あの日、退屈な任務の最中に出会った
は私の人生を一気に華やがせた。
天気の変わることのない宇宙の旅はひどく退屈だった。それが大変な任務をこなした後の帰路だとしても、輝く星の明かりが流れるさまは酷く単調で時間間隔がおかしくなりそうだ。書き上げたばかりの書類を見直す作業もすっかり終わらせてしまったあとで、さぁやることがなくなったと天を見上げる。すると見慣れた部下と目がかち合った。
「提出書類、用意し終わったんすか?」 「あぁ。タルル上等兵」 「お疲れ様っす」
共に任務をこなした彼が、コーヒーを差し出す。受け取りながら温かいカップに安堵を感じた。そういえば任務を終えてから現実味のあるものに触れていなかったことを思い出す。口をつければ、広がるのは苦いが食べ物の味だ。
「他の皆は?」 「ゾルル先輩は修練室、プルル看護長は仮眠室、俺もやっと必要書類の記入が終わったところで、トロロはまだそこでハッキングして遊んでますよ」 「そうか」
よくやったな。 立ちのぼる湯気を見つめながら、わたしはそう言った。なんてことはない任務だったがタルルはまだ軍に入って日も浅い。それでも上等兵の位を手にしているのだからそれなりに力があるはずなのだが、この少年に関してはどうしても新米のような扱いをしてしまう。それはまっすぐに何かを慕ったりする様がとても純情で少年的だからかもしれない。私の言葉に本当に嬉しそうに笑って「はい!」と元気よく頷く様などその通りだろう。
「タルル、仕事が終わったならお前も休め」 「はいっす。あの、隊長は?」 「私はもう少しここにいる。………今は眠れそうにもない」
言葉通り今はベッドに入っても眠りに落ちることはできないように思われた。けれどそれは戦いのあとの高揚感や緊張感のせいではない。任務からの解放とそれに伴う幸福が自分を満たしているのだ。そう、やっと彼女に会える。
タルルはわたしの返事を聞くと一礼して扉の奥に消えた。きっと数分後には深い眠りに落ちるのだろう。それはなんだか若さの特権のようだった。視線を前方に移せば、カタカタと規則正しい音でキーボードを叩く音がする。無機質に響くそれを聞きながらとりあえずあの新兵の気が済むまでここにいようと決めた。そうして眠るのではなく自分を落ち着けるために瞳を閉じた。今更宇宙など見ても面白くない。
しかしそうやって目をつむれば思い出すのは彼女のことばかりだった。
初めて会ったときの彼女。巧みな技で私と渡り合い隙を見逃さず銃を向けてきたときには、本当に悪い相手に見つかったと覚悟したのだ。同士討ち覚悟で銃を向け、早すぎる動作にやっと視線がこちらを向いて女性だと確認した。お互いを確認しあったあの瞬間は、数秒だったのだろうがひどく長かった。ただ、これが片思いならば私は死ぬなと簡単に生きることを諦めた自分がいたのは驚きの事実だった。
二度目に会ったときの、星を買ったと告げたあとの彼女の表情も忘れられない。 帰還するとき約束をした場所は、彼女に言ったとおり前から目をつけていた場所だった。水しかない小さな星の小さな島が売りに出されていたとき、隠れ家にぴったりだと思ったのだ。誰と隠れ住む予定もなかったから保留にしておいたが、帰還する船の中ですぐに買いとった。我ながらすばやい行動だったと思う。彼女のあの驚き呆れたような、けれど心底嬉しそうな顔を見られただけでも安い買い物だった。
二人で月日を重ねた。もうお互いの考えていることなら大体わかるくらいまでには。 自分で言うのもなんだが彼女に心酔しきっている。踊るようにナイフを操る様が美しかった。小気味良く銃を撃ち、無駄のない動きで間合いをつめる。風のように舞う姿が「無音の黒蝶」だと呼ばれていることは後から知った。蝶とはなんと、戦場に似つかわしくない風情のある名前だろう。
「プププ。ね、隊長。面白いものみつけたヨ」
部下の呼ぶ声に答えるように瞳を開く。相変わらず体をコンソールに向かわせたままの部下は、先程より楽しげだ。
「どうした?」 「白鳥座あたりの内戦が終結するみたいだヨ。あと3年はかかるかと思ってたんだけどネ〜。大統領側が蝶を買ったみたいダ」 「ほお。蝶を」
体がぴくりと反応する。それ以上聞かなくても理解していた。 そうか、君は今戦っているのか。
「さぁすが、“無音の黒蝶”なんて言われてるだけあるネェ。反逆軍を一時間で沈黙させるなんてどんな魔法ダヨ」 「それで……片はついたのか?」 「プププッ
。待ちなヨ―――――――たった今終了。大統領側の完全勝利だネ、コリャ」
面白くもなさそうに伝えられた結果に一先ず安堵した。彼女は自分の向かう戦場を教えようとはしない。一度聞こうとは考えたがそれをして悲しくなるのはお互いだと気付いてやめた。だが終戦したのならばすぐに会うことが出来るだろう。バラが枯れずに済む。
「ネ、隊長」 「なんだね。トロロ新兵」 「ボクがこの前作った軽起動メカ………調子ドウ?」 「…………良好だ」
いつのまにかこちらを向いていたトロロに、充分間を持たせて返事をする。トロロはそれだけでは不満だったのか「それダケ?」と言葉を続かせた。まったく嫌な部下を持ったと嬉しい反面ため息を漏らす。
「それよりもトロロ新兵、頼みたいことがあるんだが」 「まぁた〜?なにサ」 「蝶の情報を盗んでくれ。ケロン星のネットワークすべてから」
一瞬息を飲む音が空気を奮わせた。信じられないと言った顔でこちらを向く部下に、コーヒーを飲むふりをして視線を外す。唇に触れたそれはもう冷めていて温かった。それで随分時間がたっていた事を知る。
「プププ。わかったヨ」
やがて観念したのかくるりと向きを変え、先ほどとは比べ物にならないほどの速さでキーボードを打ちはじめた。その姿に満足して、飽きるほど見て来た宇宙を見る。辟易していたこの星の海が、この中に彼女が存在するということを思い出すだけで一瞬にして姿を変える。
いつか
は私を紳士だと言ってくれた。けれどそれは違う。彼女が考えるほど聖人ではないのだ。欲望は果てしない。
溶接製の腕輪の意味。君の未来も過去もすべて手に入れたいがためのあがき。
そうだと知ったら君はどうする。
「プププッ 。お待ちどう。上手くやりなヨ隊長。なにせ蝶は敵性宇宙人なんダカラ」
見事にデータを盗み出した部下は、柄にもなくそう呟いた。
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