次の日はとても晴れていた。あたしがカーテンを開け快晴を確認してリビングに下りてきたとき、もうすでに はソファに座っていた。コーヒーのカップを両手で持ち、昨晩貸したショールを体に巻きつける は一枚の絵のようだ。それかドラマにありがちな綺麗な朝のワンシーン。一瞬目を奪われたあたしに は「おはよう」と笑った。戸惑いがちに「おはよう」と言うと、 の向かい側のソファからひょこりとクルルが顔を覗かせる。


「アンタがなんでここにいんのよ…………」
「いちゃわりぃかよ。ちょーっと話してただけだぜぇ」
「何を」
「世間話。だよなぁ?


およそ世間話なんて平和なものとはもっとも遠いところにいそうなヤツが言うとこれほど胡散臭いものもない。 は天井を見上げるような仕草をしてから、「そうね」と答えた。
「そうね。世間話だわ」その答えに納得できないものを感じつつも、あたしは台所に立った。今日はピクニックに行くと は言ったのだ。お弁当を作らなければ。好き嫌いも特にないとのことだったから、サンドイッチにしよう。


「ナツミ、わたしお手伝いできることある?」


エプロンをして、包丁を握ったところで が問いかけた。地球の食材はどうかわからないけれど、基本的に料理は好きらしい。あたしは考えたあと、一緒に作ってみることにした。 にママ用のエプロンを渡すと、案の定不思議そうにそれを摘み上げて首を傾げる。エプロンの文化も彼女にはないものらしい。どうやって説明しようか、とあたしが頭を捻っていると、思いがけない横槍が入ってきた。


「そりゃ、エプロンっつーんだぜぇ」
「クルル」
「料理するときつけるもんだよ。新婚の女は白いエプロンと相場が決まってる」


にやにやした笑いの中に厭らしいものを感じつつ、それでも間違ってはいない意見にあたしは を見た。 はあたしのつけているエプロンを真似しながら着て、「だからナツミのエプロンはピンクなのね」と見当違いの発言をしてくる。あたしは「そうね」と曖昧な返事をして、クルルをみた。最低な天才発明家は腹を抱えて笑い出し、もはや呼吸困難に陥っている。一体何がそんなに面白いんだ、と張り倒してやりたいが は気にしていないからあたしばかりが反応するわけにもいかなかった。


結局、 と一緒にバスケット一杯のサンドイッチと果物の詰め合わせを作った。朝ごはんを軽く済ませ、作りすぎたサンドイッチを冬樹たちの昼ごはん用に冷蔵庫にしまうと「さぁ、でかけましょう」と が笑う。しかし の足は玄関には向かわなかった。バスケットを持ったままあたしの部屋のベランダに行き、あたしの手を取ると何の説明もなしに抱えあげられる。一瞬、わずかに上下する感覚のあとに恐る恐る目を開けるとあたしは屋根の上に立っていた。 はあたしを抱えていることなど構わないように、「さぁ、乗って」と上を指差した。その先には、小さな円盤がぽつんと浮かんでいる。その円盤はいつかケロン人の子どもたちが来訪したときのものよりは大きかった。大型自動車くらいの飛行物体が自分の家の上に浮かんでいる情景はシュール以外の何者でもない。これがボケガエルの仕業なら怒るところだが、あんまりにも無邪気に笑うこの人にはどうにも怒る気になれなかった。



「ねぇ、ナツミ。リクエストはある?」


どこに行きたいのか問われていることはわかっていたが、あいにく不思議な円盤が駐車可能な場所はわからない。そう答えれば、「じゃあ広くて山と川があって、気持ちのいい場所に行きましょう」と目的地とは言えない理想を は口にした。最初は冗談かとも思ったが、手元のナビらしきものにその通りに入力する を見て彼女が本気だと悟った。数分後、コンピュータがはじき出した目的地が画面に映し出される。


「スイス」


一瞬、見間違いかとも思った。しかし は「スイスね!」と乗り気にボタンを押す。あたしが止めるよりも早く発射した円盤は一瞬のうちに東京から遠ざかる。ぐんぐん高度を上げながら進む円盤は驚くほど重力を感じなかった。五分ほどして目まぐるしく変わる風景に酔い出したとき、円盤は静かに動きを止めた。「着いたわ」 がハッチを開け、軽やかに飛び出す。あたしは眩しい日の光に目を細め、そして目の前に現れた光景に思わず息を飲んだ。遠く山々が連なり、広く緑の平原が続いている。どこを見ても山ばかりなのに、その雄大さは日本ではないことが人目でわかるほど壮大だった。 があたしに手を伸ばし、「大丈夫?」と首を傾げる。あたしは頷きながらも、自分がいる場所が信じられずにいた。手を取って大地に降り立つと、濃い草の香りとひんやりとした風が頬をなでる。


