手――のような銃火器――が、乱暴にぶちあたったからだ。
「…………恋人…………白状」
「好きな人の話? …………特定して、どうするの」
「抹殺」
あまりにも恐ろしいことを、これ以上ないくらい真剣な表情でドルルは言う。
は傍にある腕を嫌なものを見るように視線を流した。
「やめてよ。ドルルにそんな資格ないでしょう」
「…………資格」
「そう、資格。約束もくれないし、どこに行くかも教えてくれない。それに何より、わたしこのままじゃ完璧都合のいい女状態だしね。もう、解放してくれてもいいでしょう?」
「…………」
の声は冷め切っていて、恐ろしいほど渇いていた。
ドルルは腕をはずして、しばらく考え込む。はそんな彼の全身を、見つめた。しばらくぶりに見る体や顔、変化の乏しいすべての部位と、あんまり好きではない機械部品たちを無意識に眺める。懐かしささえも感じながら。
ドルルはふと顔をあげて、おもむろにの腕を取った。乱暴に引いて、を先ほど自分が開けた穴から外に出させる。
「ちょ、ドルルってば痛い!」
「紹介」
「は?」
穴の外――本来ならばドアの外側であったはずの場所に―――所在なさげな様子で立っている二人がいる。先ほどまでは気付かなかったが、その二人は喧嘩に巻き込まれた他人がそうであるように曖昧に笑って、頭をうすく下げた。深緑と紅の色をした二人。
は眉根を寄せて、これ以上ないと言った感じに不快感をあらわにする。しかし、ドルルは構わず続けた。
「仲間」
怒鳴りださんばかりの表情のが、その言葉にきょとんとした。音の響きと意味とに理解が追いつかない。ドルルの生涯に、これほどまでに似合わない言葉があっただろうか。
仲間、というのはつまり、えーと、なんだったかしら。
「仲間?」
「…………肯定」
「ドルルの、お友達ってこと?」
おずおずと聞き出せば、ドルルは罰が悪そうに頷いた。客人の片方が「照れてんじゃねぇよ!シーヴァシヴァシヴァ!」と笑って、もう一人のほうが「五月蝿い、黙れ。空気を読まんか!」と怒鳴りつけている。
はぽかんとしてしまう。彼が友人を連れてきたのはもちろん初めてであったし、これからもないことだと思っていたからだ。
「…………」
「え、あ、うん。なに」
驚きすぎて無防備な声が出てしまった。ドルルはいつのまにかの腕に込めた力をやんわりとほどいている。
「…………不在、謝罪」
彼女の視線ほどの高さで頭をさげるドルルは、奇妙に殊勝だった。目の色があまりにも真剣なので、はそれだけでも始めの強がりは現せそうにない。
「同居、希望」
「…………また、ここで待てって言うの」
反射的に聞いたのは、もう待つことが嫌になっていたからだ。ドルルは首を振る。けれどその先は自分で言おうとはせず、他の二人の方に向けた。
「あー…………その、とやら、ドルルはお前と一緒に吾のところに来たいと言っているのだ」
「あなたたちのところ?」
「そうそう!オラッチたちの秘密基地ってやつさぁ!ドルルのヤツがどうしてもって言うから、オペレーターってことで置くっつーことにしたんだ!シーヴァシヴァシヴァ!」
「オペレーター…………居候ってこと?」
「あぁ、吾も居候の身だがな。…………基地は地下にあるから気兼ねはいらん。それにドルルがお前のことをすごく心配しているから…………」
どごぉん!
深緑の体色の彼が全部言い終わらないうちに、遮るように爆音がして二人の足元に穴が開く。見れば真っ赤になったドルルが、武器を構えて放っていた。紅の方はその様子にケラケラと笑い、深緑の方は何故怒られたのかわかっていない。
「…………ドルル」
「…………返事…………希望」
「まったく、いつもそうよね。わたしは最後に選ばされるだけ。それまでの工程ぜぇんぶ無視なんだから」
好きな人がいると言えばソイツを抹殺してでも、ドルルはきっと自分の願いを叶えてしまう。仲間との新しい世界で、との生活を始めるために。
はため息をつく。諦めと哀愁とこれからを憂いて。
「…………いいわよ。仕方ないから一緒に行ってあげる」
「…………」
「あなたみたいな人に付いていけるのなんて、わたしくらいでしょ。ここには住めないだろうし」
「…………感謝」
ほっと息をつくように、ドルルは笑った。けれど次の瞬間には、また顔を強張らせる。
「!」
「な、なに」
「恋人!…………抹殺」
怒鳴るようにして言うものだから、何かと思えばそんなことか。
は首筋をかきながら、ドルルの額にデコピンをした。ぺちっといい音がする。
「無理だよ。ドルルは敵いっこないよ」
「…………何故!」
「だって、いくらドルルでも自分を打ちのめすわけにはいかないでしょ」
意地悪そうに笑いながらが言い、後ろで「ひゅー!やぁるねぇ!!」と冷やかす声が響いた。ドルルだけが理解できない顔をしている。はしばらくぶりに見るその顔に笑って、言っていなかった言葉を零した。
おかえりなさい!
言うと同時に大家さんが来たのだが、大目玉を食らったのはもちろんドルルだった。
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