小説の中の登場人物は、どうしてこんなにも自分を割り切ってせいせいと暮らしているのだろう。ページをめくる手をとめて、は考える。もちろんみんな大小さまざまな悩みや苦しみがあって、全員が違う道を別々に生きているのだが、その姿が決然と前に向かっているように見えてしまうので、余計自己嫌悪に陥ってしまいそうになるのだ。だってどうしたって彼らを飾る文字は数行で片付けられてしまっているのだから、つまりそこにすべてがあるのだ。心を具現化したら、たった数行だという苦い事実。
「わたしの物語も…………たった数行なのかな」
誰に聞かせたいわけではなかったが、わたしは呟く。もし、わたしにあつらえられたタイプライターがいるのならこの状況をたちまちまとめてしまうに違いない。それでもって、なんて面白くないことをするんだ!と怒鳴られるのだ。
想像してみて、くすくす笑った。悲しく響いた自分の笑い声。
本に視線を戻す。二冊目の半分ほどを読み終えた。花屋の少女は、告白してくれた大学生とは付き合わなかった。その前に、また偶然に運命の彼と出会えたからだ。つくづく、偶然の多い小説だった。運命の人は花屋の少女と昔会ったことなど覚えていなくて、それでも彼女と親しくなってゆく。誠実というよりは、優しいだけが取りえの男のように思えた。
やさしさ。
いいものだと思われがちの、甘ったるいだけの言葉だ。はそれがこの世でもっとも残酷な仕打ちなのだと考えている。誰の目にも優しさはよく映るが、それをされた相手には耐えられない苦痛となるのだ。まったく、馬鹿げている。
しかもこれには中毒性があり、いつのまにかそうされることが当たり前となって、むしろそうされなければとてつもなく不当だと思い始めて悲しくなってくる。ずっと優しくできるわけなどないのに、最後まで優しい人というのはいるものだ。それこそもう、耐え切れなくなるまで優しさで自分を削る人が。
だからわたしは、彼が耐え切れなくなる前にいなくなることにしたのだ。
彼の記憶から滑り落ちることはできそうになかったので、姿をくらますことを選んだ。ろうそくの炎が消えるように、唐突に、吹き消される速さでわたしはいなくなったことだろう。
ページをめくる手が冷たくて、息を吹きかけた。寒い。もう少し、厚着をしてくればよかった。
いつのまにか日は落ちていた。土曜日、今日は家に帰らない。
誰にもなにも告げずに、はただそこにいる。
今日は誰もを強制送還させる人がこない。嬉しいことなのか悲しいことなのか判別しかねて、はあいまいな表情で俯いた。窓からは星が見えている。
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