疲弊した心では、誰にも立ち向かえなかった。
その異変は突然わたし以外のすべてに訪れた。 それは本当に唐突に、わたしの周りでいっせいに起きた。ぴたり、と秒針が止まる一瞬のように、そのまま世界が停止したのだ。わたしは時計の活動から解放されて、思わず転びそうになった。 今日こそはとギロロに謝る文句を考えながら歩いていた途中だったから、きっと自分の不注意がたたったのだと始めは考えた。けれど体制を立て直し、改めてわたしの視界が映した情景は切り出した一枚の絵のようだった。動かない人と動物と車と機械が、一緒くたに押し込められている。その360度パノラマの絵画を見せられて、その場で唯一動くことができたわたしは、口を押さえて悲鳴を堪えた。
「と、とりあえず……………みんなに会わなきゃ」
超常現象は、同じ超常現象にどうにかしてもらわなければ。 わたしは自分の胸元をぎゅうと握りながら、うるさい心臓を宥めて日向家に向かった。走りたいほど気は焦るのに、足がもつれてしまうから歩く。一生懸命、石像と化した人の波を抜け、踏んでは壊してしまいそうな公園の鳩の群れを越えて、息も切れ切れになりながら左足と右足を動かした。もう同じ動作を繰り返すだけのものに成り下がったそれは、くじけそうになるとすぐに使い物にならなくなる。まるでその先にあるものを見たくないと主張するような反応だった。恐怖と不安がないまぜになって、わたしを包んでいる。 なにか、嫌なことがありそうな。 そんな予感が、わたしの足の先から髪の一筋まで伝達されていた。まるでそれが運命であるように、決定したひどい景色がわたしの前にさらされるだろうと言われているようだった。現実主義だったわたしは予知なんてものは信じたことがない。それなのに、わたしの身体には信じてきた現実を覆すほどの誤魔化しきれない予感が渦巻いていた。 立ち止まり、頭を振った。落ち着かなければと混乱する頭で考える。何が起きているかわからないけれど、動けるわたしにはそれなりの意味があるはずなのだ。 思いなおし、もう一度足を進めようとしたときだった。動くものがない世界で、何かがわたしの頭上を飛び去った。
「ギロロ………………?」
飛行ユニットをつけた彼だと瞬時に理解する。けれど彼を追う影を見とめたとき、驚愕に目を見開いた。
「ガ、ル…ル…………」
もう間違えるはずもない。紫の彼が同じ飛行ユニットで、違う武器を構え、飛翔していた。 早すぎる攻撃はわたしの目には見えなかったけれど、銃弾の飛び交う音は聞こえてきていた。不安を伴った予感は、先程よりも数倍大きくなってわたしを飲み込んでしまうくらい巨大になっていた。 どうかと懇願するように祈った。具体的に考えることなど出来なかったけれど、それでもわたしは祈った。最悪のことさえ起きなければ、わたしの震えは止まると思っていた。 けれど、わたしの急ごしらえの神頼みなど効くはずもない。
ガルルが今までとは比べ物にならないくらい大きな銃を取り出し、構えた。ギロロの動きが一瞬鈍くなる。同時にわたしは声にならずに叫んだ。なにかはわからない。撃たないでとも、逃げてとも、違う声を出した。けれどその言葉を消し去って、冷たい銃からまっすぐにギロロへと光が放たれる。 あぁ、あたってしまう。 ギロロが貫かれて、煙をあげて墜落した。わたしの中で予感が弾けて成就を知らせる。わたしは胸のあたりをぎゅうときつく握って、一歩後ずさった。
ギロロを助けにいかなければ、なんて生易しい考えは浮かんでこなかった。
後ずさったわたしは、そのまま踵を返して走り去っていた。足がもつれても転んでも、両膝が血で真っ赤になっても気にせずに走り続けた。そのときのわたしの中には、恐怖とか不安とか情けない劣情ばかりがひしめいていて、どうすればいいかわからなかった。 安心したくてどこかで落ち着きたくて、大丈夫だよと抱きしめて欲しくて走るしかなかった。息が切れて、心臓の音が止まった世界で唯一バカみたいに脈打っているのがわかった。 わたしはいつものように自分の部屋に逃げ込んで、それから座り込んで膝を抱えた。 怖くて怖くて小さくなりながら、ギロロに謝っていた。 置いて逃げてしまった。敵うはずもないとわかったから、ガルルから逃げてギロロを見捨てた。例え無力なわたしを誰もが許してくれたとしても、それだけは真実だ。わたしは最低最悪の人間で、かわいそうなのは見捨てられたギロロ。
膝を抱く力を込める。いっそ夢なら覚めて、とわたしはどうしようもない現実の中で呻いた。
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