体の芯から湧き上がった、あの焦げるような情熱を、今でも覚えている。
ギロロに頼んでクルルとのメール交換をし始めてしばらくたったころだった。はその日、バイトが少し早くあがったのですぐに日向家に向かった。もちろんいつものようにギロロと話をするためだ。あれこれと世間話をしたあとに、他愛無いメールのやり取りを説明して笑いあう。けれど決してメールの内容自体を暴露することを、はしなかった。そう心がけるようにしていた。細心の注意を払って、自分の言葉には気をつけていたつもりだ。メールと言うのは相手との秘密の話であるのだから、それを誰かに遠慮なく話すのは裏切りだと考えていた。
だから自分が疲れているとメールをしたと話したとき、ギロロが唐突に「アイツは配慮なんて高尚なことはできないから気にするな」と言われたときはドキリとした。うっかりとクルルからのメールを――「だから?」と短いあの返事を――話してしまったのだと思ったからだ。けれどそれはギロロが長年培ってきたであろう彼とのやりとりから当然推測されたものだと理解すると、メールごときでどきまぎする自分が恥ずかしくなった。
今日は、なんの話をしようか。
空を見ながら、日向家へと向かう道すがらは考える。鳥が二羽飛んでいて、とても小さかったのでスズメかもしれない。けれど近づいてきた鳥はスズメと違っていた。
思い出して、ケータイを取り出す。すばやく打ち込んで、折りたたみ式のそれを閉じた。
「まぁた、ろくでもない内容を送っちゃったかなぁ」
かなり頻繁にはクルルにメールを送っていた。しかも取り留めのない内容ばかりを短すぎる文章で。けれどクルルは生来がそういう性格なのか、刺々しく愛想のない内容でもしっかりと返事をくれる。
日向家の門をくぐって、玄関には向かわず右に入って庭に進む。角を二回曲がった先にギロロがテントを張っている日向家の縁側があるのだ。
足音は立てずに進むようにして、ギロロを驚かそうと思った。けれど、角からひょっこりと頭を除かせたが見たのは彼の後ろ姿だった。座ったまま背中を曲げて、馴れない手つきで何かをいじっている。突然、ポケットでバイブ音がして角に隠れる。
『そりゃ、メジロだ』
クルルからだった。
スズメに似ている鳥がいたの。目の周りが白いんだけど、知っている?
そう尋ねた答えだった。は突然、心臓が激しく脈打ったのがわかった。見てはいけないものに、触れてはいけないものに、自分は近づいてしまったのだと直感で理解してしまった。ケータイを握る手が震えて、角に隠れた自分がもうすでに償いきれない罪を犯してしまったように感じた。取り返しの出来ない何かを、この瞬間に手放してしまったような。
は落ち着くために何度か呼吸をして、ケータイのボタンを押す。先ほどまでのスピードはなかった。
『それにしても、今日はいい天気ね』
こんなにも動揺しているというのに、文字のどこにもそれは現れていない。メールに表情を送る機能が備わっていなくてよかったと、心底思った。
恐る恐る、は角から顔を出してギロロの様子を見る。試してみるつもりだった。先ほど感じたあの劇的な違和感と衝撃的な直感を信じたくなかった。ギロロは先ほどと同じ体制でまたもぞもぞと動いている。一瞬、浮いた右手が人差し指以外握られているのが見えた。
それから、彼が不意に顔を上げた。心臓が再度跳ねたが、はじっとその様子を見つめていた。顔を上げたギロロは背後にいるこちらのことなどわからないように若干左斜めの空を仰いで、手で日差しを遮るような仕草をする。空が澄み渡るほど綺麗だということに、たった今気づいたように口元が笑っていた。
そのとき体の奥から湧き上がった、焦げるような情熱をなんて呼ぶことが出来るのだろう。
「………!!」
もう我慢できなかった。は手元に集中し始めたギロロから顔を逸らして角に逃げ込んで、そのまま日向家を飛び出していた。走ろうとしたが足がもつれて歩くことしかできなかった。それでも必死に競歩みたいな歩き方をして、自分の部屋まで休まずに歩き続けた。何も考えずひたすらに無言で足を進めて、家を見つけてほっとした。自分の部屋の鍵を閉めてようやく体にどっと疲れを感じて、背中を壁にぺたりとつけて寄りかかる。
途端に、バイブ音。怒鳴られるよりも驚いてびくりと肩をそびやかしてしまう。何もしていないのにしびれる指先でなんとか画面を開けると、見慣れた少ない文字たちがいた。
『暢気なこった』
短くて皮肉な、クルルらしい文章だった。正確には、クルルらしいと思い込んでいた文章。
右手でケータイを握ったまま、は左手で顔を覆った。上手く飲み込めない感情が、胸で渦巻いて気持ちが悪かった。彼を怒鳴りつけることもなじることもしなかったのは、クルルが大事じゃなかったわけじゃない。そうだと感じてしまったら納得のいく部分は多々あって、すんなりと裏づけも済んでしまっている自分がいたから戸惑ったのだ。
認めてしまってはいけない気がしたのに、それをなぜ認めてはいけないかなんて全然わからなかった。
メールに書かれたとおり、わたしは暢気すぎたのだ。
自然に両目から一粒ずつの涙が流れた。それが足元に落ちて吸い込まれるのを見ながら、はやっと終わりを見つけた。終わらせなくてはいけないことと、その方法を、見つけたような気がした。
「わたし、今から告白してこようと思う」
わたしが「誰に」と限定しなかったことを、ギロロは気づいてすら居ない。
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