「スイスって、綺麗なところね」


がまったくその通りの意見を言った。山々の緑も空の青さもどれも申し分ないほどに綺麗だ。たぶんテレビの中でしか見たことはないのに、なぜか懐かしいと思ってあたしは嬉しくなる。


「とりあえず、探検しましょう。あっちから水の音がするわ」
「あ、待って さん!」


は鼻を鳴らして、森の方に駆けて行く。そのあとを追いながら、あたしはどうしようもない高揚感に満たされていた。こんなに広くて気持ちのいい場所には来たことがない。怖いというよりわくわくする。それは、彼女がいれば大丈夫だと安心しているかもしれなかった。


あたしたちはまるで子どものようにはしゃぎ回った。 の言うとおり、駆け出したさきには川があり、着ていたワンピースの裾をあげて川に飛び込み、あたしもそれにつられて少し冷たい水の中に入った。綺麗な水と泳ぐ魚に目を奪われていると、頭上で聞いたこともない鳥の声がした。水の中で歩くことにばかり気をつけていると、 が水をすくってかけてきた。キラキラと光る雫に照らされて、あたしたちは笑いながらびしょ濡れになるのも構わず遊んでいた。
森の奥に行って は熊の穴倉を見つけ、入ろうとするので必死に止めた。どこかでヤギの鳴く声がするから足を伸ばせば、丘陵地帯にヤギの群れとそれを追う犬と人の姿を見つける。向かう場所に目を凝らせば小さな村があった。細々と煙が立ち、小さな教会もある。 はそれを嬉しそうに目を細めて見て、「あれは結婚式をあげる場所ね?」と知っている知識を確認するような聞き方をした。頷けば、「可愛くて、素敵ね」とうっとりとした調子で呟く。幸福そうな瞳だった。
それから元来た道を戻ると、先ほどの川で熊を見つけた。 と一緒に隠れてやり過ごし、行ったことを確認すると二人で手を取り合って笑い出す。 は「あんな動物だと思わなかった」と驚いたことを隠さずに言った。あたしたちは円盤のところまで戻ると、 が円盤を操作して濡れた服を乾かしてお昼にすることにした。

眩しい太陽の下で、 は美味しそうにサンドイッチを頬張る。きゅうりとハムと卵とレタスの簡単なものだったけど、草原の上でシートも敷かずに食べるサンドイッチはこの上もなく美味しかった。


「ね、 さん」
「んー?」
「今、幸せですか?」


あんまりにも自然に口から出た。 は三つ目のサンドイッチに伸ばした手をちょっと引っ込めて、「そうね」と返事をするともう一度サンドイッチに手を伸ばした。


「変わってしまったことがいくつかあるけれど、幸せよ」
「変わったこと?」
「そう。嬉しい変化は、義理でも両親と弟がいっぺんにできたことかしら」


口に頬張り、 は遠くを眺めてそう言った。しゃき、とレタスが砕ける音。


「悲しいこともあったんですか?」
「えぇ。組織がなくなったあとでも、わたしを戦争で使いたいって思う人が沢山いたことがね」


の横顔は少しだけ憂いを帯びているようだった。ケロン星の、自分の夫の職場でさえも戦うことを望まれたこの人は、どんな気持ちでそれを断ったのだろう。
はサンドイッチを食べきった指を舐めた。


「わたしね。はっきり言って、長所と呼べる場所がないのよ」
「え?」
「小さいころからずーっと戦い続けていたの。そうすると皆が褒めてくれたから。だから、戦場にいるときが楽しかった時期もあるわ。銃火器は最初使わなかった。下手だったから」


いっそ無感動なほど何気ない調子で は話す。そうして「聞きたくない?」と不安そうにこちらを向いて尋ねた。あたしは首を振る。それでも足りないと思って「いいえ」と返事をした。 は寂しそうに「優しい子ね」と笑った。


「きっと戦場で死ぬんだと思っていたから、精一杯戦ってたわ。わたしたちの組織は単独行動が主立っていたから、味方を傷つける心配をする必要もなければ、仲間を助ける必要もなかった。戦って、戦って、彼に会うまでそれ以外に幸せがあるなんて思わなかったの」


