この広い世界でわたしという存在が、なくなるということ。

 

 

 





「死んだらどうなると思います?」


真夏の木陰、少しだけ温度の低いところに体を寝転ばせながらわたしは何気なさを装って聞いた。傍にいる彼は聞こえているのかいないのか、わたしの問いにはしらんぷり。素直に答えてくれると思ったわけではないけれど、無視というのはないだろう。


「ギロロ伍長」
「なんだ」
「聞こえてるんじゃないですか……。さっきの質問の答えをください」



暑い日だった。ジャングルだとか亜熱帯だとかいうのは知っていたがこの湿度と熱量には参ってしまう。その中を二人で歩くのはちょっとしたピクニックと呼ぶには過酷過ぎて、護身用というには物騒すぎる装備は歩くたびに重くなっていくようだった。その中で目の前の彼はまったくスピードを変えることなく歩き続け戦い続けた。歩兵の鑑だと、教官ならば泣いて喜ぶに違いない。けれど彼より階級が下であるわたしにとっては迷惑なことこの上ない。ようやく休ませてくれたこの木陰は、彼が見つけてくれたものだけれど。(感謝してるのはそれくらいだ)
ギロロ伍長は一瞬わたしに目をあわせたかと思うと、フンとそっぽを向いた。


「くだらん質問に答える気はない」
「くだらなくないですよー。生と死。永遠のテーマじゃないですか」
「それをここで俺に聞くという行為が、くだらんと言ってるんだ」


取り付く島もないというのは彼のために作られた言葉ではなかろうか。額に滲んだ汗が滝のように滴り落ちる。水が飲みたいけれど、この上官にそれを言ったら軟弱者だと謗りをうけるに違いない。遠くで知らない鳥の甲高い鳴き声が聞こえた。木々の合間から覗く太陽が憎らしいほど眩しい。話す声がしない。喋りたくなる。


「わたしはですね。死んだらどこかに行くってことはないと思うんです」
「・・・・・」
「天国や地獄があるっていう人もいますけど、誰がそれを決めるんです?神様?仏様?そんなことありえない」


ギロロ伍長はわたしの声を聞いているのかいないのか。返事もせずに聞き流しているようだった。それでも五月蝿いとお叱りを受けなかったわたしは喜んで、そこらへんにいた猿に笑いかける。とりあえず喋るなということではないらしい。


「そもそも死者なんていないんですよ。だって、この世にはたくさんの命があるんです。この星にもわたしたちの星にも、たくさんたくさん、それこそ数え切れないくらい。その命が一つ一つ新品だなんて考えられますか?」
「・・・・・」
「輪廻転生とか因果応報とか、そう言ったものだと思うんです。生まれ変わりを繰り返す。おじいさんが死んだときに赤ん坊が生まれてくるように。次々に自分の命の順番は回ってきてしまう。だから、天国や地獄で休んでる暇なんてないんですよ」


まったくでたらめな価値観だったが、自分で言っているうちにまるでそれが真実のような気になった。この世には限られた魂しかなくて、それが絶えず生まれたり死んだりして世界を形成している。今は人間だったけれど次は虫かもしれない。もしかしたら海の泡とか、木の根とか、そういう生命とは違うベクトルの生き物かもしれない。今は終わるけれど自分は終わらない。それはなんて素敵なことだろう。

・・・お前はまるで世界を手にとって見ているようだな」


わたしが自分の考えに浸っていると、不意に低い声が耳に届いた。驚いて前を見上げると、周りを観察していたらしい彼が目の前にいた。逆光で顔がよく見えないが、どうやら笑っているようだった。


「え。わたし、そんな偉そうでしたか………?」
「大分。まるで俺に世界の真理でも説いてきかせようとしているようだった」
「そ、そんな……」


つもりはない、と小さな声で呟いた。恥ずかしい。仮にも上官に、なんてことを言ったのだろう。
しばらく俯いていたわたしの頭に何か温かいものが触れた。それはわたしが上を向くよりも早くわしゃわしゃと髪を乱暴に撫ぜる。ギロロ伍長が間近でわたしの頭を撫でているのだと理解するのに数秒かかったのは、暑さのせいでも喉が渇いていたからでもない。ただそんなことをするような人ではないと思っていたいから。
これ以上ないほど見開いた瞳で驚愕を表現するわたしに彼は、今度こそはっきりと笑った。


「だが、くだらなくはないな。お前のその考え方、俺は好きだぞ」


そうして頭にあった手を腕におろして、両手で抱えるようにしてわたしを持ち上げた。まるで壊れ物を扱うように、淑女の手を取るように優しくするものだから、足の感覚などもうないのにわたしは彼の腕を取った。


「掴まれ。俺たちはまた生まれ変わるかもしれないが、それまで精一杯生きるんだ。ここが死に場所じゃないことくらいわかるだろう?」


わたしは必死に彼の腕にすがりながら、力強く自分を抱く人を見つめた。そうして自分の頬に涙が伝うのを感じる。さっきまで喉がカラカラだったというのに、わたしの中にはまだこれほど生きるために必要なものがあったのだ。



「そうして帰ったら、お前のその話をもう一度聞かせてくれ」



泣きたくなるくらい絶望的なこの状況で笑うこの人と一緒なら、自分はまだ死ななくてもいいかもしれないと本気で思った。





(たとえそれがジャングルの中で孤立した敵陣のど真ん中だとしても)






 

 

陽射しの微笑み

(06.07.23)