第一印象は最悪だと言ってよかった。なによりそこは色恋とは無縁の場所で、血なまぐさくて、錆び付いた感情に支配されていたから、一瞬自分はおかしくなったのだとそう思ったのだ。






あれは、つまらない戦争のつまらない加勢に向かったときだった。
辺境の惑星で、赤い大地に降り立って、埃っぽい風を吸い込んだ瞬間眉を潜めたのを覚えている。そびえるような岩が多い。そのせいで空が狭い。木や森や水が不足していて、酸素マスクなしではいられなかった。支給されたマスクを装着する。一瞬でその国の空気はわたしの中に入らなくなる。その代わりに訪れるのは、肌を伝うぴりぴりとしたあの戦場の空気だ。それしか反応するものがないように東の空を見上げれば、赤い国土よりも赤い空と黒い煙が見えた。指で自分の武器をはじきながら、ため息をつく。



それは、本当につまらない戦争だった。
辺境の星は見ての通り、痩せた土地であるのは岩ばかり。産業も目新しいものはなく、これといって技術が発展しているわけでもない。ここに暮らす人々が生きるには他の星からの救援物資は必須であるのは誰が見ても一目瞭然だった。その証拠に、先ほど降り立った町の中心部は商店街だと思われるのに、埃っぽい大地にしかれたテントの中にはひからびた草が申し訳程度に置かれているだけだった。戦争が始まっているからだと自分に言い聞かせる。けれど開戦は三日前からだと知っている自分がひどくうらめしい。
負けることを前提にされた戦争に、何の面白味があるだろう。



この星の最大の間違いは、統治者の人選だったに違いない。
戦地に降り立ってみて、改めてそう思った。疲弊しすぎた兵士たちの横を通り過ぎ、包帯だらけの(それも衛生的にどうかと思うくらい汚れていた)指揮官に会釈を済ませる。彼に会えたのは幸運だった。片足のない指揮官は、わたしを見た後唇の端を少しだけあげてよろしくと呟いた。それだけでよかった。やることはわかっていたし、彼にそれ以上のものを求めるつもりもなかった。なのに、踵を返したわたしに指揮官はもう一つ言葉を投げかける。それはその国の最高権力者を守ってくれと懇願するもので、そのときのわたしが一番聞きたくなかった言葉だった。わたしは聞こえなかったフリをして、来た道を戻る。棒切れのように転がる兵士と目があった。片手に銃を握ったままの彼の、あばら骨が浮いている。
その国は、近年まれに見る独裁主義者が統治していた。



こちらの任務は簡単だった。ボロボロの指揮官が言った言葉ではないが、この国の最高権力者が避難できる経路の確保と相手のかく乱、それと出来る限り相手の消滅を望んでいると言う。おかしな話だ。
わたしの生業は戦争屋だった。正確に言えばわたしではなく、わたしの所属する組織がだ。金次第で戦力と武器と情報を売る。それが負け戦でも構わない。とりあえずの金と、負け試合ならばそれなりの人員を提供するだけだ。今回の星だってそうだった。たった一人の独裁者を逃がすためだけの迷惑な依頼なのだから相当の金を要求したに違いない。もちろん、一兵士であるわたしにそんな情報は用がないものだったし、ミッションをクリアするために必要なものでもない。けれど、戦争に勝つためではないその依頼にどうしようもない嫌悪感を覚えた。



しかも相手も悪かった。わたしの上司は、わたしを派遣することを最後まで嫌がった。
上もそれは同じらしく、しかし悲しいことにそのとき出撃できる人員で実力ランクが最上位だったのはわたしだけだったのだ。しかもわたしに見合う程度の金は先方からもう受け取ってあった。選択肢はない。出撃命令は下った。
相手があのケロンだと知ったのは、上司の顔に苦渋の色が滲んだ瞬間。



ケロンのオーバーサイエンスと高い兵士の実力を知らない星はない。
戦争屋に舞い込む各地の戦況は、すべてケロンを褒め称えていた。南の星雲を一夜のうちに壊滅せしめたときも、たった一つの宇宙船で船団を潰したと聞いたときも、それがケロンならばと納得された。いわば、わたしたちにとってはライバルと言ってもいいだろう。
ただわたしたちと違うのは、まとまった軍隊と守るべき星があるということ。わたしたちは個人で動くことが最善であると考えられていたし、国は必要なかった。その意見に異論はない。耳元に繋がった無線だけがわたしと本部を繋ぐ唯一の証だった。
しばらく戦況をオペレーターが伝える。わたしが向かうポイントは、ここからそう離れてはいない。ライフルを構えた。
ここで死ぬなんて、真っ平ごめんだ。