そこで は大切なときを思い出すように、瞳を閉じる。


「ガルルと目があったとき、わたしたちは敵同士で、銃を向け合っていたわ。きっとどちらか一方の片思いだったら、片方は死んでた。そんなギリギリの瞬間に出会って手に入れて、幸せを噛み締めていたのにわたしは一度自分からそれを手放したの。今思えば馬鹿な話だけれど」


「ナツミに会ったとき」と はあたしを見た。「嬉しかったのよ」と続けられる言葉。あたしは首を傾げる。


「どうして?」
「彼の弟が、幸福そうだったから」


彼の弟。ギロロと名前は呼ばず、 はそう形容する。


「ガルルが大切だと話していた、弟くんが幸せそうで安心したの。わたしがいなくなっても、彼は弟くんがいれば大丈夫だし、弟くんはあなたがいれば大丈夫って思えたから。これから戦場で死ぬってわかっていたけど、それでもいいって思えたの」


彼女の言葉は後を残さない。それ以上の価値を持たず、それ以上の意味を持たない。本当にそう思ったことを、感じたままに伝えている。だから はあのとき本当にそう思ったのだろう。自分が死んでも愛する人は生きていけると確信して、戦場に立ったのだ。


「でも、ガルルも馬鹿よね」
「…………ばか?」
「馬鹿よ。あの人、そうそう前線に出される人じゃないのに。自分からそこに志願したのよ。わたしがケロンの円盤だと気付かなければ、撃墜していたでしょうに。顔を確認しなければ、それこそ彼は死んでいたのに」


それでも、来たのよ。
は膝に顔をうずめて、「本当に馬鹿な人」と言葉とは裏腹に幸せそうに呟いた。その腕に光る腕輪。ガルルが彼女に贈ったものだとギロロが言っていた。溶接製の金の腕輪は、 が死ぬまではずすことは出来ないし、朽ちることもない。細い腕に光るそれが、恐ろしいまでの独占欲と愛の深さを物語っているようだった。


「ねぇ、ナツミ」
「え?」
「地球の女性はなんでも白が好きなのね。ほら、結婚式のときに着るものも白いドレスなんでしょう?」


突然言われて、あたしはそういえばそうだ、と気付いた。ウエディングドレスは白が基本だし、お色直しの中に一着は入っている。加えて、朝のクルルの発言が頭に残っているのだろう。 の中では、結婚するときに新婦は白いものが必要なのだと理解しているのかもしれない。


「白、ね。好きな色だけれど、わたしには似合わないわ」
「…………どうして?」
「白は無垢な色でしょう。それは本当に純粋な色よ。日の当たる場所で生きた人の色。そうね。ナツミはとても似合うわ。きっと」


ひっそりと、 は恐ろしく静かに笑った。その横顔が信じられないほど沈んでいた。


「似合います。絶対、 さんだって」
「ナツミ?」


気付いたら、声を上げていた。 が驚いたようにこちらを見ている。


「似合わないわけないじゃないですか。似合いますよ。白くてふわふわなウエディングドレス。絶対」
「ナツミ」
「幸せになるのに、遠慮しちゃ駄目です」


もう言っていることがめちゃくちゃだとわかっていた。 は眉をあげて、あたしを見て、すっと長い腕を伸ばした。細くて長い指があたしの頬を撫でて目じりを優しくこする。


「泣かせちゃったわね」


言われるまで、自分の目に涙が浮かんでいることに気付かなかった。 は、先程よりは幾分元気なようすであたしの頭を撫でる。


「ギロロ君に、怒られちゃうな」


その瞳の奥が、あたしと一緒で少し潤んでいたのは見間違いじゃない。あたしは「 さんを怒ったら、あたしが殴ります」と答える。「なにそれ」 が笑って、やっと安心する。


そのときだった。不意にわたしたちの体がすっぽりと、影の中に納まったのは。
雲かな、と上を見上げれば、見たこともない色の円盤があたしたちの頭上に現れていた。
思わず の服を掴めば、腕が伸びてきてあたしを抱きかかえた。

「大丈夫よ」呟かれた言葉は心底落ち着いている。

心臓が早鐘のようだったが、 の腕はしっかりとした力強さを持っていた。

大丈夫。なにが来るかもわからないのに、あたしは心の中でもう一度唱えた。







に溺れてを盗られた

(06.12.23)