人魚姫の話を知ってる?
あるところにとても綺麗な人魚のお姫様がいたの。お姫様はとても沢山の人に愛されて育った。何不自由のない暮らし、平和な海の底。でもお姫様は満足できなかった。 海を自由に泳ぎまわる尾ひれを使ってどんなところだって行けるのに、彼女が憧れたのは陸だった。当たり前よね、自分にないものに魅かれるからこその価値だもの。 毎日陸や、そこで暮らす人を彼女は眺めて暮らすわ。 そのときのお姫様には、海を捨てるための決意もそこまで思い切らせるキッカケもなかったのね。
でも、キッカケはやってきてしまう。
嵐の日―――――――――難破した船から、一人の男性を救いだすまでは。 人魚姫が助けたのは王子様だったの。もちろん陸のね。お姫様は王子様を岸まで運ぶんだけど、さぁそこからが大変。人間たちには見つかってはいけないことになっていたのよ。人魚はそれほど強くなかったのね。でも、人魚姫はその場を離れることが出来なかった。 彼女は王子様に恋をしていてしまったから。 あまりにもありきたりな展開だけど、仕方がないわ。結局他の人間が見つけて王子様は助かるんだけど、キッカケを与えられてしまった人魚姫は止まらなかった。 周囲が制止するのも聞かずに魔女に声と人間の足を交換してもらったの。もう海を泳ぐことは出来ないと知っていたでしょうに。でもそんなことより愛する人の存在のほうが大きかったのね。 お姫様は王子様を探すわ。けど、程なくして見つけた王子様は彼女の望んだ王子様ではなくなっていたの。 王子様は他の女を愛していたのよ。しかもその馴れ初めが、浜辺に打ち上げられていた自分を助けてくれたからって言うんだから笑ってしまうわ。それでもお姫様は王子様の傍を離れない。いつかわかってくれることを信じて、声を失った喉で必死に叫び続けた。
でも結果は彼女の負け。王子様は人間の女と結婚してしまうし、人魚姫は海の泡になって死んでしまうのよ。そのとき王子様を殺せていれば、自分は助かったって言うのにね。
「―――――――――それで?」 「ん。それでって?」 「話の続きだ。俺にその話をした真意を聞かせてもらおうじゃないか」
あまりにも不機嫌な声のギロロ。わたしはその反応を楽しみながら、カラカラと笑って見せた。彼は何を怒っているの。
「真意なんて、ないよ」 「嘘を吐け。お前の話がそんな薄っぺらいわけがあるか」
ケロロじゃあるまいし。 ギロロはそう言って、わたしを抱えた腕に力を込めた。夕暮れ、川岸の土手を歩きながらわたしたちの影は一つになっている。それと言うのも地球人スーツを着込んだ彼がわたしをおぶってくれているからだ。無駄に背が高いこのスーツを着込んだ彼は完璧に変な人だった。
「あら、ありがとう。でも誤解しないで。わたしはそんな頭のいい人間じゃないよ」 「頭がいいとか悪いとかの話をしてるんじゃない。………………だが、よくはないな。そうでなければ、川に飛び込んで猫を助けるなんてことをするわけがない」
ため息の音。ずぶ濡れな自分に染み入るそれは、無駄に心地いい。 そうだよ。頭のいい人は猫が流されていたからって急に川に飛び込んだりしないよ。それであまつさえ自分も溺れて宇宙人に助けられたりなんか、絶対しないよ。
「いいじゃない。体が勝手に動いたんだもの」 「無謀と勇気は違うと言ってるんだ。………まぁいい。それよりもさっきの話。お前は、何が言いたい?」
今度は先ほどよりも彼の語気は穏やかだった。話しながら歩く彼の背中は少し冷たい。ずぶ濡れな自分のせいだとわかっているけれど、なんだか淋しかった。体温を感じられるのは首の付け根くらいだ。でも、そこはわたしが触れていい場所じゃない。
「ないって言ってるでしょーが」 「お前な………………嘘も大概に」
「それともなに?夏美ちゃんとギロロのことだよって言えばいいの?」
自分が酷いことを言っている自覚はあった。けれどそれをどこかで望んでいたのはわたしだ。ギロロの言うとおり、わたしはただ聞いてほしくてあのお話をしたわけではない。でも傷つけたいわけでもない。ただ、なんとなく話した。 怒鳴られるかと思った。放り出される覚悟も出来ていた。けど、どちらの行為もされることはなかった。意外にもあっさりと、ギロロは頷いたのだ。
「そうか…………」 「は、なによ。そうか、じゃないでしょう。何納得してるのよ」 「納得も何もお前の言いたいことを聞けてよかったと思ったんだ。別に怒る気はないから安心しろ」
前を向く彼の表情は見えない。 ちょっと待ってよ。それで終わり?
「違うわ。冗談よ。真意なんてない!」 「ムキになるな…………。実際、その通りだと言えなくもないだろう」 「ねぇ、ちょっと待ってってば、どうしてそんなことになるの」 「お前が焦る必要はない。俺は傷ついてないから心配するな」 「そーゆー問題じゃないでしょう。それにっ」
嘘をついてのるのは、ギロロの方じゃない。 傷ついてない人はそんなふうに悲しい笑い方をしないよ。いつもは言い返すくせに、なんでこんなときにそんな笑い方をするんだよ。まるでわたしは悪者じゃない。報われない恋だなんていうつもりないよ。だって誰より夏美ちゃんを想っているのはあなたでしょう。
そんなあなたを非難するつもりない。
「………………ギロロは馬鹿だよ」 「そうか?これでも昔よりはいいぞ」 「馬鹿だよ。どうしてそんな風に言うの。わたしが言いたいことなんて何ひとつわかってないのに」
そうだ。わかってないのだ。彼は何一つ理解してない。 それなのに、人魚姫と一緒で周りを顧みない。王子様を殺せば人魚姫には幸せが待っていたかもしれないのだ。やり直すことも、また誰かに恋をすることも出来たのだ。それでも死ぬことを選んだ人魚姫は本当に馬鹿だ。
人魚姫は知らなかった。そして知ろうともしなかった。 王子を愛するように自分を愛してくれている人がいることなんて。
「
………………?」 「ギロロは、馬鹿だ、よ」
言葉がつなげない。夕暮れの道にわたしたちの影が長く長く伸びていた。わたしは彼の首筋を抱きしめて、腕に込められるだけの力を込めた。そうして顔をうずめてしまえば、もう彼がわたしをも見ることはできなくなる。見せてなんて、やるもんか。これがわたしの最後の意地だった。
わたしたちの気持ちは交わることはない。だって彼は彼女を思ってただそれだけを考える。 わたしもあなたを想って、ただそれだけを考える。向かう感情が交わることはない。
人魚姫は幸せだった。その後に自分を追って死ぬ人がいることを知らずに死ねたのだから。
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