思ったより最低な戦場は、考えていたよりも最悪な敵を相手にしていた。
ライフルを構え、戦場に飛び出し、敵を見つけるたびに発砲し、そのたびにふと違和感が募った。ケロンは一個小隊で行動する。原則では五人。それ以下のときもあるが、それ以上のときもある。突撃兵と起動歩兵が主な要だ。それさえ潰せば、あとは一人でもどうにかなると踏んだのに、先ほどから見える敵の数があまりにも少ない。ちょろちょろと見かける敵は明らかに小隊以前の先遣隊。先ほどまで戦場だった大地にはその跡がくっきりと残るのに、肝心の敵がいないとはどうしたことだろう。
悩みこみ、ポイントに向かう足がなぜか鈍った。暗闇の中に突っ込もうとする足をためらうように、嫌な予感が頭をよぎる。
その瞬間、予感を肯定するような一筋の曲線がわたしの視界に広がった。それは空にかかったビームライフルの軌跡だ。向かう先にはこちらの戦闘機。広がる火花に、わたしの頭は理解する。あちらはわかっているのだ。こちらの意図も、これ以上の戦闘が出来ないことも、そうしてそれにはどれだけの戦力で足りるのかも。
曲線の出所は、わたしのポイントと重なった。すべてを理解して、口角があがる。
わたしが今から相手をするのは、ケロンの誇るスナイパーだ。




戦闘に楽しみを求めることがいけないことだとは思わない。
そうしてこの戦いはわたしにとって、楽しいものだった。
ケロンのスナイパーはわたしの存在を逸早く察知し、戦闘機用のビームライフルから小型のライフルに切り替えたようだ。今は短い発砲音とトラップと、お互いの気配しかここにはなくなっていた。他のケロンの姿が見当たらないが、それは彼の仕業であろうと予測がつく。下手に援軍が来れば、この岩ばかりの大地を利用し隙をつかれることがわかっているのだ。わたしの実力を認めてくれている。それは先ほど仕掛けた爆雷が効いたのかもしれなかったし、彼のライフルをことごとくかわしているからかもしれなかった。しかし彼は冷静に、わたしの隙と己の気配を殺すことだけに集中する。
彼と言うのは、なんとなくだ。わたしのように女兵士という可能性も充分ありえるけれど、そうではない気がした。



「・・・・・倒れない」



スナイパーとしては劣るだろうが、地上戦ではわたしが勝っているはずだった。
それを見越して至近距離まで詰め寄ったというのに、相手はどんな罠にも嵌らず姿もはっきりとは確認できなかった。相手が悪いと本日二度目のため息がもれる。
小銃を握り、どうにか眉間に一発食らわせたいと空を睨むと不意に風が変わった。
何、と思う。大きなうねりを伴う風の元に視線を移せば、巨大な戦艦が視界に映った。そうしてどうしようもない嫌悪感がわたしの心臓を鷲づかみにする。

ここまで来て、この戦況を見た上で、独裁者は自己を顧みることをしないらしい。

権力の象徴のようなあのでかいだけの船で、どこまで逃げ切れるというのだろうか。それとも最後の華でも飾るのか。この星の粋がつまった戦艦は、ごうごうと風を鳴らしてわたしたちの視界に迫ってきていた。そうしてまるでそれが合図のように、わたしのすぐ傍でビームライフルが発射される。わたしは最高に馬鹿な権力者と任務に忠実な相手のおかげで出来たこの隙を見逃さなかった。背後に回り、小銃を握りなおし、岩をすり抜け相手を確認すると同時に銃を突きつけ、引き金を―――――――――ひけなかった。



ひたりと、自分と同じものが額に当てられているのがわかる。なんてことだ。相手もこの瞬間を狙っていただなんて。



戦艦が落ちる音だけが嫌に遠く聞こえた。わたしは相手に銃を突きつけたまま、そうして相手に銃を突きつけられたまま、どうにかそこで初めて相手の顔を確認した。発砲されなかったのは、奇跡だと思う。
紫の肌、小さいケロン特有の体、金の目。

 


目があった。会話はない。

 


引き金をひかなきゃ。倒される。殺される。蜂の巣になる。
それなのに、わたしの頭は彼と目が合った瞬間に真っ白になった。
金の目。指一本動かない。赤い大地。金の目。干からびた草。あばら骨の浮いた兵士。片足のない指揮官。馬鹿な独裁者。レーザーライフル。血だまり。金の目。落ちる戦艦。構えた銃。額に据えられた鉄の冷たさ。久しぶりに血が凍る。

でも、あぁなんて、綺麗な金の。

 

 



「撃たないのか」



声は低く明瞭で、わたしが笑うには充分な問いかけだった。



「あなたこそ」
「私は君に聞いている」
「わたしだって、あなたに聞いてるわ」
「船は沈んだようだ」
「そうね。でもそれがどうかした?」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・・・撃たないの?」



自分だって構えた銃口を決して下ろそうとはしていないのに、この問いをするのはひどく滑稽だった。



「・・・・私には、撃てない」



やがて観念したように、彼は呟いた。それはこの状況に不釣合いだったけれど、わたしたちの共有した思いにはぴたりと当てはまっていた。わたしは笑った。



「スナイパー失格ね」
「そういう君はどうなんだ」
「もちろん・・・・・撃てやしないわ」



銃口を向けたままひとしきり笑いあった。彼は自分のことをガルルと名乗って、わたしは だと言った。
空は相変わらず狭くて大地は赤かった。芽生えるはずのない感情が、水のない大地に戦火と共に広がった瞬間を誰が予測しただろう。

 




究極のヒトメボレだったと、後々になってガルルは零した。


 

 

 

戦火と視線とヒトメボレ

(06.08.19)