「メールぅ? イヤだね。面倒くせぇ」
クルルは彼専用の椅子に座りながら、こちらには一瞥もくれずにそっけなく答えた。ギロロは画面の光に照らされ伸びている椅子の影を見ながら、居心地悪そうに機械ばかりが並んでいるラボの中で突っ立っている。クルルの答えは予期していた。予期していたからこそ、彼の口調は想像していたものより冷たく聞こえる。
「そう言うな。メールくらい、お前には面倒というほどのでもないだろう」
今だって話しをしているというのに、背を向けているクルルの方からはキーを叩く高い音がしている。彼のパソコンを操る様を見れば、とのメールくらい朝飯前のように感じた。仕事の合間に短い文章を送るくらいどうってことのないことだと。
そう思う一方で、の願いが聞き届けられないことにほっとしている自分もいた。クルルの背中を見ていてもわかる。これは、そういう男なのだ。が興味を持ったとしても、付随してクルルからも興味を持つようなことにはならない。あちらから歩みよるのを待つほど優しい男ではない。だから、今までに興味を持っていなかったとするのなら、これからもクルルがに傾くということはないのだ。今ここで、の願いが断られればいい。そうすれば、彼女はそれ以上の傷を負わなくて済む。
「…………メールねぇ。ふぅん。…………センパイも、そんな面倒な頼まれごとよく引き受けたなぁ」
「渋々、だ。がここに来ることを考えれば、オレが来た方が安全だろう」
「ククッ」
カタカタカタ。一定のリズムで叩かれ弾かれる音は止まない。
「警告はしなかったのかい。オレはセンパイが言うように、安全じゃねぇってよ」
「突然頼まれたんだ…………」
「だから頷いちまったって? おいおい、平和ボケで会話機能までボケちまったのか」
なんとでも言え。
ギロロは吐き捨て、薄暗いラボを見渡した。ギロロには理解できないものばかりが並んでいる。この機械どももクルルも同じことだった。ギロロには理解したいとも思わないし、興味もない。けれどの表情は幸せそうだった。暗い地下のラボには似つかわしくないほど、清く凄然とした空気を纏っていた。この世界に染まることを望んでいるとは思えないほど、彼女は清潔だった。興味本位で触れれば、火傷などではすまない。
「オレは頼まれたことをやっただけだ。お前の返事などわかっていた」
断りながら、ギロロはそう言う。キーを叩く、高い音が止んだ。突然音が止まったものだから、ギロロは首を捻る。
「どうした?」
トラブルでも起こしたのか。そう聞こうとしたが、その前にクルルが音もなく椅子を回転させた。足もつかないほど高い椅子の上のクルルの表情は、後ろの画面のせいで影に隠れていた。
「オモシろくねぇな」
一言、吐き捨てるようにクルルは言う。低く単調に、けれど怒気など含まれない声で。
「何がだ」
「センパイの言い草に決まってんだろ。オレが断ることを知っていたっつーやつ。じゃあ何か? オレはあんたの義務感に付き合わされただけってか」
さも不快だと言わんばかりにクルルは言う。まさにその通りだったのだが、一瞬ギロロは言葉に窮した。おつかいすら満足にできない子どもに成り下がったような気分になって、自分の不用意さを若干後悔した。
けれどギロロには、クルルの答えを聞かずにの願いを一方的に断ることなど出来なかったのだ。これが本当にただの興味本位ならば強く止められたかもしれない。ただ、あのあと自分は聞いてしまったのだ。
好き、なのかと。問わなければよかった。次の言葉で、ギロロは否定することも拒否することもできなくなってしまった。
「…………気が変わった。メール、してやるよ」
先ほどと変わらない調子でクルルが告げた。一分前には面倒だと言っていたのに。ギロロは苦虫を噛み潰すような表情でクルルをみた。彼が善意やのような感情で連絡をとるわけではないことが手に取るようにわかった。
「…………無理にとは、頼まん」
「気が変わったっていってんだろ。それに、はオレとメールしたいんだろ。センパイとじゃなく」
「それは…………」
「だったら黙ってるこった。オレがとメールしようが弄ぼうが関係ネェだろ」
自然な口調で言われたので一瞬何を言われたかわからなかった。クルルは汚い言葉もひどい罵りも、まるでいつも使っているように口にする。
モテアソボウガカンケイネェダロ。
ようやくギロロが理解したときには自分の右手に愛用の銃が時空転送され、クルルとの間合いを詰めていた。やっとのことで怒りが追いつきクルルに銃を突きつけた理由がはっきりしたときには、すでに引き金に指をかけていた。
「もう一度言ってみろ。ただでは済まさん」
「…………クッ」
「いくら貴様でも、言っていいことと悪いことがある」
頭にきた、というものではない。自分が侮辱されるよりも激しい怒りと屈辱を感じた。の嬉しそうな横顔に泥を塗られた気がして、ギロロは目の前の元々気に入らない同僚を本気で憎みさえした。弄ぶ、という言葉自体でギロロの想像力は働かなかったのだが、その言葉の持つ悪意がギロロを動かした。
クルルは両目の間に据えられた銃口をしばらく睨んでいた。彼が逃げることも助けを呼ぶこともできないことなどわかっていた。ただ本当の意味で恐れていないことも、ギロロは理解していた。
「…………くっだらねぇ」
心底嫌悪しているといった調子で、クルルは吐き捨てる。銃が邪魔で表情は見られなかった。
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